安房直子的世界

童話作家、安房直子さんをめぐるエッセイを書いていきます。

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童話作家 安房直子さんについておしゃべり(9)ひぐれのお客

(9)「ひぐれのお客」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle.finger.window

・香りと文学m.Aida

・ymst

・Planethand

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの1位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。

安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。

「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、

小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、 

野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、

新美南吉児童文学賞(連作集『風のローラースケート』)、

ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)

亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。

おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。

その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。

回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。

栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。

スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。

今回は第9回目ですね。前回の「北風のわすれたハンカチ」と同点の第8位で、「ひぐれのお客」を今日は取り上げたいと思います。

よろしくお願いいたします。

 

★松村真依子さん・MICAOさんの装画

ネムリ堂 では「ひぐれのお客」なんですけれども、今現在ですね。去年発売が始まったあすなろ書房さんの安房直子絵ぶんこで松村真依子さんの装画による『ひぐれのお客・初雪のふる日』というのが出ています。

また、MICAOさんの装画で、福音館書店からも表題作が「ひぐれのお客」という題での単行本が出ていたんですが、こちら、残念ながら、7月末をもって発行は再販未定の休刊。14年間の販売が終了し店頭通販の在庫がなくなり次第販売は終了ということで残念なお知らせを先日MICAOさんのⅩでのポストで知りました。

他の単行本ですと、

偕成社文庫の『遠い野ばらの村』、

ちくま文庫の『遠い野ばらの村』、

筑摩書房の単行本の『遠い野ばらの村』、

偕成社から出ている安房直子コレクションの2巻

にも収録があります。

また、『ひぐれのお客』は、こちら教科書にも掲載がありまして、

大阪書籍『小学国語 6』

山形教育用品(副読本)『やまがた中学生の読書 1』

にも収録があるようです。

こちらの初出は『母の友』(1980年)321号、

これが単行本化されたものの元になりますね。

どこが違うか、ちょっと読み比べてみたんですがほとんど違うところはありませんで、ひらがなが漢字になっている箇所が多数あるぐらいです。

「カシミア」が「カシミヤ」になってたり、とか「海」と書かれているものが、多分誤植なんですけど「梅」と表記されてあったりとか、それぐらいしか違いはなくて、ほとんど雑誌掲載の時とテキスト自体は同じものとなっているようです。

ではまず、あすなろ書房さんの安房直子絵ぶんこで出ている松村真依子さんの装画の魅力を皆さんにお話ししていただきたいと思います。

私としましては、松村さんの装画本当に素晴らしくて、特に好きなところがピンクがかった赤のスイートピー畑の素晴らしい花畑の様子、素敵だなと思いました。あと、暖炉の火の色の温かさですとか、あと、お店の中の素敵な様子ですとか、表紙が中の挿絵とまた違って、同じ構図でも猫がアップで出てるんですね。そういうとこもいいなと思いましたgentle.finger.windowさんいかがでしょうか。

松村真依子さんの装画についてお話をお聞かせいただけますか。

gentle.finger.window やっぱり私も見開きでピンク色がわーっと広がるスイートピー畑の装画が一番好きです。

ネムリ堂 素敵ですよね。

gentle.finger.window スイートピーがさわさわと風に吹かれながら、歌っている声が聞こえてきそうな安房さんらしい装画だなと思って憧れますね。

ネムリ堂 どこまでも続いていくスイートピー畑があんな風に描かれるんだなと思って、本当に素晴らしい絵でしたよね。

gentle.finger.window 優しいピンク色でね。本当にピンクは綺麗な色だなと思いました。

ネムリ堂 ありがとうございます。

gentle.finger.window アロマスタイルさんからいただいているご意見もご紹介しますか。

ネムリ堂 はい、お願いいたします。

gentle.finger.window 今日はリスナーでご参加いただいているアロマスタイルさんからも、MICAOさんの装画について、ご感想いただいておりますので、ご紹介します。

 

【贈り物は基本、お菓子やお花といった「きえもの」にしているのですが 

福音館さんの『ひぐれのお客』は MICAOさんの刺繍 

おしゃれでかわいい装丁(カバーをはずしても素敵)や紙の手ざわり サイズ感もちょうどよく

掲載作品のバランスの良さもあいまって

安房直子さんのよさをわかってくれそうな方 

猫好きさんへの贈り物にさせていだいたことがあります】

とのことです。

ネムリ堂 MICAOさんも本当に素敵なんですよね。

gentle.finger.window そうですね。MICAOさんの装画もすごく素敵ですよね。

福音館の『ひぐれのお客』『ひぐれのラッパ』、どちらも素敵なんですけれど、『ひぐれのお客』は、カバーを取った中の方にも装画があって、そこも私、好きです。

ネムリ堂 あの夕焼け色のね。『ひぐれのお客』は、もう夕焼け色の赤い表紙になってるんですよね。で、また全然違う刺繍の、イラストというか絵があって、それもとってもね、カバーをめくる楽しみがあるというか、そういう素敵な装画でしたよね。

gentle.finger.window 安房直子さんの物語は、絵を描かれる方、MICAOさんは刺繍ですけど、絵を描かれる方には、思い描いて作品にしやすいんですかね。色とか語られる文章とかイメージがものすごく湧くのかもしれませんね。

ネムリ堂 そうですよね。絵を描く人にとっては、すごく絵にしたくなるような文章なのかもしれませんね。

gentle.finger.window そんなお話を聞いてみたいですね。

ネムリ堂 そうですね、m.Àidaさん、いかがですか松村真依子さんの装画や MICAOさんの装画についてちょっとお話をお聞かせいただけますか

香りと文学m.Aida  はい。私は松村さんの方の絵本しか手元にないんですけれども、12ページのモノクロのページがとても気になってまして。本当の黒猫が黒マントを着てるんですけれども、このマントの裏地に色が入ると考えると、後の方のパーッと広がるイメージが、より一層深く伝わってくるような感じがして、このモノクロのページがとても好きです。

ネムリ堂 黒いマントだからこそ黒いページなんだけれども、そこに今後色が差されるっていう期待を持たせるような絵っていうことですよね。

香りと文学m.Aida  そうですね、ここの、なんていうんですかね、イメージの広がりが、ここから本当にこのめくった裏地にどんな色が入るかによって本当に景色が広がるし、さらに匂いまでついてるんですよね。

非常に感心するようなものを私はこのページに感じました。他のも全部美しくて素敵なんですが、そんな感じです。

ネムリ堂 ありがとうございます。モノクロのページがモノクロならではの魅力を満喫させてくれる、そういうところも素晴らしいですね

香りと文学m.Aida  はい、本当モノクロなんですけど、黒一色じゃないですよね。

ネムリ堂 そうですよね。黒なんだけど、黒もいろんな色があるっていう。そういう絵ですよね。

香りと文学m.Aida  このページがパッと入ることによって、他のページは全部色が入っているのですけども、このモノクロページから広がるイメージ。

この絵に本当はもともと色がなかったのか、つけなかったのか、それとも印刷関係でモノクロになってるのか分かんないんですけども、ここのページだけモノクロっていうのはちょっとご本人に、もし、お話を伺えたら、伺ってみてほしいなと思いました。

ネムリ堂 松村さんの絵本『ひぐれのお客』は、「初雪のふる日」と一緒の2編が入っている絵本なんですけれども、「ひぐれのお客」、ここだけがモノクロで、他は全部カラーなんですよね。そこが他の絵ぶんこシリーズとちょっと違う点なので、このことについては今度松村真依子さんにインタビューをする機会がありますので、ぜひ伺ってみたいと思います。ありがとうございます。

香りと文学m.Aida  逆に、「初雪のふる日」は、表紙以外はモノクロなんですよね。「ひぐれのお客」の方はそのページだけがモノクロなので、ぜひ伺ってみてください。よろしくお願いします。

ネムリ堂 ありがとうございます。

Planethandさん、松村真依子さんの装画、MICAOさんの装画についてお話をお聞かせいただけますか。

Planethand はい、こんばんはPlanethandです。

そうですね。MICAOさんの方も本当にすごくなんていうんですかね、小人さんのような爽やかさというか、親しみやすさがあったりして。

私は「ひぐれのお客」は最初絵を見ずにずっと読んでいたもんですから、生地を舐めるっていうところがやっぱり素敵だなと思って。

松村さんも、本当に赤い色味がすごくあるんですけど、暖炉の線とかがすごく私は好きです。

ネムリ堂 そうですね。暖炉の火の温かさが素晴らしい色合いで表現されてますよね。ありがとうございました。

 

★手芸について、キンカ堂ベンベルグ、裏地など

ネムリ堂 MICAOさんの刺繍は手刺繍であるということもあると思うんですけれども、安房さん手芸がお好きだったという。

ライラック通りの会で『こみち』という機関紙を出していたんですが、その3号に、生地や布にすごくご関心がおありだったということが記録として書いてあるんですね。

池袋のキンカ堂というところに、「ここによく来るのよ。」というふうにお話ししたというようなことを同人誌『海賊』の仲間の方にお話しされたという。そういうようなお話の記事が『こみち』の3号に載っています。

安房さんのお義母様は、洋裁専門学校のご出身でして、安房さんのお洋服は全て手作りされていたそうです。そのぐらい、手芸を身近に感じていた方だったんですね。

m.Àidaさん、キンカ堂についてお話ししていただくことがあるということで、お願いできますか。

香りと文学m.Aida  キンカ堂なんですけれども私も大学時代にですね、よく行ってました。

毛糸がすごく種類が多くて安いということで、池袋駅の東口のすぐのところにありまして、日本女子大学は目白だったので、池袋まで一駅ですよね。

さらに安房さんは豊島区の千川にお住まいだったと書かれてたんですけれども、そこからも有楽町線で池袋は出やすいので、手芸好きの安房さんはとても利用されていたのではないかと思います。

さらに、池袋駅の東口のキンカ堂の近くに、ホワイトベアというレストランがありまして、このホワイトベアは洋食レストランなんですが、打ち合わせを編集の方とされてたらしいんですが、両方とも東口で、住所は、

キンカ堂は南池袋1の24の5

ホワイトベアは1の22の2

非常に近いんですね。

今は両方ともお店はないんですけれども、地図で比べてみますと、本当に近くて、駅のそばで、安房さんが通われていた場所があったんだな、というのが分かりました。

それから、安房さんが本当に手芸をお好きだったのだなと思ったのは、今回の「ひぐれのお客」の中の生地の説明でですね、カシミヤのマントに裏をつけるのには、どんな布にしようかな、という時にあすなろ書房版の13ページに「ベンべルグ」という言葉が出てくるんです。

この「ベンべルグ」というのは旭化成という繊維メーカーが開発した布地の商標名なんですね。

ネムリ堂 キュプラのブランド名ですよね。

香りと文学m.Aida  そうですね。キュプラっていうのはですね、綿の種の周りについている産毛を糸にして作ったものなので、自然素材って言えば自然素材なんですけれども、カシミアや絹のような感じではない、絹には劣るということで、ここでわざわざそれを出してきて、安房さんこだわってるんですよね。

ネムリ堂 面白いですよね。

香りと文学m.Aida  こういうふうに書くっていうのは、やっぱりこだわりがあったんだな、と。ご自分が手芸されてて、生地なんかも見ていらしたと思うんですよね。実際に手に取って見ることもあったと思うんです。

裏地とかもいろんなものがある、そういうのがこの童話の中に出てくるっていうのも、「ベンベルグ」っていう具体名でっていうんですかね、それがちょっと面白いなと思いました。

ネムリ堂 「ベンベルグ」っていうのはキュプラのブランド名であって、よくスーツの裏地に使用することが多いそうなんですね。ある意味「絹の偽物」みたいなもので、使い勝手はすごくいいみたいなんですけれども。シルクに似たような「シルクの偽物」みたいな立ち位置だったのかな。ベンベルグっていうのをちょっと調べてみたらそんなことが書いてありました。

あと、キンカ堂のお話なんですけど、キンカ堂っていうのは何階建てぐらいの建物だったんですか。

香りと文学m.Aida  確か2階か3階だったと思うんですけど。

ネムリ堂 2階か3階ぐらい。割と広いんですか。

香りと文学m.Aida  蒲田のユザワ屋みたいな感じだったかな。割と、ギュギュッと、店内が広いというよりはぎゅうぎゅうに詰まっているのが、2階、3階になっている…。

すいません。はっきり覚えていなくて調べれば出てくると思います。とにかく1階建てではなかったと思います。

ネムリ堂 そうなんですね。

香りと文学m.Aida  毛糸が、とにかく有名でした。私が行ってたってすごい、何十年も前ですが。

ネムリ堂 すごい。キンカ堂は今はないそうなので、すごく貴重な情報ありがとうございます。

(後注・Planethandさんから補足説明をいただきました。

キンカ堂は本館と向かいに別館があって、売り場2階か3階まであって、生地や資材だけではなくて、洋服肌着もあり、手頃で種類が豊富だったから、少ないお小遣いでおしゃれがしたくていつも寄っていました(笑)

教室スペースもあって、閉店した際に「キンカ堂さんありがとう」という手紙が後から後から貼られ続けてニュースになっていたはずです)

 

ネムリ堂 ありがとうございました。あと、裏地の話が出たので裏地の話もちょっとお話ししようかと思うんですけれども。結構安房さんの作品、裏地とかマントへのこだわりが見えるような作品がいくつかあって、

「きいろいマント」

「マントをきたくまのこ」(未収録)

「空にうかんだエレベーター」

「ふしぎな青いボタン」

「山男のたてごと」(未収録)

「鏡の中」(未収録)

三日月村の黒猫」

「星のこおる夜」

「きいろいマント」という作品があったり、「マントをきたくまのこ」や、「空にうかんだエレベーター」にもマントが出てくるし、「ふしぎな青いボタン」「三日月村の黒猫」「星のこおる夜」にもマントが出てくる。あと単行本未収録なんですが、「山男のたてごと」にもマントが重要なモチーフとして出てくるんですね。

それからもう一つ、単行本未収録の「鏡の中」という作品があるんですが、こちらも裏地のお話であって、「ひぐれのお客」と「鏡の中」両方ともすごくマントの裏地にこだわられていたということが面白いなと思いました。

江戸時代に、羽織の裏にこだわるのが流行って、幕府による贅沢禁止令が出されたことから生まれた、庶民の隠れたおしゃれとして、羽織の裏へのこだわりというのがあったんですけど、そのような粋な黒猫だなっていうのも面白かったです。

 

安房さんのマント

ネムリ堂 安房さんのお姉さまから安房さんのマントのことについてこの間お伺いして、そのお返事をいただいたので、gentle.finger.windowさん、こちらのご紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

gentle.finger.window 安房直子さんのお姉さまからいただいた安房直子さんのマントについてのお話なんですが、ご紹介いたします。

【直子さんが着ていた久留米絣のマントの事ですが多分裏地も紺系の色だったと思います、亡くなった時に叔母から(直子さんの)お方見(お形見)として私が貰ったマントはモスグリーン色のウール地で裏地もモスグリーンのつるつるしたサテン地でこれは温かくて今も冬になると羽織っております。裏地は無地で模様はありません。】

ということです。

ネムリ堂 なんかね、すごい貴重なお話を伺っちゃって。

gentle.finger.window そうですよね。久留米絣のマントっていうのは今一つイメージが…。絣だから、ちょっとガサガサした感じなんですかね。

ネムリ堂 多分雪模様みたいな、ちょっと白いほとほと雪が飛び散っているような模様のマントが写真に残ってますよね。『こみち』の3号に掲載の写真に、安房さんの久留米絣のマントのお姿の写真があるんですが、それを見てみると、ちょっと雪模様みたいな感じのマントで。で、裏地については、先日、ライラック通りの会の読書会がありまして、その時に参加者の方が、安房さんのマントの裏地は何だったんでしょうねっていうご感想をくださったので…。それで裏地は何かっていうのを、安房さんのお姉さんにお聞きすることができてよかったです。

あと、その久留米絣のマントだけでなく、モスグリーンのマントも安房さんの形見として、安房さんのお義母様からお姉様がいただいたということで、モスグリーンのマントも安房さんはお持ちだったんだなっていうのも、すごい貴重な証言だと思いました。

gentle.finger.window 今、そんなにマントを活用してらっしゃるとか、着てる方って、そこまで見ないですけど、この時代は結構普通に着てたんですかね。

ネムリ堂 前に南塚直子さんのお話会で、安房さんのマントのお話が出たんですけれども、

「当時としてはマントっていうのはすごく目立つ装いだったのにもかかわらず、安房さんはあんなに引っ込み次第なのにマントを羽織っていらした」

っていうようなことをおっしゃってたから、決してすごくポピュラーなものでもなかったんじゃないかなっていう印象がありましたね。それでも安房さんはお気に入りでマントを羽織っていらしたようだったので…。

でも今よりはマントっていうのは身近だったかもしれないですよね。それでも、当時としても、ちょっと古風な姿だったかもしれない。

gentle.finger.window 着物を着ると、必ず外出かけるとき、羽織りを一枚羽織るので、絣の羽織りとかその感覚でマントなのかなと思って。

私の中でマントって言うと、温かいウール地の、それこそ安房さんのお姉さまがお持ちだったウール地のものをイメージしたんですけれど、久留米絣のマントっていうのが、要は本当に着物の上に着る羽織みたいな感じで…。安房さん、そんな風に着てらしたのかなって。それだったら着やすいっていうか。

ネムリ堂 そうですね。お着物にも合わせられるし、洋装の時もマントを羽織っていらしたみたいだったからそうなんですかね。ありがとうございます。

 

糸や裏地を売ってるお店

ネムリ堂 あと、kurina1412さんからもご寄稿いただいてますので、そちらについてもご紹介お願いしますか。

gentle.finger.window お寄せいただいたご感想をご紹介しますね。kurina1412さんからのご感想です。

【物語の舞台が、裏通りにある小さな「ボタンや、糸や裏地を売っているお店」というところが好きです。布地屋さんではないんですよね。あくまで裏地。この物語、猫がマントをあつらえに来ただけなら、ありきたりだったと思います。マントの裏地だからこそ、秘密めいた魅力があり、粋なお洒落にこだわる猫や、堅実で手仕事の価値を知っている山中さんのキャラクターが生き生きと感じられます。夕食のお呼ばれしない終わり方も、面白いです。】

ネムリ堂 そうですね。kurina1412さん、どうもありがとうございました

gentle.finger.window 私、このご感想、拝見してて、裏地屋さんっていうのがそもそもあるのかなって思って。あったんですかね。糸と裏地を売っているお店。

ネムリ堂 手芸屋さんというよりも、もうちょっと規模が小さい感じのお店ってことなんじゃないですか。小間物屋さんみたいな。

gentle.finger.window 布と裏地って、やっぱりお店が違うものなんですかね。私はあまり手芸屋さんに詳しくないのでm.Àidaさんに聞きたいです。

ネムリ堂 ymstさんも手芸されるそうなので、ymstさんにもちょっとお伺いしたいですね。どうなんでしょう。ymstさん、糸や裏地を売ってるお店って、この作品ではあえて書かれてるんですけれども、どうなんでしょう。全然詳しくなくて、

ymst 今、布地屋さんにはボタンも何もかも売ってるとは思うんですよね。ですけど、なんかこのちょっと小じんまりした…、なんていうんだろうな。専門とか職人のようなお店のような気がしてて。

ネムリ堂 職人さんが片手間にやってるじゃないけど、なんかちょっと専門的な小さいお店ってことですよね。

ymst そうです。よく、例えば着物でも、その部品だけ作る専門の人っているじゃないですか。

ネムリ堂 そうですよね。

ymst そんな感じで、お洋服の本体を作るのは別のお店で、裏地とかボタンとか、パーツ専門の職人のような…。勝手にそんな風に思ってました。

それが現在もそういうお店があるかって言われたらちょっとわからないですけど、なんか、物語の中でそんなお店があるんじゃないかなって思ってました。

ネムリ堂 そうなんですね。そっか、そういうことですね。

m.Àidaさん、いかがですか。手芸屋さんというものの中のこの中で、あえて「裏通りにある小さなボタンや糸や裏地を売ってるお店」って書かれてることについて。

香りと文学m.Aida  私も、今伺ったようなことだと思います。ボタンや糸とか裏地っていうのは後から付け替えたりとかもします。なので、予備の品というかそういったものを売ってるお店なのかなとちょっと思いました。

ネムリ堂 ちょっと修理するにも、ちょっと行ってこようみたいな。そういうふうに便利に使えるようなお店なんでしょうかね。

香りと文学m.Aida  裏地とかの、ほつれて破けてしまった時に、そこに行って同じものを買ってきて付け替えたりとかするような。糸なんかもそうですよね。後から、ボタンが1個なくても、そこに行って買い足すみたいな感じで、そういうイメージのお店じゃないかと私は思いました。

ymst 裏地っていうところがあれなんですけど、ボタンとかリボンとかだけ売ってるお店っていうのはありますよね。渋谷の方とかにフランスのお店があって、わざわざ行ったりしたことあります。

香りと文学m.Aida  私も行ってました、多分(笑)。

 

ミシン、仕立て屋の安房作品

ネムリ堂 安房さんの作品、そういったような手芸を扱ってるっていうよりも、ミシンとか仕立て屋のお話がたくさんあって、ミシンっていうのが題名にあるものだと、未収録作品になりますけど「小さな小さなミシン」っていう猫がミシンになっちゃうというお話があったりとか、あとは「歌を歌うミシン」(単行本未収録)という作品があったりとか。あとは仕立て屋さんやミシンを扱う作品としては、

「野の音」

「海の口笛」

「きいろいマント」

「だんまりうさぎと黄色いかさ」

であったり、いろいろとミシンや手芸、仕立て屋さんのお話がたくさんあるかと思います。

ymstさん、手芸をご自分でされるということで、先生に習ったことがあるっておっしゃってたんですけど、ちょっとそのお話もお聞かせいただいてもいいですか。

ymst そうですね。洋服作りではないんですけれど、昔パッチワークとかをよく習って作ってたんですよね。

そのパッチワークのお店っていうか、教室っていうのが当時すごいたくさんあって、一時期流行ったんですかね、カントリーみたいなところがすごいたくさんあったんですけど、この先生がいいって思ったのは「色」だったんですよね。色合いがどこにもない色合いだったんですよ。

ネムリ堂 まさに、「ひぐれのお客」のためのようなお話。

ymst なんていうのかな、その先生に教わったことが、その配色に迷った時に「自然の中から配色を見つける」っていう風に先生が言ってて、それはどういうことかというと、例えば花と葉っぱの色を合わせると間違いないとか、土と茎の色を合わせると間違いないとか、そういうことなんだけれど、それも、ただ赤と緑とかそういうことじゃなくて、この花にはこんな緑の葉っぱとか。全部色合いが違うんですよね。

ネムリ堂 すごいですね。これこそ本当、猫が言ってたような、いろんな赤があり、いろんな緑があり、っていう話と響き合ってきますね

ymst そうなんです。例えば赤いチューリップがあったら、この赤いチューリップにはこんな葉っぱとかっていう組み合わせの妙なわけで、だから本当に色って、微妙なところで大間違いになっちゃったりするんですよ。

特にパッチワークの中だったら、隣同士にいろんな色が来るので、すごくぐちゃぐちゃになっちゃうのをまとめるにはバランスなんですよね。

私もう一つバランスって思ったのが、表地と裏地のバランス。

ネムリ堂 裏地の話ですね。

ymst 表地が上等のカシミヤを使ってるわけですよね。多分上等のカシミヤっていうことにすごく誇りを持って使ってると思うんだけど、そうすると「裏」がさっき言ったシルクの偽物では絶対嫌だったと思うんですよね。

ネムリ堂 釣り合いが取れないんですね。カシミヤのための釣り合いとしては、使い勝手とか、洗えるとか、そんなことじゃなくて、「絹」じゃなきゃダメってことですね。

ymst シルク100%でお願いしますっていうのは、そういうこともあるんじゃないかと思ってて、まず質はね。

そこに裏地っていうのが、やっぱりすごい寒いからつけたいわけですよね。寒い予定だから。

「シベリア寒気団」って何ですか。寒そうですよね。

ネムリ堂 必ず冬になるとやってくる、「冬将軍」って言われるものが、「シベリア寒気団」にあたるものと同じものだそうです。

(後注・シベリア気団…秋から冬にかけてシベリアや中国東北部で発生する、冷たく乾燥した気団。冬、この気団が日本列島をおおうと北西の季節風が吹き、日本海側に大雪を降らす。)

ymst 私も北国に住んでるので寒いんですけど、ツルツルしたシルクって冷たくないのかなってちょっと思ったりね。

ネムリ堂 シルクはあれじゃないですか。しっとり温かくなりませんか。

ymst なるんだけど、一旦冷たくないですか。シルクって。

ネムリ堂 体温がすぐ移って、すぐしっとり温かくなるようなイメージがありますけど、違いますかね。

gentle.finger.window なんか、着物を着てて、着物の着付けの先生とかもそう言うんですけど、やっぱり正絹の着物…絹100%着物って、やっぱり肌触りが良くって、確かに体温が布に、自分の体の温度がこう、ぬくもりが移る、移ってくれる。今だったら洗える着物が流行ってるんですけど、要はポリエステルで、ポリエステルの着物なんですよね。それはまさにここの裏地の話で出てくるように、先生たちよくシャラシャラしてて肌触りが悪いから、「やっぱり正絹の着物じゃないと」、って必ず言うんですよ。

ネムリ堂 すごい。猫と同じこと言ってますね。

gentle.finger.window 猫と、ここに出てくるものも、いつも「着物」の話みたいだなって。

ネムリ堂 ですよね。なんかマントの裏地の話も、羽織の裏にこだわってるのと同じような感じがしますね

gentle.finger.window そうですね。着物もやっぱり裏にこだわりますよね。袷っていうと、必ず裏にもものすごくこだわるので。

ymst チラッと見えたりするから、余計おしゃれですよね。変な話だけど、学ランとかもそうじゃないですか。表にはなにもないけど、ちょっと広げたらすごい(笑)

Planethand 裏地についてなんですけど、私は、キンカ堂によく行ってたんですけど、素晴らしい昔のお洋服って裏地がないっていうのが、かえって珍しいと思うんですよ。今よりもお洋服をすごく大事にしていて、着物もそうだと思うんですけど、表地を傷めないっていう意味の…

ネムリ堂 表地を傷めないための裏地…。

Planethand そうですね、裏地がないっていう方がかえって珍しい。今の洋服の方が簡便化してるので、裏地がないお洋服の方が多いと思うんですけど、昔は裏地がないっていう方が多分珍しかったんだと思うんですよね。それはシルクであるとか、カシミヤであるとかを傷めないとかあとをつけないとか、そういうことがあるんだと思うんですよね。だからやっぱり裏だけ付け替えて、傷めたら裏だけ付け替えて、表の方を守る、長く使うっていう意味で、そういうのが生地を守る役目というか。

ネムリ堂 そうだったんですね。今とはちょっと違う価値観で、着物を大事にしていたというか、着るものをそんな風に大事に作っていたっていう。そういう時代だったわけですよね。

Planethand そうですね。肌なじみとかっていうのはもちろんあるんですけど、その生地を守るっていう意味で、擦れること、擦れたりするのを防ぐっていう意味じゃないかな、と。

gentle.finger.window そうです私、この間、単(ひとえ)の着物、夏用の単の着物を作ったんですけど、お尻の部分だけ、裏地っていうか、袷の裏を付けるんですよね。

ネムリ堂 そうなんですね。

gentle.finger.window 表が正絹で、座っちゃうと擦れたりして傷んじゃうので。

ネムリ堂 そういうこともあるんですね。お尻だけ破けちゃったら困るからちゃんと補強するわけですね。

Planethand パッチワークとかも、やっぱり専門の端切れのコーナーで色合わせをしたりとか、選ぶ楽しさみたいなものがやっぱりあると思うんですけど、最後、生地をはたきにするまで、裂けるまで使うっていう。

ネムリ堂 そうですよね。始末よくってことですよね。昔は布は最後まで使いましたもんね。最後は本当オシメなり、雑巾にするなり、っていうところまで寿命を全うさせるようなそういう使い方をしましたね。

はい、ありがとうございます。

gentle.finger.window 裏地にこだわるって、そういう意味では、日本ならではの伝統なんですかね。

Planethand 「裏優り」っていう言葉はすごい素敵ですよ。

ネムリ堂 羽裏の話ですか。羽織の裏の。

Planethand そうです。

ネムリ堂 「裏優り」って言いますよね。ありがとうございます。

 

 

500円の価値

ネムリ堂 ちょっと脱線するんですが、500円で猫が絹の生地を買っていくじゃないですか。それで1980年代の価値はどんなのかっていうのを、ちょっと調べてみたんですよ。

現在だと1.1m×33cmの正絹を買うとしたら、700円から3600円ぐらいまで幅があるみたいなんですね。多分、絹のグレードによるんだと思うんですけど。

シルクサテンの場合は500円から1800円ぐらい。

1980年頃の正絹の価値っていうのが、だいたい、

1.1m×33cmだと、推定約300円から5000円ぐらいみたいなんです。

これはAIに調べてもらいました。

1980年代の500円というのは、今でいうとだいたい1000円から1250円ぐらいの価値があるそうです。

ちなみに具体的には、1980年代の

コーヒー1杯が150円から250円、

ラーメン1杯が300円、

ビッグマックが300円だった。

だから、ラーメンやビッグマックよりも高い裏地を、猫は買ってたっていう。そういうことが分かりました。

どうでしょうか。

gentle.finger.window 1m×33cm、33cmを買ってるんですよね。そんなに大きくないような気がするんですけど、猫どれくらい大きさだったのか…

ネムリ堂 もしかして33cmとしか書いてないから33cm×33cmの正方形買ったかもしれないですよね。

でも、それはちっちゃいなと思って。だから裏地だから、ちょっと多めに買ってたかわかんないけど。

gentle.finger.window 絵で見てるだけなので、なんとなく大きい猫想像しちゃってたんですけど、普通の猫のサイズだったんですね。

ymst 私もそれすごい思ったんですよね。33cmっていうのを見て、あ、猫だな、と思って。

gentle.finger.window 勝手に大きい猫を想像してたんですけど。

ymst なんかね人と対等に話してたからなんか大きい感じがしてたのが、そのフレーズで急にシューっと…、あ、猫だな、と思って。

ちょっと扇形に切ったりするんじゃないかなと思って、33cmでも多分満杯に使わないっていうか、ちょっと無駄が出るようなぐらい使う…

Planethand 布地は、幅が90cmとか120cmとかが結構多くて70cmとかもあるんですけど。

ネムリ堂 幅×33cm。

Planethand そうですね。半円に使ってるはずだから、やっぱりちょっとこう余りは出るんだろうなっていう感じです。

ネムリ堂 なるほど。じゃあ、それはパッチワークに使ってるかもしれませんね。

ymst シルクなんで、使ってるかどうかは…(笑)

ネムリ堂 そうか。(笑)

Planethand フードが付いてるかもしれないから、フードなんかで使ってるかもしれない。

ネムリ堂 フードもあるかもしれませんよね。さすが、洋服の現場におられた方のお話は違う。ありがとうございます。

 

色の共感覚

ネムリ堂 この作品なんですけど、布の色だけでなく共感覚というか、目で見える色であったり、音であったり、匂い、手触り、味、感情や温度などが、全部一つの色から感じるという、そういうお話でもあると思うんですね。

そういう「発見」の物語だと思うんですよ。

「どの色も、どの色も、今は静かに眠っていますけれども、取り出して広げてみればみんなそれぞれの歌と香りを持っているように思われました」っていうようなことが書いてある。そういうお話ですよね。

薪ストーブの赤の裏地は、まず焚き木の燃える音として、音と一緒に赤が感じられると。また乾いた木の匂い、嗅覚ですね。あと、ほんのりといい感じに温かいということで、触覚や温度。とろとろと静かに揺らめくものが見えるということで、視覚や温度。落ち着いて優しい色ですね、ということで、感情をも感じさせる。そういうようなものを感じさせる色だということが安房さんの作品からは発見があると思います。

他にも、オレンジがかった赤の裏地ですとか、ピンクがかった赤の裏地ですとか、紫がかった赤の裏地ですとか、あと青や黄色や緑ですね。それもそれぞれの色々な温度、視覚、触覚、嗅覚、味覚、感情、温度、いろいろなものを感じさせる、そういうお話だと思うんですね。

そのことについて、kurina1412さんからご寄稿いただいていますので、gentle.finger.windowさん、ご紹介をお願いしてもよろしいですか、

gentle.finger.window はい。kurina1412さんからのいただいたご感想です。

安房さんの作品の魅力の一つである豊かな色彩が堪能できる作品です。ただ裏地を見比べるだけでなく、猫がなめるという小さな魔法の手順を踏む部分が安房さんの作品ならでは。色の違いを視覚からだけでなく、手ざわりや、音を聞くことでとらえる感性が、素敵です】

ということです。

ネムリ堂 ありがとうございます。

 

小さな日常の魔法の物語

ネムリ堂 yamamomoさんからもご寄稿いただいておりまして、こちら私の方から紹介させていただきます。

【「色って言うのは、ふしぎなものだな」
薪ストーブ色の裏地の買い物に満足した猫が帰ったあと、山中さんは店の中にあふれるたくさんの裏地の色を眺める。平凡な裏通りの小さな店の中に繰り広げられた豊かな世界、今まで知らなかった、それぞれの色彩のもつ無限の物語の世界に心を開かれた思い。店の風景が突然いきいきと新しい世界の豊饒として目の前に開かれているのに気づくのだ。
とても楽しい気持ちになって、山中さんは、猫と一緒にその色彩の世界をひとつひとつためしてみたいなあ、と、そのとき猫にご馳走するブイヤベースのことをもう考えているのである。

 *** ***

これは、例えば「白いおうむの森」とは対極にある作品群であるといえる。
自然や異界の持つ底知れぬ怖さから離れたところにふわりと浮かんでいるいつもの優しい日常の中に、人間の暮らしの中にひっそりと紛れて暮らしている猫やねずみや植物たちの、豊かな世界が存在している。世界を彩ってくれる小さな優しい物語の魔法。】

ということです。

このように優しい日常の魔法の物語として、この「ひぐれのお客」を解説してくださっています。

それの対極にある作品として、「白いおうむの森」を例として挙げておられるんですけれども、こちらについてはyamamomoさん、さらにこんなように書かれています。

【「魔」としてひきこんでしまう自然や人の思いの切なさの織りなす世界のその胸を打つ切なさ美しさ恐ろしさ。】

yamamomoさん、優しい日常の魔法の物語として、「ひぐれのお客」については、このように書かれています。

【対立、恐怖ではなく、ただ共に生きる、そのこころの助けとなってくれる。豊かな楽しい魔法を持ちながら互いに助け合い、トモダチになれる関係性の中で、世界の楽しさ不思議の豊かさを繰り広げてくる方向に特化している】

こうした日常の魔法の物語の例として

グラタンおばあさんとまほうのアヒル

ふしぎなシャベル、

小さな金の針、

海からの電話、

夢見るトランク、

黄色いスカーフ、

ゆきひらの話、

などを例としてあげてくださっています。

yamamomoさん、ありがとうございました。

yamamomoさんの論考はこの後もまだまだ続くんですけれども、そちらは冊子になった時に全文ぜひお読みいただければと思います。

このように「ひぐれのお客」、日暮れという、昼と夜の狭間に、異界に誘われる時間に、小さなお客が訪ねてくる、そういうお話ですね。

「ひぐれのお客」の他にも、安房さんの作品には、ひぐれという単語を使ったタイトルの作品がいくつかありまして、

ひぐれのラッパ

ひぐれのひまわり

日暮れの海の物語。

この4つの作品が、あえて、ひぐれとタイトルに冠している、そういう作品たちです。

どれも、昼と夜の狭間に小さなお客が訪ねてきたり、不思議な出来事が起こったり、そういうお話になっています。

 

「空色のゆりいす」、色へのこだわり

ネムリ堂 あとちょっとまたお話が元に戻るんですけれども、色がテーマの作品として、「空色のゆりいす」という作品もあると思うんですね。

「空色のゆりいす」は、目の見えない女の子が風の子に色を教えてもらう。まず、空の色、あと、花の色の赤、そして海の色の水色を教えてもらうという、そういうお話なんですけれども。

こちらゆりいすに座ると、そこに塗った空の色を「体験」できるという、単純な視覚だけではない、空そのものの存在を体験できる、そういうお話なんですね。

また、花の色については、こちらも「ひぐれのお客」と同じようにただ色だけではなくて、赤い赤いばらの中の、ばらの匂いであったり、赤という色を「あたたかい厚いひざかけのような色」としてそのように表現して、手触りですとか、温度ですとかを、そういうものと色を一緒に表現してますね。

あと、「シレソの和音のような色「心にしんしんしみる色」というように赤を表現してます。

この「空色のゆりいす」の中では、赤自体は、一晩経って荒れ果てたばら園が色のない絵のように浮かんでくるようなところだけが女の子には見えて、実際のゆりいすは一晩で赤い絵の具が色あせていたという、そういうお話になっています。

最後の海の色の水色なんですけれども、こちらは、風の子はその色をもらってくることには成功せず、その代わりに歌を海から習ってきます。この歌を聞くことによって暖かい真っ青な青の海の広がりで温度や視覚、波の輝きや遠い水平線、かすかな潮の匂いまでわかるということで、目で見えるものだけでなく、匂いまで、音楽によってその海の歌によって、海そのものの存在を体験することができる。そういうお話かと思います。

gentle.finger.window 安房さんの物語、色にこだわりを持ったものが結構ありますよね。

ネムリ堂 そうですね。

gentle.finger.window 私、そこも思うんですけど、色にこだわりがあるというか、同じ赤でもたくさんの種類の赤が見えてる。同じ青でもたくさんの種類の青が見えてて、それぞれに、この青はこういうイメージ、とか、こういう意味があるとか、目に浮かぶ色んな青、色んな赤が…、音楽で絶対音感ってあるじゃないですか、それと同じような感じで、絶対色彩感じゃないけど絶対色感―そういうのあるのかなって。同じ赤でもたくさんの赤が見えて、それぞれの赤がこの赤はこれ。この赤はこれ、ってパッとイメージができて、それを言葉にできる。

安房さんってそういう絶対の感覚じゃないけど、他の物語いろいろ見ていても、色に対してこだわりがあるし、その色が意味を持ってたりするし、それをうまく言葉にできてて、私たちがイメージできる。絵を描く人も、それをイメージして描きたくなる。そういうのあるのかなって。

ネムリ堂 ちょっと違うかもしれませんけど、アルチュール・ランボーなんかは、アルファベットに「色」がついてるっていう詩を書いてますね。実際本人も言葉を発するときに、色が見えていたそうで、その色を一緒に思い浮かべながら詩を書いてた。

(後注・『イリュミナシオン』(Les Illuminations)という散文詩集のなかの「母音」という詩です。Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oはブルー。)

gentle.finger.window わかります。それに近い感覚を私、安房さんの物語をいろいろ読んでて思いました。安房さん、そういうのが見える人っていうか、感じられる人。

Planethand 具体的に赤だったらこういう赤、っていうのもあるんですけど、4月の森の色とか8月の森の色ってちょっとふんわりした表現。4月の森の色ってなんだろうって思うと、やっぱりそれでもちゃんと浮かんでくるっていうか、それぞれの人の中に委ねられるっていうか。

すごく明快に、この赤は暖炉の色で、この青は空の色でっていう部分もあったかと思えば、そういうふうにふんわりとその人それぞれに委ねられる色のところがすごいあるんですよね。

ネムリ堂 お話の最後でそういう風に、4月の森の色だったり、8月でしたっけ、お話の最後の部分ですよね。だから、お話が、結局読者に最後、委ねられておしまいになって、開かれた終わり方をしてるっていう。そういうことでもあるかなって思います。

Planethand なるほど。感情まで届くような色の表現をするっていうのは、本当にびっくりですよね。

ネムリ堂 すごいですよね。そこは本当に素晴らしい。

安房さんが「空色のゆりいす」を書いていた頃のエッセイなんですけれども、ご自分の文章だけで、色も匂いもその風景そのものをね、「全部ありありと感じさせたい」っていうようなことを書いてるんですよ。「だから私の作品には挿し絵はいらない」って、最初はそんなようなこともエッセイでおっしゃってたんですね。

だからそれだけ文章力に頼むところがあったというか、文章だけの力で想像力を喚起させる、読者に風景を呼び起こすような、そういうことをすごくこだわって描かれてた方だったようです。

gentle.finger.window 絵を描く人でも、普通に私たちが、絵の才能がない人と違って、写真みたいに絵描ける人っているじゃないですか。筆一本で本物みたいに描ける人、同じように文、言葉でそれができる人が安房さんだったのかもしれないし、色とか、目に見えるものの捉え方が才能なんでしょうけど…

Planethand 漫画家さんで、ラフストーリーを作るときに、まずコマ割りをしたあとで、絵を描く前に全部字で書くそうなんですよ。ずーっと全部書いていって、最終的に絵で描ける部分だけ残して。絵で伝えられる部分は全部絵で伝えて、もうその文字をどんどんどんどん削っていって、絵で伝えきれない、最後に残された文字だけを、中にセリフとして残していったりするんですって。

ネムリ堂 すごいですね。

Planethand 絵を描かれる方は逆に、そうやって、自分の表現したいものを文字から起こしていって、文字を削っていくみたいな。そういうのもあるみたいですね。

ネムリ堂 なるほどね。ちなみにその漫画家さんはどなたなんですか?

Planethand ヤマザキマリさん。

ネムリ堂 ヤマザキマリさん、『テルマエ・ロマエ』の。

Planethand ヤマザキマリさんと萩尾望都さんの特集で。

ネムリ堂 面白いですね。

gentle.finger.window だから安房さんの物語で絵を描きたいとか、作品作りたいっていうアーティストの方、たくさんいらっしゃるのかもしれないですね。

ネムリ堂 そうですね。

Planethand それは皆さんちょっと違うところがまた面白いですよね。

香りと文学m.Aida  ちょっとよろしいでしょうか

ネムリ堂 はい、どうぞ。

香りと文学m.Aida  安房さんの物語の作り方ですとか文章力についてなんですが、安房さんは大学の卒業論文源氏物語の研究をされたんですね。

その卒業論文は非常に優秀だということで日本女子大の図書館に行くと読むことができるんですけれども。

ネムリ堂 賞を取られましたよね。

(後注・この卒論が認められ、日本女子大学創立者の名を冠した「成瀬記念奨学金」を、授与された。」

 

香りと文学m.Aida  源氏物語の何をテーマにして研究されたかといいますと、宇治十帖で描かれる自然描写ですよね。

それを非常に細かく拾い上げて分析をされていまして、源氏物語もほぼ当時は文章だけで表現して相手に伝えるという形だったので、そうやってこと細かに研究することによって、後のご自分の創作にも非常に活かすことができたというふうに、冊子『安房直子さんと海賊』(花豆の会 2003年刊行)の中でも書かれてまして、そういった研究によって、もちろん先生の指導もあったと思うんですが、自分でもそういった努力もされていて、研究をされていたものをうまくこなして作品に昇華させていたのではないかなと思いました。

特に、自然描写に着目していたってところが、安房さんの作品には自然がいっぱい出てくるので、非常につながりがあるのかなと思いました。

ネムリ堂 卒論の中だと、どんなふうに作者が作品の中で自然を見せるかということに結構着目して書かれていて、非常に分析的ですよね。

香りと文学m.Aida  本当にそうなので、論になっててちょっとびっくりしました。機会がありましたら、皆さんに読んでいただきたいです。

ネムリ堂 そうですね。ありがとうございます。他に、「色」についてのお話、いかがでしょうか。

Planethand なんか色から受ける感情っていうのは、やっぱり昔と今とは少しずつ変わってくるものなんですかね。それともずっと普遍的にっていうか、感じるところは一緒なものなんですかね。

ネムリ堂 やっぱり、文化によって、外国での色の感じ方と日本の色の感じ方は、文化によって違うように、その時の背景とかが違ってくるのでは。例えば黄色っていうものが外国ではユダヤ人を表してたりして、あまり良くない色として扱われてたりするじゃないですか。また、赤毛の赤がキリスト教でのユダの髪の毛の色だから赤毛は嫌うとか、そういうようなキリスト教的な背景と日本の「赤」とはまた違う意味があるかもしれないですよね。

そういうことはあるんじゃないかなと思いますけど、今と昔とどう違うかってなっちゃうと、やっぱり価値観とか昔感じられてたことが今となってはあまり価値を持たなくなってくるとか、そういうことはあるかもしれないなってちょっと思いました。どうでしょうかね。

Planethand そうですね。そういうふうに押さえていると、自分の感覚と時代とかっていうものをちょっと意識して感じたくなりますね。

ネムリ堂 ただそうですね。やっぱり安房さんが青という色に感じていたものは、そのままどんなふうに感じていたかということが読んでいて伝わってくるから、そのことによって私たちの価値観を、そして、また新たに子どもたちの価値観を、作っていくっていうようなこともあるんじゃないかなと思ったりもします。

Planethand 安房さんの持つ感覚っていうのは、やっぱりどこか現代にすごく近い部分があって、だからこそ共感を呼ぶようなところがあるので、ちょっと時代的に違うっていうものはあるのかもしれないけど、すごく身近に感じたり、発見させてくれたりすることが多いですね。やっぱりね。

ネムリ堂 今読んでも、そのビビッドな感覚が伝わってきますよね。ありがとうございます。

 

★「赤」の物語

ネムリ堂 「赤」の物語」として、この「ひぐれのお客」を捉えたアロマスタイルさんからのご寄稿を、gentle.finger.windowさんご紹介いただいてもよろしいでしょうか。

gentle.finger.window アロマスタイルさんからのご寄稿をご紹介します。

【作品のテーマカラーは「赤」かなと思い

安房直子さんのエッセイ

・1978年 未明童話の中の赤(単行本未収録作品集⑥)

・1983年 惹かれる色(安房直子コレクション①)も読み返してみました

エッセイによると 好きな色は青系だけれど 今一番 興味をもち 心ひかれているのは「赤」という色 赤は不思議な色  

明るく あたたかい色でもあり たとえようもなく暗く悲しい色 不吉な感じ

小川未明の作品を読んでからは

「はなやかな色 明るい色」から

「深い悲しみ 不気味な暗さ 呪詛のようにこめられている」

「あたたかさ はげしさ 悲しみ よろこび 吉と不吉 妖気 暗い不吉 目にしみるように美しい 正反対のいくつものイメージ」を感じるようになったという安房直子さん そこから安房直子さんの「赤」が印象的な物語を書き出して 悩みながら 私なりに分類してみました 

★ストーブの赤

(ひぐれのお客)(わるくちのすきな女の子)

(火影の夢)(ひめねずみとガラスのストーブ)

★はげしさ 怒りの赤

(わるくちのすきな女の子)

★灯り 目印としての赤 予感

(雪窓)(熊の火)(水あかり)(ある雪の夜のはなし)

(鶴の家)(エプロンをかけためんどり)

★かわいらしい あたたかい赤 元気 勇気 

(しいちゃんと赤い毛糸)(きつね山の赤い花)

(赤いばらのかさ)(初雪のふる日)

(だんまりうさぎ)(赤いスカーフ)

 

★悲しみ さみしさの赤 予感

(ねがい)(水あかり)(鳥にさらわれた娘)

★美しさ あたたかさ 別れ 悲しい結末 さみしさ(正反対のいくつものイメージ)

(熊の火)(水あかり)(赤い魚)

(エプロンをかけためんどり)

(赤いばらの橋)(鳥にさらわれた娘)

(ひめねずみとガラスのストーブ)(空色のゆりいす)

★妖しく美しい赤

(緑の蝶)

★吉と不吉

(赤い魚)

まだ不十分な分類ですが 安房直子さんの物語に登場する色彩の分類は 全色いつか挑戦してみたいなあと思っています】

ネムリ堂 はいありがとうございました。ぜひ、全色分類していただいて結果をお知らせください。

gentle.finger.window 面白い研究ですね。ぜひ伺いたいです。

ネムリ堂 私はプラスして、「さびしい色としての赤」もあるんじゃないかなと思って拝見しました。

例えば「夕日の国」の赤ですとか、「もぐらのほった深い井戸」、「エプロンかけためんどり」の血のように赤い夕日ですとか、ひなげしの悲しくおそろしい赤い色とか、あと「大きな朴の木」のさびしい夕日みたいに、さびしい色としての赤もあってもいいかな、なんて思いました

はい。ありがとうございます。どうでしょう。タイトルに赤ってつけてる作品もいくつかありますもんね。面白いですね。

私も「赤」をちょっと分類してみたことがあって、その時はこういうふうにはげしさとかあかりとか、そういうふうに分類しないで、「植物の赤」とか「目の色」とか、「火」「太陽」「月」「魔法」「服飾」「ガラス玉・宝石」「血」みたいに、なんかもっと即物的に分類しちゃったんですけど…。そんな風に分類してみたことはあります。

 

はちみつ色

Planethand あとなんか安房さんの色の表現の仕方ってすごい最近面白いなと思ったのが「はちみつ色」っていう。あまり親しみがなかったので…。親しみがないっていうか「はちみつ色」っていう言葉自体がちょっと面白いなと思って。

ネムリ堂 結構、外国の翻訳された文章なんかに「蜂蜜色の髪の毛」とかでてくるような気がします。

Planethand 「蜂蜜色の髪の毛」って、すごく珍しく感じました。

ネムリ堂 うーん…私も、安房さんの文章で育ってるから、それで安房さんを吸収してあんまり不思議に思わなかっただけかもしれないですし…。でも翻訳文学には、蜂蜜色のなんたら、みたいなのが結構あったような気がしますけどね。金色と同義で。だから、日本の昔からの作品にはあるかわからないけれども。そうですね。

そういう「はちみつ色」っていうのだけで、ちょっと「青空文庫」などの全検索とかしてみたら面白いかもしれないですね。

Planethand いいですね。

(後注・「青空文庫全文検索の結果は、

・はちみつ色→1件 

「あのときの王子くん」サンテグジュペリ

・蜂蜜色→2件

「プロテウス島」ワインバームスタンリー・G 蜂蜜色の眼

「最愛の君」パイパーヘンリー・ビーム 蜂蜜色の髪

ヒットしたのは全て翻訳文学。日本の古典には無い表現かもしれません。)

 

Planethand 「山吹色」っていうのは、なんかしょっちゅう感じていたような気がするんですけど、黄色なんかで。

ネムリ堂 山吹はね。日本の花の色ですもんね。

Planethand 日本の方ですよね。

(後注・花のヤマブキは日本原産。『万葉集』にもたびたび登場するほど栽培の歴史は古く、古歌にも好んで詠まれ親しまれてきたそうです)

 

Planethand 色鉛筆の中で山吹色っていうのがなんか色の分類で一番親しみやすかったので…。本当に普通の子供だったので。

ネムリ堂 色鉛筆で「はちみつ色」はないですよね。でもあったら素敵ですね。「はちみつ色」っていうと猫の目の色ですよね。安房さんの話でよく出てくるの。

Planethand そうですね。

ネムリ堂 「おしゃべりなカーテン」だと猫が白と茶のまだらのおばあさん猫で目ははちみつ色、って出てきますし、あとは他には「春の窓」もまだらのはちみつ色の目の猫っていうのが出てきますね。はちみつ色はそのぐらいかな、

私の、安房さんの作品を色で分類した資料で、「はちみつ色」調べてみますね。ちょっと待ってくださいね。

Planethand なんか、猫の目の色の表現で、よく見かけてた気がします。安房さんのやつで。

ネムリ堂 そうですよね。はちみつ色…、はちみつ色はやっぱり3つしかないですね。

「春の窓」のまだらのはちみつ色の目の猫っていうのと、あと「おしゃべりなカーテン」の目ははちみつ色で白と茶のまだらのおばあさん猫っていうのがいて、あと、「三日月村の黒猫」に、はちみつ色に光る朝つゆのボタン、っていうのが出てきます。一応はちみつ色で、私が把握しているのはその3つの表現ですかね。3つしか無い…。

でも、それがすごくインパクトがあるってことですよね。それだけ覚えてるってことは。

Planethand そうですね

ネムリ堂 ですよね。

 

安房作品の中の猫

ネムリ堂 猫の話にちょっとそのままなだれ込んじゃうんですけど、安房作品の中の猫ちゃんっていろんな目の色でいろんな色の猫ちゃんがいて…

「ひぐれのお客」この中の猫ちゃんは真っ黒で、目はエメラルドの緑なんですね。

「まほうのあめだま」っていうのは、猫が主人公なんですけど、チローという猫の色は白。でもいもとようこさんの挿し絵はシャム猫模様なんですけど、文章では白って書かれてます。

「猫の結婚式」のギンは何色かちょっとわからなくて、チイ子の色は白で目はエメラルド色。

だから結構エメラルド色の目の猫が多いような気がしますね。

あと、「三日月村の黒猫」は片目の黒猫で、目は金色。

「春の窓」がまだらのはちみつ色の目の猫、

「ねこじゃらしの野原」っていう豆腐屋さんの方のお話は猫の名前がタロウで、茶色の猫で目は金茶。

もう一つの、単行本未収録の方の「ねこじゃらしの野原」の方は太った茶色の猫で、目はすばらしい金色の猫が出てきます。

「だれにも見えないベランダ」の猫は白猫で、目はオリーブのような緑、

「ふしぎなシャベル」は麦わら帽子の猫で、目の色には何も書かれていません。

「ゆめみるトランク」はまだらのメス猫です。

「おしゃべりなカーテン」では白と茶のまだらのおばあさん猫で、目ははちみつ色、真っ黒な若い猫の2匹の猫が出てきます。

「丘の上の小さな家」では、まだらの猫で黄色い目の猫が出てきます。

「ふしぎな文房具屋」ではミミちゃんという猫ちゃんが黒くて尻尾が長く、目はエメラルド。

「やさしいたんぽぽ」では白い子猫が出てきます。

安房さんのお姉さまに、猫についてもちょっとお伺いしたので、そちら、gentle.finger.windowさんご紹介お願いできますか

gentle.finger.window はい安房さんのお姉さまから伺った安房さんの家での猫の話ですね。

【私の家で飼っていた猫はどういう訳か何時も白と黒のぶちで鼻に黒いあざがありました。名前も何時も「コロ」でした。猫の目の色は覚えていませんが普通の猫の目でした。実は(直子さんの)養母の久子さんは犬や猫が嫌いでした。それを知っている直子さんは猫を飼ってくれと言えなかったようです。】

gentle.finger.window なんか、お姉さまのお宅にはよく行ってらしたんですかね。

ネムリ堂 お小さい頃は猫ちゃん撫でたり抱っこしたりしたんですかっていうのも聞いてみたんですけど、安房さんは、お姉さんの家に遊びに来た時は、猫ちゃんでよく遊んでました、みたいにおっしゃってました。

gentle.finger.window じゃあ、安房さんご自身は多分お好きだったんでしょうね。

ネムリ堂 多分、猫ちゃんお好きだったんでしょうね。

ただ、松谷みよ子さんが安房さんの文庫のあとがきに書かれてる文章にあったんですけれども、安房さんご自身は「ペットを飼うのはなんだか怖いようで、私は飼えません」っておっしゃってたようで、実際にご自身で飼ったりはしなかったようですね。

それは、小さい頃、ここにお姉さまがおっしゃってたように、お義母さまが犬や猫が嫌いだったということがあったからかもしれないんですけれども。

猫、いろんな猫がいますけど、どうでしょう、洋裁と黒猫の関係とかもちょっと面白いなと思ったんですけど。「三日月村の黒猫」と「ひぐれのお客」はどっちも真っ黒で、どっちも手芸の話であったりして。

gentle.finger.window そうですね。色によって猫の性格とか実際違うって言うじゃないですか。白い猫と黒い猫と色々。

ネムリ堂 違うらしいです。茶色い猫は人懐こくて、白い猫はちょっとツンケンしてて、みたいなこと言いますね。

gentle.finger.window 聞きますよね。安房さんのお話の中で何かあるんですかね。猫の種類や色。

ネムリ堂 白い猫とまだらの猫と黒い猫とがよく出てきますよね。

Planethand 黒い猫、ちょっと器用な感じがするんですかね。

ネムリ堂 黒猫はね魔女の使いだったりね。

gentle.finger.window あのう…、なんかこう三毛猫みたいなのってちょっと気さくなんですかね。気さくっていうか、親しみやすいんですかね。

ネムリ堂 ああ、まだらの猫ちゃんね。まだらっていうと、サビ猫なのかなと思ったんだけど…

gentle.finger.window あっ、サビ猫か。

ネムリ堂 でもわかんない。安房さんのお姉さんは、「自分ところの猫は白と黒のブチで」って書いてあるから、「まだら」ってもしかして「白と黒のブチ」のことを指してるのかもと思ったりして…。

安房さんがどんなような意味で「まだら」って使ったのかが今となっては分かんなくて残念だなって思うんですけど。

gentle.finger.window そうですね。まだら…。でもなんかサビ猫っぽい気もしないでもないけど…。

ネムリ堂 私の感覚で普通に考えると「まだら」って言うとサビ猫思い浮かべるけど、安房さんがまだらをどう使ってたのかが分からないな。

Planethand 茶色っていう表現もありますもんね。

ネムリ堂 茶色い猫も出てきますね。「ねこじゃらしの野原」って未収録の方では太った茶色い猫が出てきたりとか、あとは豆腐屋さんの「ねこじゃらしの野原」もこっちもタロウも茶色でしたね。

猫の一人称も、この「ひぐれのお客」だと、最初は「ぼく」って言って、そのうち「私」とか言ってて、もったいぶった感じで面白いんですけど、そこら辺についてアロマスタイルさんからご寄稿いただいてますので、gentle.finger.windowさん、ご紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

gentle.finger.window ご紹介します。

【「しぶいから中年向きだ」という山中さんの発言に対して さもけいべつしたよう「いけませんねえ そういう決め方は」と

たしなめる場面も好きです

はっきりきっぱりクールだけれど

(家内は洋裁学院の猫であることを話してくれたり カレーを食べずに帰るのは 味の好みの問題だけではなく 早く家に帰りたいからという気がしたりしています)

実は愛妻家なのではないかと感じさせる発言もお気に入りです】

ネムリ堂 ありがとうございます。面白いですね。

gentle.finger.window このお話聞くとなんか可愛いですね。

ネムリ堂 愛妻家っていうのは、私はこのアロマスタイルさんのお聞きして、そうだったのか、と思いました。

ありがとうございます。

では他にお話し足りないことがある方、いらっしゃいますか、今スピーカーになっている方でいかがでしょうか。

じゃあ時間ですので、そろそろ今日は終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

次回は「火影の夢」を取り上げたいと思います。

こちらは大体12月の初めぐらいにできたらいいかなと思ってるんですが、ちょっとまたズレ込むかもしれません。よろしくお願いします。

こちら「火影の夢」の次は「白いおうむの森」、その次が「銀のくじゃく」となっています。

「火影の夢」は何に収録されているかといいますと、

偕成社文庫やちくま文庫筑摩書房の『銀のくじゃく』に収録があります。また、安房直子コレクション6巻にも「火影の夢」収録されていますので、ぜひ次回もご参加いただけたら、と思います。

では、今日はどうもありがとうございました。

(2025・9・12)

童話作家 安房直子さんについておしゃべり(8)北風のわすれたハンカチ

(8)「北風のわすれたハンカチ」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle.finger.window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・ymst

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの1位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。

安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。

「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、

小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、 

野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、

新美南吉児童文学賞(連作集『風のローラースケート』)、

ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)

亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。

おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。

その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。

回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。

栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。

スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。

 

今回、第8回目、安房直子ランキング8位は、この「北風のわすれたハンカチ」になります。初めての雑誌掲載は1967年。

第8位の、同じ総得点の作品がもう1作ありまして、「ひぐれのお客」も第8位なんですね。この「ひぐれのお客」は次回取り上げさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

「北風のわすれたハンカチ」は、今読めるものとしましては、去年発売された、あすなろ書房さん発行の安房直子絵ぶんこ『北風のわすれたハンカチ』という絵本があります。これはetoさんの装画ですね。あとは

偕成社文庫『北風のわすれたハンカチ』、

旺文社『北風のわすれたハンカチ』、

講談社文庫『鶴の家』、

角川文庫『きつねの窓』、

フォア文庫『日暮れの海のものがたり』、

偕成社安房直子コレクション』1巻にも収録されています。

初出は『海賊』3号、1967年発行のものですね。こちらには「北風のわすれたハンカチ」というタイトルではなく、「熊と北風と青い花」というタイトルで掲載されました。

それでは皆さんどうぞ、etoさんの装画、牧村慶子さんの装画について、その魅力をお話しください。

 

☆etoさんの装画、牧村慶子さんの装画

ネムリ堂 偕成社文庫や旺文社は牧村慶子さんの装画なんですけれども、今回、去年発行された安房直子絵ぶんこでは、etoさんが描かれてまして、それがとても素晴らしかったんですね。本当、北風の佇まいが素晴らしくて、で、まるで昔の絵本のグリム童話に登場する人物のようだなと私は思いました。

etoさんの装画、三色だけ、黒と青と黄土色ですね、それらの三色を使っていて、そのプリントが、ちょっと昔の絵本の印刷みたいに多色刷りなのが味わい深くて素晴らしいなと思いました。

あともうひとつ特徴的だなと思ったのが、皆さんは長らく、牧村慶子さんの絵で「北風のわすれたハンカチ」には親しまれていたと思うんですけれども、牧村慶子さんはホットケーキの絵を前面に押し出していたんですね。でも、etoさんはホットケーキの絵は前面に押し出していないっていうのが新しいアプローチだなと思いました。ホットケーキを大きく描くのではなくて、むしろ熊が北風の少女を通じて感じ取った雪の音の表現が主題に据えられているという、そういう、そういった装画のように私は感じました。

装画について、皆さんいかがでしょうか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。私は安房さんのお話で初めて読んだのが「北風のわすれたハンカチ」のハードカバーです。商業出版されたもので初めて読んだものが、この牧村さんの装画のものでした。

 

ネムリ堂 旺文社のものですよね。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。それは、私の父がですね、出張先の本屋さんで、小学校低学年ぐらいの女の子が読んで楽しいおすすめの本があったら教えてほしい、と書店員さんに聞きまして、その書店員さんがおすすめしてくださったのが、この『北風のわすれたハンカチ』だったんですね。

で、それはお土産としてもらいまして。初めて見た時に、その表紙の絵の色彩がとても私は気に入りまして。マリー・ローランサンの色彩にとてもよく似てるなって。子供の時にはマリー・ローランサン自体知らなかったですから、小学校高学年か中学年ぐらいの時にローランサンの絵を見まして。淡いんですけれども、クールなんですよね。ピンクにしても水色にしても。いわゆるパステル調の甘さではなくて、その感じがピンクですとか、いろんな色使われてるんですけども、北風の雰囲気が出てるな、そのお話に、とても合ってるなと思いました。で、それ以来ずっともう、「北風のわすれたハンカチ」のイメージというと、牧村さんの装画でしたね。

その後、私もそんなにお話を読んでいなかったので、久しぶりに、本当に、もう、本当に久しぶりに新しくこのetoさんの装画で絵本が出たということで、本当、それぞれ美しいな、と。そうですね、etoさんの装画、やっぱり美しいなという感じがしましたね。なんとなくこう、この青、青が、氷の青のような感じ、雪というよりか、氷の世界とか雪の絵とか、そういったものを思わせるような青だという印象を持ちました。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。そうしましたら、今回ですね、kurina1412さんからもご寄稿いただきましたので、gentlefingerさん、kurina1412さんからのご寄稿のご紹介をお願いいたします。

 

gentle.finger.window はい、kurina1412さんのご紹介いたします。

【私のファースト安房直子さんは、小学生の時に買ってもらった『北風のわすれたハンカチ』です。同時期に学校の図書室で出会い、数えきれないほど借りた『風と木の歌』とあわせて、特別な物語です。
  私の『北風のわすれたハンカチ』は、旺文社の1980年初版12刷(定価650円)。牧村慶子さんのイラストが大好きで、何度も色鉛筆で模写しました。偕成社文庫から出た時は小躍りしましたが、イラストのほとんどがモノクロで、残念。それで古書店で何冊が入手しました。1971年初版初刷(定価500円)と、1985年の重版(定価900円)。ん? 版が違うということは内容に変更があるのでしょうか? 今度じっくり読み比べてみます。
  子どもの頃に夢中になった本が挿絵を変えて出版されると、思い出補正で新しいものを受け入れられないことが良くありますが、あすなろ書房安房直子絵ぶんこシリーズのetoさんのイラストはとても素敵ですね。予算の都合上か印刷のカラーを抑えた部分と、イラストの雰囲気があっています。
  そして、富樫尚美さん! 「あるジャム屋の話」の鹿の娘の絵に一目惚れして以来、いつか富樫さんの絵で安房直子さんの作品の絵本が出ないかなあと待っています。今回の幻のゆれる市(後注・2025年2月東長崎の雑貨店PlanetHandにて開催。富樫尚美さんは、「北風のわすれたハンカチ」をテーマに数点、絵画を出品)はまだ伺えていないのですが、北風のわすれたハンカチの作品。素敵です。
挿絵の話が先になってしまいましたが、はじめて読んだ安房直子さんの物語「北風のわすれたハンカチ」は、今でもすみからすみまで覚えているほど印象深い物語です。大人の私が魅了される安房さん作品の、異世界への誘いや、怖さ、妖しさといった要素は少なめなのですが、その分、優しさとあたたかさが詰まっています。
  そしてなんといっても、色と温度と匂いが素晴らしい。北風たちの青と、ホットケーキの黄金色、雪の白。トランペットの音色の金色、バイオリンの銀色。外の厳しい寒さと、くまの家の暖かさ。食べ物も美味しそうですね。くまが食べることはなかったけれど、パイナップルのかんづめ、山ぶどうのかごも美味しそうですし、ホットケーキときたら、もうたまりません。】

ネムリ堂 ありがとうございます。そうですね、あと初版と重版とで、もしかして細かなところが違うかもしれないっていう風なことを書かれてたんですけど、どうなんでしょうね。ちょっと私そこまで確認してなくて。

 

gentle.finger.window お持ちですか。

 

ネムリ堂 持っています。見てみますね。

(後注・ネムリ堂所持は、以下の3冊。

  • 1971年初版・1971年重版 発行
  • 1971年初版・1978年第10刷 発行
  • 2006年初版発行(ブッキングにて復刊)

①はカバーに奥付、赤坂包夫氏による「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、という感想文のかきかたの紹介と、山室静氏による「解説―安房さんとメルヘン」、赤坂氏による「鑑賞と読書指導」、旺文社からのことば「小学生のみなさんへ」、「この本をかいた安房直子先生」「絵をかいた牧村慶子先生」のお二人のプロフィールとお写真が掲載。

②は、見返し前のページに奥付と「読者のみなさんへ」のページあり、赤坂包夫氏による「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、という感想文のかきかたの紹介と、山室静氏による「解説―安房さんとメルヘン」、赤坂氏による「鑑賞と読書指導」。(安房さん・牧村さんの写真とプロフィールは無し)

③は奥付のみ。「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、「解説―安房さんとメルヘン」、「鑑賞と読書指導」は無し)

 

gentle.finger.window kurina1412さんも書いてらしたんですけど、私は「北風のわすれたハンカチ」には牧村慶子さんの装画の方ではじめて出会ったので、なんかやっぱり、どうしても牧村慶子さんの絵の、「北風のわすれたハンカチ」が頭に浮かぶんですが、etoさんの絵は牧歌的って言うんですかね、なんか可愛い北風たちなイメージで、それもとても好きなんですけど、牧村慶子さんの北風の、なんでしょう、すごく透明感がある…、モノクロの印刷の仕方なのかもしれないですけど、こう、モノクロなのに透明感を感じる、もう本当に「風」って感じる、この絵が私の中ではすごく印象強くって…

 

ネムリ堂 水彩の色ののせ方がそうなんですかね。

 

gentle.finger.window そういうことなんですかね。私、偕成社文庫版を持ってるんですね、自分で手元に。

そうすると、表紙に北風の娘の絵、女の子の絵あるんですけれど、その髪の先の方、雪かもしれないんですけど、なんかこう、透けて見えるような、こう、透明感があって。

 

ネムリ堂 そうかもしれませんね。

gentle.finger.window 風を表してるのかなって、なんか、そう思ってたんですね。

etoさんの、こう、優しい、あったかい…「北風のわすれたハンカチ」って、すごく寒い、寒いところの話だけれど、とてもあったかいところをetoさんの絵から感じます。

 

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。ymstさん、いかがでしょうか。etoさんと、牧村慶子さんの装画と。

 

ymst はい、こんばんは。牧村さんの絵は、私、持ってないんですけれど、絵はちょっと見たことがあるんですけど…。椅子の話してもいいですか。

 

ネムリ堂 ぜひぜひ椅子の話を聞かせてください。牧村さんのひじかけ椅子っていうのは、どっしりしたひじかけ椅子なんですよね。

 

ymst ですよね。そうですよね。なんかね、ログでできてるっていうか、重そうですよね。で、重心が下にある感じですよね。

私、このお話を最初に読んだのが何だったかちょっと忘れちゃったんですけど、もしかして、この『安房直子コレクション』1巻で読んでたかもしれないんですけど、私の中ではロッキングチェアだと思ってて、なんか熊がね、1人で住んでて、特にテレビとかないですよね、当たり前だけど。なんか1人でね、考え事したり、もしかしたら鼻歌かなんか歌いながら過ごしてるとしたら、なんかこう、ゆりいすにゆられて、心地良く過ごしていたんじゃないかって。

 

ネムリ堂 うん、ゆりいすは、ひじかけがありますもんね。

 

ymst そう、ひじかけのあるゆりいすにのってる感じで、大草原の小さな家のお母さんが座ってたような感じとかって思ってて。そしたら、etoさんがゆりいすを描いてくれたんですよね。それがまた形もすっごく私好みというか、全部が曲線でできてる感じのゆりいすですよね。これがすっごい私的には感動しました。もう感激しました。

 

ネムリ堂 イメージぴったりだったんですね。

 

ymst あと、このストーブの形ね、もう丸いフォルムと言った薪ストーブなんですかね、この辺が私的にはすごい感激したところでした。

 

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。はい、そうですね。本当、装画によってイメージがだいぶ違うと思うんですけれども、どちらの絵も素晴らしい絵だと思いますので、皆さんちょっと読み比べてみてください。

まだやってるのかな? 神保町のブックハウスカフェさんで安房直子絵ぶんこの原画展がやってたんですけれども、そこではサイン本が置いてありましたので、まだもしやっているようでしたら、サイン本手に入りますので、ぜひこれを聞いた方、行ってみてください。私もちょっと買ってしまいました。

(後注・ブックハウスカフェ 安房直子絵ぶんこ原画展  2025年4月9日〜4月28日)

 

☆表記の違い、『海賊』掲載版の違いなど

ネムリ堂 あと、収録されてる本についてなんですけれども、本によっては、表記に微妙な違いがあるんですね。

で、偕成社文庫版とその元になった旺文社版ではまた違ってて、偕成社文庫が片仮名、クマ、ツキノワグマって書いてあるんですね。

でも、元となった旺文社版は、ひらがなで傍点つきのくま(熊)、くま、つきのわぐまって書いてあるんですよ。

で、じゃあ元々の『海賊』はどうなのかなと思って見てみましたところ、『海賊』はひらがなのくまと漢字の熊を併用してまして、月のわぐまは月だけが漢字で、あとの「わぐま」はひらがな。それぞれ表記がバラバラなので、出版社によって表記を変えてることがわかりました。

あと、講談社文庫版(『鶴の家』)ですと、熊と月輪熊、熊も漢字一文字、月輪熊って書いて、ツキノワグマと読ませて漢字なんですね。

で、じゃあ翻って一番新しい安房直子絵ぶんこ、これは安房直子コレクション1巻を底本としてるんですけれども、この表記がどうなってるかと言いますと、熊という漢字一文字と、月の輪熊と、「の」だけひらがな、月と輪熊が漢字なんですね。なので、随分表記にばらつきがあって、読んだ感じが違うなっていうのが私の印象です。

あと、一番最初に掲載された『海賊』」196年の掲載した版とではタイトルがまず違ってまして、「熊と北風と青い花」っていうタイトルだったわけです。

それから、細かな点は結構色々違うんですけれども、一番違うところは、まずハンカチを忘れていかないんです。この「熊と北風と青い花」のお話の場合、女の子の消えた後には青い花があったっていう、そういう結末なんです。

で、物語の結びは、「熊はもう少しもさびしくありませんでした」と結ばれて物語が終わって、で、「しあわせな冬ごもりにはいったのです」という冬眠の表現がない。そのことも違いの一つですね。

あと、耳にハンカチをしまうことで雪の音が鮮明に聞こえる、というくだりもありません。

その残された青い花のことを、「矢車草でしょうか、りんどうでしょうか、それともミヤコワスレでしょうか。熊はその名前をなかなか思い出せませんでした」という風に書かれてます。ここでは何の花か、はっきり書かれてなかったんですけれども、私は、勿忘草のことかな、なんて思いながら読みました。

あと違う箇所ですね、パイナップルのかんづめとひとかごの山ぶどうが冷蔵庫に入れてあるんですが、これ『海賊』版ですとパイナップルのかんづめとひとかごの「木いちご」って最初書かれてるんですね。そこもちょっと違う箇所です。多分、木いちごは季節が違ってたんでしょうね。なので「山ぶどう」、という風に後から書き直されたのかなと思います。

 

☆ホットケーキ

ネムリ堂 この作品、ホットケーキがすごく美味しそうなんですけれども、ホットケーキの出てくる安房直子作品と言いますと3作品ありまして、まず「黄色いスカーフ」のオレンジとふっくらあたたかいホットケーキ、それから「エプロンをかけためんどり」のふっくら厚くてあまいシロップのかかったホットケーキ、あと「だんまりうさぎと黄色いかさ」の大きくて黄色いたまごをたっぷり使ったホットケーキ、の3つが出てきます。

ホットケーキについては、アロマアクセリーさんが調べてくださっているので、アロマアクセサリーさん、ご紹介お願いいたします。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい、ホットケーキについてですが、ネムリ堂さんと一緒に作りました『物語の食卓―冬』で、「北風のわすれたハンカチ」について取り上げた時に調べたことをざっとご紹介させていただきます。

ホットケーキは、日本では大正時代の終わり頃に銀座三越デパートの食堂で「ハットケーキ」という名前で登場したそうです。その当時、洋装ですよね、それに欠かせない帽子「ハット」の流行と相まって大人気になったそうです。

調べた中では、『主婦の友』の昭和5年の1月号にホットケーキの作り方というのがのっていました。当初は一般の家庭での人気はどうもあまりなかったようなんですが、やっぱりちょっと焼くのが難しかったみたいですね。粉と卵とふくらまし粉の3つでできるんですが、やっぱりちょっと配合が違ったり、焼き加減がうまくいかないと焦げてしまったりしていたそうです。で、実際に日本でホットケーキが普及したのは、昭和32年にホットケーキミックスが登場してからだと言われています。

そのホットケーキミックスを使うことで、ふっくらとしたおいしいホットケーキが焼けるようになって、ご家庭でも手軽にホットケーキが作れるようになったという流れになっています。以上です。

 

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。じゃあ、安房さんがホットケーキを作品にだしたっていうのは、そういった昭和32年からの流れで、ホットケーキが随分普及してからのことだったんですかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 安房さん、あまり外食をされない方だったと伺っていますので、やはり家庭でできるもの、手軽にできる、しかもおやつですよね、身近なものとして意識されていたのかなとは思います。

ネムリ堂 ありがとうございます。すごいホットケーキが美味しそうというのも、この「北風のわすれたハンカチ」の魅力の一つなんですけれども。

この作品ですね、ホットケーキを、牧村慶子さんの挿し絵だと前面に押し出していて、ホットケーキが本当に美味しそうで、そのホットケーキが食べたくて、お母さんに「ホットケーキを作って!作って!」ってねだったっていうような方もいらしたっていう風に伺ったことがあります。

で、一方、etoさんの装画、牧村さんとは違うアプローチで挿絵を書かれたんだと思うんですね。で、その挿絵のアプローチというのが、むしろ音楽をめぐる物語であるというのを前面に押し出してあると思うんですね。

 

☆音楽をめぐる作品

ネムリ堂 この作品、音楽をめぐる作品でもあるということで、今回、yamamomoさんからもご寄稿いただいてる、その一部をご紹介させていただこうと思います。yamamomoさんからは長いご寄稿文いただいてますので、全文を、冊子にした時にしっかり読んでいただきたいです。また、yamamomoさんの、はてなブログ『酔生夢死DAYS』にも全文掲載されておりますので、そちらで読むこともできます。

では、yamamomoさんからのご寄稿、一部だけ読ませていただきます。

【彼らはクマにそれらの「ただ魂を『向こう側』へと奪う力に頼ったソリストによる能動的音楽」を授けることなく、すなわち、人間でも自然でもない境界領域にある優しいこのこどものクマの心に寄り添うことなく、ひたすら奪い、去ってゆく。より一層の寂しさを残して。ここに「寄り添う」「共感」という「響きあい」の自然界動物界人間界の共存するハーモニーは生まれない。あくまでも切り離されたソロなのだ。

だが、最後にやってきた、彼らの娘である北風の少女は、惜しみなく贈与する自然の側面を体現する。

自然とは、驚異であり恩寵である。その両面をもっている、すべてをもっている。畏怖と、贈与、感謝と敬愛と、親しみと。

彼らは親子であり、本来三位一体としての自然界、外界の精霊であるが、この物語は中間領域にいるコグマにその両面を見せる、という構造をもつ。

ここでも、北風の「大人」の父と母、そしてクマの失われた「大人」の両親、或いは「大人」の人間の猟師は、既に互いに両極の世界に分かたれた「向こう側」にいるものであって、お互いに相容れる心を持たない。そういう意味で、「壊し奪う己の力の体現である自然の驚異」であった北風の両親はクマを力で害する人間と同様の性格を持っているのだ。】

 

こういうご指摘をいただいてまして、他にも様々な気づきを与えてくれる素晴らしい論考をいただきました。ご寄稿、本当にありがとうございました。

yamamomoさんの論考で気がつかされたことなんですけれども、北風の両親は音楽を奏でるための楽器を持っているわけです。でも、北風の娘は楽器を持っていない。ハンカチしか持っていないということなんですね。楽器は持っていないけど、雪の音や花の音、風の音を感じる心、感受性を持っている。そういう存在が娘の立場であったわけです。

で、また異界へと、つめたい北風の国へと、北風の少女は熊を連れ去らないというのも、ポイントの一つだと思います。安房さんの作品って、異界から訪れたモノたちが、主人公を違う世界へ連れていったまま戻ってこない。そういう作品すごく多いんですけれども、この作品では、あの少女は熊を違う世界へと連れてかないっていうのが、ちょっと他の作品と違うところかなと思いますね。

北風と熊という、生きる世界の違う存在について、同じ世界を生きることの不可能性を描いている。で、それを超えて再会の可能性という一すじの希望の輝かしさみたいなものも受け取れる。

そんなふうなことも感じました。あと、雪の音が聞こえるのも、北風少女が今一緒にいるからなのではないか、少女がいなくなったらまた元のさびしい自分に戻ってしまうのではないか。そんなふうに熊は自問するわけですけど、その切実さというのも、こう胸にひしひしと伝わってきます。そこを、なんでしょうね、そんな熊の気持ちがわかるからこそ、北風の少女は青いハンカチを残していって、熊はそれを耳にしまうわけですね。

北風の娘が話した、雪の音や花の音についての話なんですけれども、これが、熊が北風の両親から教えてもらえなかった、「音楽を教えてください」という張り紙に書かれたクマの望みへの答えでもあるかなと思います。

 

☆「大人」という向こう側、「ニンゲン」という存在の暴力性

ネムリ堂 あともう一つ、yamamomoさんのご指摘で、「大人」の北風たち、「大人」の人間の猟師、熊の「大人」の両親があらかじめ物語からは欠けているという、そういうご指摘があったのもちょっとハッとさせられまして。

「大人」の北風たちが、「大人」の人間の猟師と同様に、熊から「奪う」存在であるということ。あと、熊の「大人」の両親は、あらかじめこの物語から欠けているということ……「向こう側」の存在であるということのご指摘、そうか!と、膝を打ちました。

それから、今、ご紹介した部分ではないんですけれども、yamamomoさんの論考の一番初めの一行に、「このお話には人間が出てこない」という一文があるんですね。この一文にもハッとさせられました。作中には人間が登場しないんですね。で、この主役は熊なわけで、熊は「ニンゲン」によって家族を奪われてる。

これは、読者である「ニンゲン」の少年少女たちが、自身の存在そのものの暴力性みたいなもの、そういうものにソフトな形で直面させられるのではないかと。読者である「ニンゲン」の少年少女たちは、この作品によって、自分が奪う側であるということ、自分の存在そのものの暴力性について、あくまで表向きは隠された形で直面させられるのではないかという風にも感じました。

そのようなものと重なりつつ、自身を子供の熊に感情移入して読むことで、なんとも言えない立体的で複雑な読後感を持つことになるのではないかな、と、そんな風に思いました。

 

☆成長という観点

ネムリ堂 この「北風にわすれたハンカチ」を、成長物語という観点から読み解かれた方もいらっしゃいました。アロマアクセサリーさん、成長物語という観点からの考察、ご紹介お願いできますか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida このお話は児童文学であるので、安房さんはある程度、読者対象を意識して書かれていたかなとは思うんですけれども、この熊がですね、体は大人であるけれども、心はまだ子供であると。この状態っていうのは、私、ちょっと思春期の状態を表してるのかなと思ったんですね。

で、思春期っていうのは、子供から大人に移行する期間であって、閉じられた家庭の中から、外の社会と関わっていくんですけれども、その時に、結構、大人に対して懐疑的であるけれども、自分と同じような世代である、同じような感覚を持ってる存在と関わりながら、外の世界へ踏み出していく、そういう時期である。

で、熊は、北風の大人たちからは、こう、ちょっとひどい仕打ちを受けてしまうんですけれども、同世代である北風の少女とはコミュニケーションを取って、やり取りをしながら、冬眠の後には、思春期から次の時期へと、ちょっと成長していく過程が描かれてるような感じがしました。前歯が折れてしまうんですけれども、それは、子供から大人に移行する時に、歯が生えかわったりしますので、そういったこともイメージとして、そういう成長物語ではないかなと思った次第です。以上です。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。同じように、やっぱり成長という観点から読み解かれた鳴滝さんのご考察もご紹介させていただこうと思います。gentlefingerさん、お願いできますか。

 

gentle.finger.window はい。鳴滝さんのご考察、抜粋してご紹介します。

【「幼年期の終わりに〜北風の忘れたハンカチについて」

幸せな思い出と美しい忘れものをよすがに、熊は再会を期待しますが、娘はたぶん次の冬には「大人の北風」になっているのではないかと私は思います。

 そして冬ごもりからあけたら、熊もまた、立派な大人になっている。一冬青い花のようなハンカチを飾った耳で、心で、いつでも自然の音楽を聴けるようになった熊は、きっと春には新しい出会いを得て、淋しい熊ではなくなるのではないかと。

 北風の娘と淋しい熊、どちらもが「幼年期の終わり」だったから共有できた、一期一会の優しいお茶会。

 おいていく側もおいていかれる側も、かなえられないと分かっている願いを飲みこんだ別離。おそらく取り戻しには来ない(=熊に与えられた)魔法のハンカチ。

 たとえば「北風の娘は、毎年熊の家にお茶に来るようになりました」と添えるだけで、シンプルなハッピーエンドにできそうな物語を、あえてここで締めくくる。安房さんのこういうところ、ほんとに凄みがあるなあと、しみじみ感じています。】

以上です。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。本当、鳴滝さんのご指摘読むまで、私、熊のところに毎年北風の娘は今後訪れてくるんじゃないかな、でも訪れてこないかもしれないなっていう、そういう宙づりのところで、どういうお話になるんだろうっていう風に、そういう風に思っていただけで、大人になりきれてない熊と、まだ子供の優しい北風の娘が、なぜ優しいのかっていうのを、言葉にうまくできなかったんですね。

で、その一年に一度しか会えない、その一瞬の一時だけを頼りに過ごしていく熊の在り方、切なさみたいなものの方に目がいっていて、そんなように、これが本当の一期一会の話であるかもしれないという視点にすごい気づかされてびっくりしました。

 

gentle.finger.window 私もです。読ませていただいて、娘はもう次、大人になっちゃうんだっていうことと、熊も冬ごもりが終わったら、そうだ、大人になるんだっていうこと、…鳴滝さんの論考を読ませていただいて、とてもハッとさせられました。

 

ネムリ堂 ね。気づかされましたよね。

gentle.finger.window 少女は、きっと戻ってくるんだろうな、なんて、軽く考えてたんですよ。戻ってきて、なんかきっとハッピーエンドの話なのかな、あるいは七夕みたいな形なのかな、みたいな。あまり深く考えていなかったというか。でもきっと2人とも大人になってますよね。

 

ネムリ堂 うん。だから、それを書かなかった安房さんの筆っていうところまで鳴滝さん指摘されてて、そうかと思ってね。 

 

gentle.finger.window 私も本当に、とても感動しました。

 

ネムリ堂 はい。あと、「ひめねずみとガラスのストーブ」という、風の子の側からのお話もあるかと思うんですね。安房さんの作品の一つとして。こちらだと最後に、風の子フーが、何も感じない大人の風になる。そういうお話ですよね。「ひめねずみとガラスのストーブ」って、この「北風のわすれたハンカチ」より後に書かれてるんですね。

「北風のわすれたハンカチ」を書いた後に、今度は北風の側からの、熊ではなく、ねずみとの話ですけれど、そういうお話を安房さんは書かれていたという…。

 

gentle.finger.window そうですね。しかも風の子フーが戻ってきた頃にはもう世代交代しちゃってるっていう。

そういう意味では、北風の娘、大人になってまた戻ってくるかもしれないけど、そのころに熊はもう、いないかもしれないですね。

 

ネムリ堂 熊の寿命は、ねずみよりは長いですけれども、次に来た時は、お互いにもう大人ですよね、きっとね。

だから、今の、本当に一瞬だけの、なんでしょう、触れ合いだったっていうことが…。そうか、安房さんはそこで筆を止めたんだっていうのが、すごい驚きで。

 

gentle.finger.window 感動しました。

 

ネムリ堂 このお話の、深まりを感じますよね。

 

gentle.finger.window はい。

 

ネムリ堂 はい、ありがとうございました。鳴滝さんのご考察も冊子にまとめる時に、前半部分、後半部分、全て全収録させていただきますので、どうぞそちらで読んでみてください。鳴滝さん、ありがとうございました。

 

☆楽器について

ネムリ堂 それから、楽器。楽器がこの作品出てくるかと思うんですけれども。トランペットとバイオリンが出てきますよね。

で、トランペットって安房さんの他のいろんな作品に登場してくるので、それをちょっとピックアップしてみました。

まず、「あめのひのトランペット」っていう作品があります。

それから、「夢の果て」という作品では、青年が崖の上で吹いていますね。

あと、「べにばらホテルのお客」では、岡本卓夫がトランペット吹きであって、岡本卓夫亡き後には、その伴侶であるムネアカドリはトランペットの中で悲しみのあまり死んでしまうという、そういうくだりがありますね。

あと、「すずをならすのはだれ」という作品の中では、寒い2月、高い空で銀のトランペットをふきならすという、そういう箇所があります。

で、「べにばらホテルのお客」が一番最初に『びわ実学校学校』に掲載された時の後書きがあるんですけれども、その後書きで、安房さん、「この夏はトランペットの曲をたくさん聞きました。その中で一番好きだったのは『夜空のトランペット』!」という、そういうようなこともおっしゃってます。そこで、『夜空のトランペット』聴いてみたんですけれども、ニニ・ロッソという人が有名みたいで、そうですね、寂しい曲というよりは、なんて言うんでしょう…。なんか広がりのある、なんとも、そうですね、気持ちの明るくなるような、そういう曲だったように聴こえました。

でも、どうなんでしょうね、トランペットの音っていうのは、安房さんはむしろさびしいものとして作品には書いてる気がします。

あと、バイオリンですね。バイオリンは「花のにおう町」の、秋になると胸の中のバイオリンがすすりなくというような風に書いてあったり、「ハンカチの上の花畑」では、豆粒ほどのバイオリンを良夫さんは小人にプレゼントします。

「月夜のテーブルかけ」では、食事の間、たぬきがバイオリンでモーツァルトを演奏するというくだりがあります。

「おしゃべりなカーテン」では、病気の蝶が壊れたバイオリンのような、バイオリンがすすりないてるような声を出すというくだりがあります。

それから、これは単行本未収録の作品なんですけれども、「そらいっぱいのピアノ」という作品では、音楽の大好きなうさぎがお水を飲んでいると、水面に素敵なバイオリンが映るというくだりがあります。

また、この作品、音楽への渇望というか、そういう音楽を聴くことによって、さびしくなくなりたい熊のその願いの切なさみたいな、そういうものも書いてるかと思うんですけれども。

ymstさん、似たような構造の作品があるっていう風におっしゃってたかと思うんですが、そちら、ちょっとご紹介いただいてよろしいですか。

 

☆音楽への渇望

ymst はい。実際似てるかどうかちょっとわからないですけど、「海からの電話」っていう作品ありますよね。で、これがちょっと似てるなって思った箇所があって。楽器を触ってみたいと思った、ここではカニ

熊さんも楽器を手にしたいと思って、どっちも壊しちゃうというか、傷つけちゃったり、弦を切っちゃったりっていうことになりますよね。

 

ネムリ堂 そうですね。片方はすごくユーモラスなお話だけど、もう片方はすごく切なく、さびしい、そういう感じが。そうですね。印象は違うけど、構造が同じですよね。

 

ymst うん。そこが同じっていうのと、あともう一つ、似てるのは、やっぱり、熊の方は、そのハンカチをね、耳に入れて、その雪の音が聞こえるのを心の支えみたいな感じにして、冬ごもりに入りますよね。

で、「海からの電話」の方では、何回も修理させて、まだダメ、まだダメって言うじゃないですか。貝殻を当ててね、確認するんですよね。貝殻電話みたいなやつ。

 

ネムリ堂 それが、「海からの電話」っていう表題になってる。

 

ymst ですよね。それが、多分、この人も返してもらおうと思ってないんじゃないかなって思って。返してもらうっていうよりは、こうやって、いつまでも、この貝殻からの音を聞いてたいって思ってるのかなと思って。なんか、そんなところが、ちょっと、どっちも心の支えになってて、っていうところが似てるかなって思ったんですけど。

ちょっとずれるかもしれないんですけど、さっきの成長の話の時に、私がちょっと前に思っていたことがあるんですけど…

 

ネムリ堂 ぜひぜひ。

 

ymst ハンカチから雪の音が聞こえますよね。ほとほとって。それが、私は、冬ごもりが終わって、春になったら、どうなるのかなって思ったんです。

春になっても雪の音がするんだろうかと思って。

それで冬眠から目覚めたら、もしかして、雪の音がしない代わりに、春の音、雪解けの流れる音だったり、芽吹きの音だったり、鳥のさえずりだったりが聴こえる熊になってるんじゃないかなとかって、ちょっと思ってたんですよね。

 

ネムリ堂 でも、それは、書いてありますよね。雪の音だけでなく、花の音、風の音について、もう、聴こえるようになるっていうのは、北風の女の子が話してることのうちに入ってましたよね。

 

ymst それが、なんていうのかな、雪の音が聴こえなくても大丈夫な熊になるってことですよね。

 

ネムリ堂 大丈夫な熊になるってことなんですね。ほとほと、じゃなくて、ぽとぽと、って聴こえてくるのかも。雪どけの音とか。

 

ymst そうそう、他の音も聴こえるけど、雪の音がいらなくなるのかなと思ってて。で、私、次のシーズンにまた北風のあの家族が戻ってくるじゃなくて、私が勝手に思ってたのは、次の家族が来るって思ってたんですよね。  

 

ネムリ堂 そうなんですね。

 

ymst 次の家族が来るかもしれないの。北風が来て、また、小さい子供っていうか、若い北風も来てって思ってて。

 

ネムリ堂 もしかしたら、熊がストーブ屋になってたりして。「ひめねずみとガラスのストーブ」では、風の子フーに熊がストーブを売りつけるじゃないですか。そういうこともちょっと考えられますよね。

 

ymst 同じことが繰り返されるよりは進んでいくんじゃないかなって思ってたんです。

 

ネムリ堂 ええ。なるほど。

熊のストーブ屋っていうのは、「ひめねずみとガラスのストーブ」で風の子フーがストーブを買うんですけど、そのストーブ屋さんっていうのは、熊なんですよ。  

あと、楽器。「あめのひのトランペット」の楽器屋さんも、「ふしぎや」っていう熊なんですよね。だから、音楽が好きな月の輪熊だから、音楽を商いにしていたりして。成長した熊が「ふしぎや」になってるかもしれない。

 

ymst なってるかもしれないですね。そうそう。

 

☆音楽的表現、オノマトペ

ymst もう一つね、このお話が、音楽的表現が色々あるなって思ってたことがあって。

 

ネムリ堂 そうですよ、先生として、ピアノを教えておられるymstさんだから、お話を伺いたいと思ってました。

 

ymst なんか、そんな、全然立派な先生じゃないので、あれなんですけど、

この話って、特に擬音だとか、音の表現、音の比喩が多いなって思っていて。で、例えば、「どぼどぼっ」とお茶をつぐとか、風が「ぴゅっと」とかいうのはよくある言葉かもしれないんだけれど、例えばね、最初の北風が来た時かな、

「やっぱり、だれかがたたいているのです。たしかにたしかに。」って、「たしかに」は2回言うんですよね。私、それがすっごい音楽的だなと思って。

絶対これ、「たしかにたしかに」って2回目、強いと思いませんか。

 

ネムリ堂 ああ、そういうね、耳で聞いて、いい感じの調子というかね、そういうリズムがある文章なんですね。

ymst 「たしかにたしかに。「はあい!」」って出るっていう、なんかそういう音楽のフレーズに、すごい聞こえたっていうか、読んで、頭に音が鳴ったなっていうのと、あと、例えば、「沈んでいく夕日みたいな」っていう表現とか、ありますよね。

 

ネムリ堂 そうですね。音をね、そんなふうに、伝えている。

 

ymst 私、多分、自分でレッスンの時、言っちゃうんですよ。そんな感じのことを。

 

ネムリ堂 素敵な先生!! 生徒さんはきっとすごく素敵な先生だと思ってると思います。

 

ymst 例えば、メロディーのフレーズの終わりの辺りをどういう風に終わらせるかっていう時に、例えば、そういうことをね、「ほら、なんか夕日がね、海に沈んでるところを想像してみて」とか言っちゃうんですよね。

 

ネムリ堂 音楽って、そういうところがあるんでしょうね。

 

ymst うん、私は、少なくともあって、「部屋が金色に染まっていく」とか、そういう表現とかもすごく私、自分でほんとに使ってるようなことが出てくるので、もしかして逆に安房さんの影響なのかもしれないなとか思ったり。若い頃から安房さんを読んでたからそういう表現を使うようになったかもしれないです。

 

ネムリ堂 ピアノで安房さんの世界を教えてくれている…

 

ymst わかりません(笑)

 

gentle.finger.window 今、ymstさんの、オノマトペのお話伺っていて、確かにこのお話多いと思うんですけど、擬音語、擬態語、その中でも私、特に、なんか不思議な感じを覚えるっていうか、より強く感じたのが、まだ北風の家族が来ないところで、ストーブの前でゆりいすに揺られて悲しんでいる熊のところで、「さびしくて胸の中がゾクゾクするよ」ってあるんですけど、「ゾクゾクする」って、例えば、風邪のひき始めに、なんか体調悪くてゾクゾクするとか、ちょっと何か楽しみでゾクゾクする、興奮した状態でゾクゾクするとか。

そういう使い方はなんか、なんとなく馴染みあるんですけど、「さびしくて胸の中がゾクゾクする」ってどう状態なんだろうって。なんかすごく、でも、より強く、さびしくて、死にそう、狂いそう、じゃないけど……

 

ネムリ堂 なんか凍えそうな感じの表現ですよね。

 

gentle.finger.window あんまり、「さびしくてゾクゾクする」って使わないな、あんまり聞かないなって思いながら、気になってた擬態語でした。

 

ymst 私もアンダーライン引いてます。そこ。  

 

gentle.finger.window そうですか。気になりますよね。なんか、すっごいさびしい感じしますよね。悲しい感じ。

 

ymst うん、もう計り知れないぐらいさびしい感じがする。

gentle.finger.window それを、ゾクゾクするって言葉で表すところがすごい。 

 

ymst そうですよね。

 

gentle.finger.window うん。(安房直子さんの)言葉の感覚っていうか、使い方っていうか、なんか私みたいな一般人とは違うなって気がしました。

 

ネムリ堂 安房さんのオノマトペですよね。ここの「北風のわすれたハンカチ」で、オノマトペで特徴的なのはやっぱり「ほとほとほと」だと思うんですけど。

ymstさん、「ほとほとほと」について、お話があるっておっしゃってましたが。

 

ymst 「ほとほとほと」っていうのがね、すごく水分を含んでそうな雪の音だなと思ってて。なんて言うんですかね、私、北海道なんですけど、北海道でほとほと降るって、真冬だったらあんまりないと思うんですよね。もうハラハラに近いっていうか。

 

ネムリ堂 雪の質が違うんですかね。

 

ymst ですね。ただ、春先に降る雪がちょっと近いかなって思ってて。

 

ネムリ堂 湿っているかんじ。

 

ymst そうですね、湿ってて、水分が多くて、地面に落ちて、なんていうかな、もう溶けるまでいかないけれど、こう、ふわっと、消えない感じ、本州の雪の感じかなって思ったんですけど。この、ほとほと、っていうのも、なんか、「ほとほと疲れ果てた」とかの時に使うかなと思ったり。

 

ネムリ堂 現代語では、ほとほとっていうのは、「ほとほと疲れ果てた」とか使いますが、古語では、なんか、「ほとほと、と戸を叩く」っていう表現が元々あるみたいで。でも、それはまた、雪の音とは違いますもんね。

 

ymst 不思議な感じがしますね。ほとほと。でも、月の輪熊だから。だから、絶対そんなに北国じゃないなと思って、そういう雪かなっておもって。

 

ネムリ堂 そっか。北海道ではないですね。本州ですもんね。月の輪熊。うん、そうですよね。なるほど。雪が違う雪かもしれない。

ymst 「とっぽりと座る」ってありましたよね。腰かける時に「とっぽりと座る」って。でも、この「とっぽり」はちょっと他の例を探せなかったんですけど、私のイメージでは、とっぽりとって、なんかすごく収まりのいい感じで座ったのかなと思ったんですけど。なんか、ネットのブログで書いてる人で、「とっぽりと雪が降った」って書いてる人がいたんですよね。

 

ネムリ堂 それは、まとまって降ったみたいな、そんな感じなのかしら。   

 

ymst その人のそのブログの中には、「寒さは厳しくない」って書いてあったので、やっぱり「ほとほと」みたいな、同じぐらいの季節の、同じ地方みたいなことかなって思いました。

 

ネムリ堂 そうなんですね。「とっぽり」については、安房さんの作品で、私も2つだけ見つけた表現があって、「花の家」っていう作品ですと、「どこか例えようもない美しい別の世界にとっぽりとこもっているような」っていう風に使ってますね。

あとは「山への思慕」っていうエッセイで、これは『安房直子コレクション』5巻に収録されてるんですけれども、そのエッセイの中では、「山の緑の中にとっぽりと包まれて」っていう風に使ってます。

だから、とっぷりみたいな感じとちょっとニュアンスが似てる感じで使ってるのかなと思ったんですよね。

 

ymst なんかちょっと包まれる感がある感じしますよね。

 

ネムリ堂 包まれてる感じなんでしょうかね。うん、なるほど。そうですね。「ほとほと」について注釈として付け加えますと、 

「木の葉の魚」では、着物の椿の花がほとほとと散っている。

「花の家」では、花びらがほとほとと落ちる。

「月へ行くはしご」では、月のしずくが涙の形をしてほとほととこぼれている。

「あるジャム屋の話」では、ここからは「戸を叩いた」になっちゃうんですけど、誰かがほとほと、と小屋の戸を叩いた。

「鳥にさらわれた娘」も、誰かがほとほと、と家の板戸を叩いた。

で、ここからが雪なんですけど、

「海の雪」では雪ばかりがほとほとと降り積もり、

「天の鹿」でも大粒の雪ひらは黒い地面にほとほととふしぎな模様をつくっていく。

「山のタンタラばあさん」でも雪がほとほと降って、みたいに、雪の表現と、あと戸を叩く表現とっていうのが安房さんはよく使われてるみたいですね。以上です。オノマトペについては他に何かありますか。大丈夫でしょうか。

 

☆「青」という特別な魔法

ネムリ堂 そうしましたら、今度、色彩についても触れさせていただきたいと思います。ここでもyamamomoさんの論考、ほんの一部をご紹介させていただきます。やっぱり安房さん、青がすごく特徴的なので、青についてまとめてくださった箇所なんですけれども、ご紹介します。 

【さて、この魔法の小道具「青いハンカチ」である。

ここではハンカチの青に凝縮されているが、安房直子作品における魔法の「青」の幻想的なまでにうつくしい魔法を重ねたイメージは、特筆すべきところであろう。

いうまでもなくあの名作「きつねの窓」では、きつねの子供が拵えた染め物は桔梗の青い色ですべてを染めるもの。指を青の魔法に染め、愛するものに繋がる魔法の窓を開いてくれる。「夢の果て」では魔性の青いアイシャドウでぼうっとうつくしく瞼を染め、その瞼の見せるアイリスの青い花畑の夢、その幻想の青ににじむ風景に導かれ、そのまま夢の果て「向こう側」に魂を吸い込まれてゆく13歳の女の子が描かれる。

「青い糸」ではふうわりした青い糸で憧れに心震わせながらマフラーを編む娘。若者が優しい心で選んだ青い傘が街に広がる「青い花」のように紫陽花の精の女の子の魔法を広げた「青い花」…それぞれの「青」のもつうつくしさの独自性と、印象の深さはそれぞれが甲乙つけがたく素晴らしいもので、挙げてゆけば枚挙にいとまがない。

 *** ***

そして、本作品の「青」の独自の色彩、光、その卓越は、そのラストシーンの静謐な美しさに鮮やかに示されている。

大きな真っ白い無垢な雪景色の中、世界に満ちた静寂のハーモニーと温かな心にみたされた小さな小屋が点景のように見えてくる。その中には、耳元にぼうっとけぶるほのかな灯りのように灯った小さな青い花のようなハンカチの、そのぬくもりと世界のその夢のハーモニーに包まれ、しあわせに冬眠を始めたコグマが隠されているのである。】

以上です。本当、この雪景色の点景の中に「コグマが隠されている」っていうのが、なんとも素敵な結びの一文です。yamamomoさん、いっぱい素敵な表現の文章を書いてくださったので、ぜひ通しで、皆さんに読んでいただきたいと思います。

青の魔法について、ここでまとめてくださったように、安房さん、青を、すごく好きな色として、「惹かれる色」というエッセイも書かれてます。青を魔法の色として、特別な色として描かれてるんですね。

青がタイトルに入っている作品としては、「青い糸」「青い花」「青い貝」「ふしぎな青いボタン」、「青」ではありませんが、「空色のゆりいす」などがあります。「だれにも見えないベランダ」も空色ですね。

また、青い魔法については、「鶴の家」の青い皿や「夏の夢」の青いドロップ、「海の口笛」の青いドレス、それから、「火影の夢」の少女や「海の館のひらめ」のしまおの想い人あいは青い服を着ていたりします。また、「海からのおくりもの」の海ばあさんは青いネッカチーフをかぶってます。

それから、「ハンカチの上の花畑」でえみこさんが小人の子どもたちにプレゼントするのは青いお揃いの上着であったり、「鳥にさらわれた娘」のシギの家のテーブルかけや寝台にかけられた布は青い布であったりします。「夏の夢」では、青いドロップの木が登場したりしますね。また、カナちゃんの残したハンカチのぬいとりも青い糸です。

で、あと、「青い人」という表現もありまして、「北風のわすれたハンカチ」の北風は冷たい青い色をしており、青い馬に乗っているんですけれども、「ある雪の夜の話」という作品の中のに登場する星の少年は、髪も目も青く、服もツユクサのように青いという風に安房さんは書いておられます。

 

☆ハンカチの魔法と、「耳にしまう」ということ

ネムリ堂 それから、ハンカチについてですね。ハンカチの登場する安房作品は、「ハンカチの上の花畑」、「それから黄色いスカーフ」。こちら、どちらも美味しそうな食べものがハンカチやスカーフの上に現れる魔法を描いています。

安房さんは、「著作『北風のわすれたハンカチ』その他について」という、こちら単行本未収録の談話なんですけど、ここでは、自分の作品は、グリム童話集から一番栄養をもらい、影響を受けてる、という言及があるんですが、他にも「ささやかな魔法」というエッセイの中では、グリムの「テーブルよ、ご飯の用意」という話の魅力について言及があります。

このおいしそうな食べ物がハンカチやスカーフの上に現れるという、そういうお話というのは、ノルウェーの昔話で、「北風のテーブルかけ」っていう、まさに北風も、それとテーブルかけのような布地も、布地の上においしいものが現れるというモチーフが共通した作品があるということと、あとグリムの中でも、「テーブルよ、ご飯の用意」という作品からインスパイアされたものではないか、という風に思われます。また、「私の書いた魔法」というエッセイの中でも、「広げた一枚のハンカチの上に、ホットケーキの材料がひとりでに現れるところが、私は魔法だと思っている」っていう風なことも言われてます。

あと、そうですね、耳の中に大事なものを入れるっていうことなんですけれども、安房さんの作品では、「熊の火」でも、熊のおやじさんが耳の中に大事な鍵を入れてたりするんですね。「サンタクロースの星」という作品でも、シロクマの耳の中に、サンタクロースが追いかけている青い星が、すぽっと入っていってしまう、そういうシーンがあります。

gentlefingerさん、安房さんの、耳の中に大事なものが入ってるということについて、ちょっとご紹介していただいてもよろしいですか。

gentle.finger.window 私が思ってるだけのことなんですが、やっぱり安房さんは、ものを書く方なので、きっと言葉、文章ってすごく大切にされたと思うんですね。

で、誰かが発した言葉で、きっとその人の心が入ってる。「言霊」って言うと思うんですが……。「言霊」っていう言葉もあるように、誰かが発した言葉っていうのは、その人の心が入っているもの、とても大切なもので。

他のお話で、大事なものを、こう、耳の中に入れるっていうのと同じように、大事な、人の「言葉」は耳に入るものですよね。音だったり、言葉とか、安房さんは、きっと、言葉にも相手の心が入ってる、言霊だから、お話の中で、耳に大切なものを入れるっていう表現をされるのかな、と。

で、私がすごく好きなんですが、「鳥」というお話の中では、秘密が耳に入ってしまう。それは言葉なんですが、やっぱり、耳に入れる誰かが発した言葉で、それには大切なもの、心がこもっている。安房さんにとってはきっと「言葉」がとても大切で、それをしまうところが「耳」だっていうのが、なんか私にはとてもしっくり行くっていうか。

ネムリ堂 耳が、そういう大切なものをこう受けとめる場所なんですかね。

 

gentle.finger.window 言葉が入るところ。言葉を大切にする安房さんだからこそ、耳に大切なものをしまうっていうか。

 

ネムリ堂 なるほど、安房さんならではの表現かもしれないですよね。

 

gentle.finger.window うん。耳の中に大切なものをしまうっていう、そういう話ってあまり聞かないかな。

 

ネムリ堂 そうなんですよ。私もそれでちょっと何かないかなって調べて、それをご紹介しようかと思ってたんですけど。うちの夫が言ってたんですけど、孫悟空って耳に如意棒をしまうよね、と。なるほど、耳に如意棒をしまうな、と思ったのと、あと、この間、宮沢賢治を読んでた時に、「月夜のけだもの」っていう作品があるんですけれども、ここには金貨を耳の中にしまう象っていうのが出てくるんですよね。こういう作品も、そうか、あるのか、って思ったりして。

あともう一つ、ノルウェーの昔話で「木のつづれのカーリ」っていう作品があるんですね。それは、青い牡牛の耳の中に、ご馳走を出してくれるテーブルかけをしまうっていうお話なんですよ。これは山室静さんって安房さんの恩師でいらした方が編まれた『新編世界むかし話集 北欧バルト編』に収録されてたものですので、もしかしたら、安房さん、山室静さんの世界のむかし話の講義を聴講されてましたから、そこから思いついた可能性があるんじゃないかな、と。

 

gentle.finger.window なるほど。熊が青いハンカチを耳に入れるのと同じ感じですね。

 

ネムリ堂  しかも、青いハンカチならぬ、青い牡牛なんですよね。青い牡牛の耳に、みんなにご馳走を出してくれるテーブルかけをしまうっていうお話で、それって、「北風のわすれたハンカチ」の元になってるお話ではないかな、とちょっと思ったんです。

 

gentle.finger.window うんうん。なるほど。

 

ネムリ堂 はい。ですかね。そんなところでしょうか。

 

☆風について

ネムリ堂 北風。北風についてなんですけど、北風の娘っていうのが「北風のわすれたハンカチ」には登場しますけれども、人物造形は全然違うんだけど、単行本未収録作品で、「山男のたてごと」っていう作品にも北風の娘が登場してくるんですね。

あとは、北風が自転車を借りて疾走、崖上に乗り捨てるお話として、「冬をつれてきた子供」っていう、やっぱりこれも単行本収録作品の作品があります。

安房さん、結構、風について、風を人格化したような作品もいくつか書かれていて、「夢みるトランク」と「すずをならすのはだれ」の、この両方に「春風のむすめ」っていうのが出てきます。

あと、「はるかぜのたいこ」という作品があったりとか、あと、小夜の物語では「風になって」っていう作品があったりとか。

「空色のゆりいす」では風の子が出てきたり、「ひめねずみとガラスのストーブ」では風の子フーが出てきたり。「さんしょっ子」は風に連れていかれるラストだったり、「風のローラースケート」では主人公が風になってしまう。

タイトルに風のつく作品として、「よもぎが原の風」「西風放送局」という作品もありますし、単行本未収録作品では「ぶどうの風」「山にふくかぜあきのかぜ」っていう作品もあります。

あと、冬を擬人化したものとして「初雪のふる日」の雪うさぎも。まあ北風とはちょっと違いますけれども、そういう作品もあります。

 

☆マレビトの来訪

ネムリ堂  「北風のわすれたハンカチ」っていうのは、民俗学的に言うとマレビトの来訪という物語の形式かなと思ったりいたしました。何かが訪れて恵みをもたらすという構造を持ってるなという風に思いました。

で、他にそんな作品ないかなと思って著作目録見ていたんですけれども、次回とりあげます「ひぐれのお客」も、やはり何かが訪れて恵みをもたらされるっていう作品ではあるかな、と思いました。

あとは、「鶴の家」「あるジャム屋の話」「ききょうの娘」「空色のゆりいす」「夕日の国」「雪窓」「遠い野ばらの村」「青い花」こういう「異界」から来た者であるマレビトが来訪して、それで何かこう、物語が展開していくっていうお話も、安房さん随分たくさん書いてるなという風に思いました。

このあと、お話のテーマは2つほどありまして、まず、熊について、主人公や登場人物が熊の作品っていうのも安房さんにいっぱいあるということと、あと、じゃあそのお話に出てくる熊、「童話的な熊」というものが、日本ではどんなふうに受容されてきたのかなっていうのもちょっと気になって調べてみましたので、そこまでお話しして、今回はおしまいにしたいと思います。

 

☆熊とストーブについて

ネムリ堂 熊なんですけれども、熊が主人公なのは「北風のわすれたハンカチ」。それから「あめのひのトランペット」。これは、元は「くまのの楽器店」っていう連作のなかの「ふしぎなトランペット」を書き直して、絵本にしたのが「あめのひのトランペット」なんですね。

あと「はるかぜのたいこ」。これは「さむがりうさぎのすてきなたいこ」という作品がありまして、それを絵本として書き直したものです。ここにも楽器屋さんとしてふしぎやという熊が出てきます。あと「月夜のハーモニカ」「野原のカスタネット」も、ふしぎやという屋号の熊さんの話ですね。

それから単行本未収録作品として「しゃっくりがとまらない」「くまのストーブ」「マントをきたくまのこ」という作品があります。

それから主人公ではないんだけれども熊が出てくる作品として「熊の火」「冬吉と熊のものがたり」。これらも熊が重要な登場人物として出てきます。

あと脇役として熊が出てくる作品としては、「長い灰色のスカート」「ふしぎな青いボタン」「サンタクロースの星」「すずをならすのはだれ」があります。

あと熊が出てくる作品を見ていてちょっと気になったこととして、どうもストーブと熊が関連してくる作品がいくつかあるなということです。

「北風のわすれたハンカチ」は月の輪熊の家に立派な薪ストーブがあるんですけれども、その他に「くまのストーブ」っていう、熊が冬に備えてストーブを買いに行く話があります。それから、「冬のしたく」というやはり単行本収録作品では、熊自身がストーブ屋として登場してきます。

また、先ほどお話しした「ひめねずみとガラスのストーブで」も、風の子フーが熊のストーブ屋から美しいガラスのストーブを買います。熊については大体このぐらいになります。

 

☆「童話的な熊」の受容

ネムリ堂 じゃあそういう「童話的な熊」っていうのが、日本ではどのように受容されてきたのかっていうのを、ちょっと考えてみたんですけれども、まず、熊の出てくる物語っていうのは、何があるのかなって見た時に、古くは、イソップの「旅人と熊」っていうのと、グリムでは「熊の皮」っていうお話があるんですが、これは両方とも怖い熊なわけですよね。

で、時代が下って、「三びきのくま」っていうお話があって、この「三びきのくま」っていうのは、1837年、イギリスのロバート・サウジっていう人が散文化し、それを後にロシアのトルストイが翻案しました。もともとはイギリスの民話です。この邦訳は1961年、瀬田貞二さんが福音館「こどものとも」に訳してます。

あと、ロシア民話では、「マーシャとくま」というお話がありまして、これはブラトフという人が1962年に民話を再話した絵本が出版されたのですね。こちらの邦訳は1963年、内田莉莎子さんが訳されてます。

ちょうど1960年代に「三びきのくま」「マーシャとくま」、両方日本の子どもたちのために邦訳をされているのですね。

では、あの有名な「クマのプーさん」は、じゃあ、いつの発表なのかと言いますと、ミルンが発表したのが1926年で、日本で翻訳されたのが1940年。岩波書店石井桃子さんが訳されてます。それが、ディズニーでアニメ化したのは、1960年代。

やっぱり、1960年代に、「クマのプーさん」がアニメ化されていたり、「マーシャとくま」や、「三びきのくま」が日本でも絵本として紹介されたっていうことがわかりました。

そして、「あめふりくまのこ」っていうかわいらしい童謡があるかと思うんですが、こちらは、1961年に鶴見正夫さんが作詞され、1962年、NHKの「うたのえほん」という番組で放送されました。この「うたのえほん」っていうのは、「おかあさんといっしょ」の前身だそうです。

クマのプーさんはテディベアなわけですけど、テディベアは、じゃあどんな歴史があるのかなって調べましたところ、大体1902年から1903年ぐらいに、ルーズベルトの逸話からアイデアル社製造のぬいぐるみ、テディというのがあって、それと同時期にシュタイフがくまのぬいぐるみを作ってます。そして、1904年に万国博覧会シュタイフのテディベアがグランプリ受賞して、その頃ぐらいからだんだんテディベアっていうのが出てくるわけですね。それで、クマのプーさんが1926年ぐらいに書かれると。

「北風のわすれたハンカチ」の発表は1967年ですので、大体こういう流れの中で出てきた作品だということがわかります。

ちょうど同時期に「くまの子ウーフ」という神沢利子さんの幼年童話が書かれているのですけど、これは「北風のわすれたハンカチ」よりもあと、1969年にポプラ社で刊行されてますね。で、この作品、ウィキペディアにちょっと面白いことが書いてあって、動物を擬人化したというのではなく、人間の子供を「擬獣化」した作品だっていう、そういう指摘があるようです。

今、日本で出版されてる絵本で、かわいらしいくまが色々出てきたのは、こういったような流れの中からきている、ということがわかりました。

ちなみに、「くまのミーシャ」ってモスクワオリンピックのマスコットキャラクターなんですけど、モスクワオリンピックは1980年ですので、もうちょっと後になります。ロシアの民話に登場する擬人化された熊はみんなミーシャと呼ばれてるらしいんですけれども、このモスクワオリンピックのマスコットキャラクターの「小さくて可愛らしいこぐま」というデザインは、ロシアの「大きくて残忍なロシアの熊」というイメージに対抗するためだったそうです。

以上です。他に何かお話されたい方いらっしゃいましたら、どうぞご発言お願いいたします。いかがでしょうか。

じゃあ、長くなりましたので、今日はこの辺で失礼させていただきます。今日は聞いてくださってありがとうございました。

次回は、同じくランキング8位「ひぐれのお客」です。

「ひぐれのお客」の収録されている主な単行本は、

偕成社安房直子コレクション』2巻、

偕成社文庫『遠い野ばらの村』、

ちくま文庫『遠い野ばらの村』、

岩崎書店『つきよに』、

福音館書店『ひぐれのお客』、

になります。

次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。

(2025・4・25)

童話作家 安房直子さんについておしゃべり(7)「遠い野ばらの村」

(7)「遠い野ばらの村」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle.finger.window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・アロマスタイル

・ymst

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの1位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。

安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に肺炎のため50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。

「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、

小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、 

野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、

新美南吉児童文学賞(連作集『風のローラースケート』)、

ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)

亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。

おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。

その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。

回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。

栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。

スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。

 

ネムリ堂 今回、第7回目、スペース第7回目で、安房直子ランキング7位は、この「遠い野ばらの村」になります。
初めての雑誌掲載は1979年、雑誌『びわ実学校』です。
読むことのできる単行本としましては、
筑摩書房『遠い野ばらの村』
ちくま文庫『遠い野ばらの村』
そして、去年発売されたばかりの、
あすなろ書房安房直子絵ぶんこ『遠い野ばらの村』ですね。
あとは、郷土出版『林で見た夢』というアンソロジーにも、「遠い野ばらの村」収録されています。
それから、偕成社文庫『遠い野ばらの村』、
同じく偕成社安房直子コレクション』2巻にも収録されています。
では、本日30分しかお時間いただけないので、アロマスタイルさん、ご考察の方どうぞよろしくお願いいたします。

アロマスタイル こんばんは、アロマスタイルです。よろしくお願いいたします。
あすなろ書房絵ぶんこの感想
「遠い野ばらの村」は、野ばらのやさしい赤がぱっとめだつところもあるけれど、全体的に色あいは
もやのような「紫」の煙
夕焼け雲の「うす紫」という表現もあり
淡くて くすみカラー
ペールカラーの
イメージだったので
高橋和枝さんの画が
ぴったりでとても嬉しかったです。
特に 表紙と7ページ おばあさんがゆかたをぬっている場面

29ページ たぬきがつれだって帰っていく姿が好きです。
高橋和枝さんと言えば
偕成社文庫の「銀のくじゃく」も素敵ですよね。
同じあすなろ書房さんから出ている
小川未明の『月夜とめがね』も
とっても素敵で大好きです。
他にも高橋和枝さんに描いていただきたい安房直子さんの作品たくさんありますので、
ぜひ あすなろ書房さんに
絵ぶんこの第二弾もお願いしたいです。 
『遠い野ばらの村』の好きなところは
・「お父さんはおしるこ お母さんはおまんじゅう
わたしたちは おはぎが 大すき」と教えてくれるところ 
・もち米と小豆をやわらかくする
おまじないのことばが 「のんのんのん」
かわいらしい呪文で 私ははじめて聞いた呪文でした。
・「またおいでよ あんたたちが たぬきだって
ちっともかまわないんだから」という言葉がぐっときます。
・橋の上でならんで すわるシーン
おまんじゅうを半分にしてくれたり
おばあさんが子だぬきの頭を一匹ずつなでてやったり
やさしさで あふれていて好きです。
子だぬきたちがおばあさんと再会して
黙っているのは
騙して(嘘ついて)ごめんなさいの気持ちだったり
たぬき界では
人間に姿を見られてはいけないとか
口をきいてはいけないとか
なにか「おきて」がありそうで
声をださずに うなずくだけしかできなかった
たぬきたちなのだけど
おばあさんのことを好きになっているし
心が通じあっていて
思わず(?)
小さな声をそろえて「きっと行きます」
と言ってしまうようなところも
たぬきってうっかり屋な感じがして
かわいくて好きです。
「びっくりするほど安いねだんのせっけん」というのも
世間を知らないのもあったり
欲がない感じでかわいいと思いました。

今回のスペースがきっかけで
安房直子さんの
おばあさんのでてくる作品を分類してみたくて
リストアップしたところ
約45作品ほどありました
(うち単行本未収録16作品を含みます)
どこに分類するか迷う作品も
ありましたが
大きく5つにわけました。
もしご興味ありましたら
ご覧いただき
ご指摘ご意見いただけたら
嬉しいです

 

☆おばあさんの分類

5つの分類をざっと
紹介させていただきますと
この回のテーマ
「遠い野ばらの村」のような
①さみしい・孤独なおばあさんが主人公の作品
「ゆきひらの話」
「秋の音」③?
「黄色いスカーフ」③?
「春のひぐれ」未 
「遠い野ばらの村」


②恩返し系の作品
「山にふくかぜあきのかぜ」未 ①?
「小さい金の針」③?
「みどりのはしご」①?
「小さなつづら」①?
「空とぶスカート」未


異世界(明)に迷い込む 季節の美しさ楽しさを教えてくれる作品
「ねこじゃらしの野原」未(詩とメルヘン)
「やまのくりごはん」未 
「なのはなのポケット」未  
「ふしぎなシャベル」
「冬の話 三つ 
 水仙の手袋 ストーブを買った日 手紙」未 ①?

「グラタンおばあさんとまほうのアヒル
「どんぐりの林」未 
「ひかりのリボン」未 
「おしゃべりなカーテン」
「ばらのせっけん」未 
「ひかりのリボン」未  
「ばら色のつつみがみ」未 ①?④?
「山のタンタラばあさん」


異世界(暗)にいざなわれる こわい魔法? 
「野の音」
「ハンカチの上の花畑」 
「日暮れの海の物語」
「口笛」未 
「海からの贈りもの」
「沼のほとり」
三日月村の黒猫」
サフランの物語」
「丘の上の小さな家」


⑤主人公の家族・血縁関係 登場人物のひとりとして
「だれも知らない時間」
「オムレツごちそうさま」未
「鶴の家」
「しいちゃんと赤い毛糸」
「おばあさんとネコとポットカバー」未 
「初雪のふる日」
「はるはもうすぐ」未 
「ふしぎな青いボタン」
「星のおはじき」
「花豆の煮えるまで」
「まほうのあめだま」
児童文学における
「おばあさん」(おじいさん)は
親とは違う
価値観 考え方を持っていて
子供の味方になってくれたり
知恵を授けてくれる存在だったり
歴史・戦争体験の語りべだったり
人にやさしく・思いやりをもちましょう的な・・・
社会的弱者として
道徳的・教科書的な役割の印象でしたが
安房直子さんの作品のおばあさんは違うので
子供時代に読んだ時 感情移入できるのか
どう感じたか 興味があります
私は大人になってから安房直子さんの作品を読んでいるのと
もともと身体が丈夫でないのにくわえて
最近は加齢で
目がみえづらくなる 耳が聞こえづらくなる
自由がきかない等にふえてきて 共感することが多いです。
それでも心は自由だよ
大人になっても想像力とか空想する気持ちが
心のささえになってくれることを
美しい言葉で 伝えてくれ 見せてくれる感じがして
安房直子さんの世界がやっぱり大好きです。
このあとのお話もとても楽しみなのですが
家庭の事情で一旦退出させていただきます。
失礼いたします。お時間いただき ありがとうございました。

ネムリ堂 はい、わかりました。どうもありがとうございました。なぜおばあさんなのか、というのもあるんですけれども。子供の本なのに、主役が子供でないのはなぜか、っていうのも、私も思いました。
これは後でまた取り上げ、そのこともお話ししたいと思います。

 

高橋和枝さんについて

ネムリ堂 では、安房直子絵ぶんこの高橋和枝さんの装画について。
素晴らしい装画だと思うんですけれども、こちらについて、gentle.fingerさん、素敵な本屋さんのお話が聞けると伺ったんですけれども、お願いできますか。

gentle.finger.window 高橋和枝さんの装画についてですよね。
実は私、実家が横浜でですね、その横浜に、ちょっとご紹介したい本屋さん、『子どもの本&クーベルチップ』さんっていう、Ⅹでもアカウント持ってらして、よく更新されてるんですが、こちらにですね、高橋和枝さんがよくいらっしゃるそうなんです。そのご縁で、年に1回ペースで個展ですとか、あと、ワークショップされているそうなんですね。
まだ実際にはお会いしたことがないんですけど、ちょうど12月も別の絵本の原画での個展をされて、それを、見に伺ったのですが、その時に、この絵ぶんこの『遠い野ばらの村』も1冊、置いてあって、それがサイン本になっていて、すごく可愛いの。表紙の3匹の子だぬき兄弟、お姉ちゃんと弟たちですね。
その千枝ちゃんが、しゃぼん玉を吹いているイラストで。
そう、すごく可愛いんですよ。
で、そのサイン本があったのをいただいてきました。

おそらく、この絵ぶんこの個展は、クーベルチップさんでは、されたことがないと。
それで、「個展されないんですか? 原画、見たいです」っていうお話はしてあるんですが。

ネムリ堂 ぜひぜひプッシュしてください。

gentle.finger.window  はい。また、今年もおそらくこちらの、『遠い野ばらの村』原画かはわからないんですけど、高橋さんのワークショップしようかってお話はあるみたいで。
また何か情報があればおしらせします。

ネムリ堂 原画展、されるんでしたら、もう私、横浜まで飛んでいきます

gentle.finger.window はい。もし横浜、お近くの方がいらしたら、すごく素敵な子どもの本屋さんなので、どうぞ一度足を運ばれてくださいね。

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。
このね、高橋和枝さんの装画が本当素晴らしくて、まず、ばら色の夕暮れの表紙がまず美しいと思って。


gentle.finger.window そうですよね。

 

ネムリ堂 たぬきとおばあさんがこう、向かい合ってるとこなんかすごく良くて。

gentle.finger.window ね、ふんわりと、なんかほんと、ばらの香りが漂ってきそうな優しい絵。

ネムリ堂 本当優しい、綺麗な。それから、中の絵の中でも、ばら色のしゃぼん玉がふくらんでゆくシーンがあるんですけど、そのうっとりするような色合いも素晴らしいなと思って見てて。

gentle.finger.window そうですね、

ネムリ堂 本当、たぬきも可愛らしいし、おばあさんも可愛らしいですよね。

gentle.finger.window ね。なんか、このクーベルチップ店主の方によれば、高橋さんご自身もご穏やかでおっとりとすごく優しい、この絵のまんまの方だそうですよ。

ネムリ堂 何年生まれのかたですか。

gentle.finger.window 1971年です。多分私と同年代なんですよ。別のエッセイを読むと、すごく共感できることが多くって。
婦人公論』にエッセイ連載されてた時期もあったみたいで。

ネムリ堂 そうなんですね。

gentle.finger.window そういう方だそうです。

ネムリ堂 読んでみたいですね。そうですか。
アロマアクセサリーさん、この高橋和枝さんの装画についていかがですか。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida こんにちは。私は代官山の蔦屋さんで、この絵ぶんこの展覧会ありましたよね。その時に見に行きまして。

『遠い野ばらの村』は6ページから7ページにかけての、おばあさんが縫い物を縫っているのを千枝ちゃんが見ているシーンの原画が展示されていまして、愛らしかったです。
代官山蔦屋限定のポストカードいただけるということで、そちらで求めました。
気に入っているのは、15ページの、せっけんを実際に売ってるところです。

 

ネムリ堂 箱の中に並べて売ってるんですよね。せっけんがね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida その感じが本当にこう、手作りのせっけんっていう感じがして、なんともこう、懐かしく、いい感じだなと思って見てました。

ネムリ堂 ありがとうございます。私ももうすでに買ってあったんですけれども、代官山蔦屋でポストカードがついてるので、つい欲しくなっちゃって、この『遠い野ばらの村』絵本を求めました。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ですよね。お店の方に伺いましたら、お写真オッケーっていうことでしたので。安房さんのお写真も一緒に展示されてたので、ツーショットを撮ってきました。

ネムリ堂 はい。壮観でしたね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 原画は、全部それぞれ1枚ずつでしたけれど。

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。ymstさん、いかがでしょうか。

ymst こんばんは。私、まだ、絵ぶんこは持ってなくって。

ネムリ堂 そうですか。失礼しました。

ymst ごめんなさい。なので、ちょっと表紙しか見られないんですけど、すごい魅力的ですね。本屋さん行こうと思います。

ネムリ堂 ぜひぜひ買ってください。なんて。

ymst なんかこう、それこそ私が思い描いていた通りっていう感じがしてね。私は、偕成社文庫なんですよね。

ネムリ堂 じゃあ、味戸ケイコさんの絵の方で。

ymst 味戸さんの表紙だと、本当になんか異世界に入っていくって、なんかちょっとおどろおどろしい感じがして。

ネムリ堂 なるほど。
味戸さんの絵って、筑摩書房の時と偕成社文庫の時と絵が違うって、豆知識なんですけど、ご存知でした?

ymst えー、そうですか。

ネムリ堂 構図が全く同じなんですけど、絵を描き直してるみたいなんですよ。だから、2つ比べてみると、なんか絵が違うっていうのがわかるんで、私も自分で発見してびっくりしたんですけど。見てみてください。筑摩書房の表紙と、偕成社文庫とでは、絵が実は違う。書き直していますので、ごらんになってみてください。

 

☆喪失の「向こう側」

ネムリ堂 今回ですね、yamamomoさんって、『酔生夢死DAYS』っていうはてなブログでのブログを公開されてる方からも、「遠い野ばらの村」についての考察をいただいてるんですが、yamamomoさんもアロマスタイルさんがおばあさんについて分析してくださったように、他のおばあさんの作品についても言及されていたんですね。
「黄色いスカーフ」ですとか、「ゆきひらの話」ですとか、「小さい金の針」「秋の音」などを例として挙げられておられます。で、今ちょっとyamamomoさんの文章をここでご紹介してみたいと思います。

「独り暮らしのおばあさんのお話は、失われたあたたかい思い出の日々へと繋がっていく。或いは、日常の中に愛しいあたたかい楽しいものに繋がる優しさに重点のあるものが多い。

日常生活の中にその過ごしてきたかけがえのない人生の幸福と温かさを感じさせてくれる、その失われた存在、喪失を、存在の側にひっくり返して現在につなげてくれる、魂を宿したモノたち。動物たち、異類たちによる「向こう側の世界」からの媒介を経た、ほんの少しの魔法。「向こう側」に飲み込まれつくされることはない。

 (これは娘らが主人公である場合の美や憧れに身を焦すあまり「向こう側」に取られていってしまう物語群、この世界においては悲しい運命をたどってゆくパターンの多さに対して対照的で非常に印象深い。)

黄色いスカーフ、ゆきひらの話。小さい金の針、秋の音。

人生一日一日の中で、その過去を過ごしてきたかけがえのない日々を共に過ごし、愛しむように大切にしていたモノたちに込められた過去が、その失われていった日々が、付喪神的なるものとしての魂となる。黄色いスカーフ、ゆきひらの話、グラタおばあさんと魔法のアヒル。(金の針や秋の音は、「向こう側」からの便りである。)」

こんな風に文章をいただいてます。この付喪神的なっていう風に書かれてるんですけれども、「遠い野ばらの村」では「せっけん」が重要なモチーフでして、せっけんが取り持つ縁と申しますか、おばあさんを野ばらの村へと導いていくのは、しゃぼん玉。せっけんを材料にしたしゃぼん玉を媒介にしていたりするんですね。そういうようなことも、ちょっとこの文章から私は思いついたりもいたしました。
yamamomoさん、素晴らしい考察をいっぱい書いてくださってるので、この後も随所、随所でご紹介させていただきたいと思います。
冊子にする時には、通して読めるように掲載させていただきますので、どうぞそちらもご覧になってみてください。ありがとうございます。

 

行きて帰りし物語

ネムリ堂 この「遠い野ばらの村」なんですけれども、行きて帰りし物語でもあると思うんですね。
これについて、kurina1412さんからご感想をいただいてるので、gentle.fingerさん、こちらのご感想をご紹介お願いいたします。

 

gentle.finger.window はい。では、ご紹介しますね。

「題名からは、行きて戻らない物語のような印象を受けます。おばあさんは幻想の世界を生きていて、最後にはその世界に行ってしまう。「銀のくじゃく」のような切ない物語だと。あるいは、たぬきの子供たちの正体が分かってしまって、2度と会えなくなってしまうのかと。
その印象が良い意味で裏切られました。人間とたぬきのままで、これからも交流していけるという幸せな結末でした。安房さんの作品や色彩や香りが心に残ります。野ばら堂のせっけんの香りもなんだか昔から知っていたような気持ちになります。」
以上です。

 

ネムリ堂 はい、ありがとうございます。そうですね、安房さんの作品なんですけれども、ちょうどこの「遠い野ばらの村」の辺りからですかね、これは1979年に雑誌に発表されているんですけれども、この頃ぐらいの1980年代くらいから、行きて戻らぬ作品ではなく、行きて帰りし物語へと変化していくように思うんですね。
例えば、「秘密の発電所」(1980)ですとか、「月夜のテーブルかけ」(1981)ですとか、「ねこじゃらしの野原」(1984)ですね。みんなどこか異界に行くのだけれども、そこから帰ってこられないという作品が、初期の頃は多かったんですけども、そうじゃない優しいまろやかな作品へと変化していってくるように思います。
そういった行きて帰りし物語についても、yamamomoさんからもご考察いただいてますので、ちょっと私の方から紹介させていただきます。
「最後、彼女は境界の橋に座る子だぬきたちを見つけ、頭をなで、たぬきであっても構わないと心を分かち合い、野ばらまんじゅうを分かち合い、けれどその向こう側の橋に渡ることなく、今後の約束だけをして「こちら側」に戻ってくる。
多分、橋を渡ってしまったら、おばあさんは「向こう側」のものになってしまうのだろう。あたたかな魔法に護られるつながりの魔法の野ばら提灯灯りを手に、おばあさんはあたたかそうなその灯りを胸の中に灯し、日々を暮らしてゆく。」
とあって、本当、私、全然気がつかなかったんですけど、これ、橋の途中でおばあさん、子だぬきたちと会ってるっていうのに気づかされました。で、橋を渡ってしまったら、異界のものになってしまうかもしれない。戻ってこられない作品としてこの作品は書かれてたのかもしれないんですけれども、この「遠い野ばらの村」では、おばあさんは橋の真ん中で子だぬきたちとおしゃべりをして、で、野ばらまんじゅうも半分だけ。半分だけ分けてもらって、それを食べて「帰って」くるわけですねね。
例えば、安房さんには「たんぽぽ色のリボン」っていう作品もあるんですけど、このおじいさんなんかは、最後天に昇っていって、そのまま、多分、はっきりとは書いてないけれども、昇天してしまうようなお話が晩年にはあるんですね。でも、そうではない、この「遠い野ばらの村」は行って戻ってくるという、そういう作品になってるかと思います。

☆野ばらまんじゅう

ネムリ堂 それでは、つぎに、野ばらまんじゅうについて。アロマアクセサリーさん、考察の方いただいてますので、ご紹介お願いいたします。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい、考察と言いますか、ちょっと調べたことです。
赤い野ばらの塩づけについてなんですけれども、日本の在来種のノイバラというのは本来、「白で」す。
ただ、塩づけの作り方としまして、クエン酸を少し加えて塩漬けにすると、もも色の野ばらの花の塩づけはできます。ただ、真っ赤にはなりません。これは空想の話ですので、たぬきたちのいる場所が現実の人間世界とは違う場所だとすれば、赤い野ばらが咲いていても不思議ではないと思いました。もしかしたら、赤の野ばらが咲きみだれる色彩の美しさのイメージから、安房さんが描かれたのかな、ともちょっと思いました。

 

ネムリ堂 なんか一重のばらだと、野ばらかわかんないですけど、赤いばらの花、ありますよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ばらは、ほんとに種類が多いんですね。
品種が多分違うんです。赤は、このノイバラの在来種ではないんですよ。

 

ネムリ堂 そういうことなんですね。日本の在来種では白のみ、ということですね。なるほど。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 図鑑で調べましたら、そうでした。

ネムリ堂 なんか、お花のお料理の本で野ばらの塩漬けが載ってたって。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい、そうです。野ばらの塩づけは、『おいしい花 花の野菜・花の薬・花の酒』(吉田よし子著 八坂書房 1997)という花の食べ方の書いてある本がありまして、それに載っていました。

ネムリ堂 すごいですね。野ばらの塩づけ、実在したっていうのがすごいです。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。それはこの本だけだったかな。そう。桜はよく出てくるんですけれども。野ばらは、トゲが多いことも特徴の1つでして。
いわゆる「薔薇(そうび)」ですよね、中国では「薔薇」と書くと、ノイバラのみを指すんですね。
ノイバラは、トゲが多いということは、やはりこう、ちょっと人を寄せ付けないということでもあるので、こう、人間世界と空想の世界を分け隔てるような場所に生えているというような、「境界」を示す場所にあるかなとは思いました。
安房さんの他の話でも、「赤いばらの橋」などは、最後トゲトゲがあるばらで魔法かけられて、あれは小鬼と魔女の世界でしたけれども、ちょっとやっぱり人を寄せつけないような、何か隔てるようなものを感じます。

ネムリ堂 あと、なんか『古事記』についての考察もされてたかと思うんですけど。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida おまんじゅうを食べるシーンですね。さっき半分こして食べてましたよね。そういう外のものを食べるということは、『古事記』の中で、イザナギイザナミの逸話で、イザナミが亡くなって黄泉の国に行ってしまったけれども、黄泉の国のものを食べてしまったので戻れなくなったっていう有名なお話がありますが、このお話では、おばあさんは半分こですよね。
たぬきは半分だけくれたんですよね。っていうことは、まだ生死の境をさまよってるような、どちらにも行けるような…。おばあさん、もうちょっと頑張って生きてほしいなみたいな気持ちがあったのかな、と。

ネムリ堂 たぬきは、提灯を最後に持たせてくれるけど、私、灯籠流しをちょっと思い浮かべたんですよ。
だから、なんか、提灯がなんかおばあさんの魂のような気もして。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。あと、そのしゃぼん玉を追って、おばあさん、ばらの村のところまで来たんですけど、その割れない玉っていうことが、またちょっとやっぱり現実ではないところに導いていくものとして描かれてるのかなと思いました。

ネムリ堂 なるほど。はい、ありがとうございます。
そうしましたら、yamamomoさんの考察も一緒にご紹介いただけたらと思うんですけれども、お願いできますか。

☆境界の融解

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。
あじきない寂しさという決して心が認めることが出来ない、あってはならない「現実」と、本来あるべきあたたかな幸福の世界、夢見られた心の中の「真理」の背反と反転という構造が「魔法」というメディアの力で、おばあさんの心の中なのか現実なのか、内側が外側に滲出したのか、外界がおばあさんの夢をかなえたのか、その境界の融解したこの物語世界を醸成してゆく。

そこは既にたぬきたちの物語る野ばらの村と、おばあさんの妄想であったところの息子たちの住む村、その双方の語る物語の領域が溶け合ったところにある。

ここがキイ・ポイントである。

子だぬきたちの語る野ばらの村の状況を、ぼんやりと「ああ、そうだったわねえ。」と、今まで考えていなかった状況を「忘れていたことを思い出した」かのように事実とする。

自分の思い描いていた世界が脳内からはみ出して、外側から確固たる現実世界を乗り越えてやってくる。この描写は、どこかあまやかに誘う催眠術の表現にも似た心理描写であり、異界参入のサインである。安房直子の魔法物語の少しひやりとするような怖さを孕んだ不思議さのあふれ出る、魅力満載な異界へのアクセスポイント、読者の脳髄がトリップしていくキイポイントだ。単なるおばあさんの頭の中の妄想、ということの領域を超えてゆく存在の異界。」

以上です。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。yamamomoさん、ありがとうございます。
そうですよね。この物語なんですけれども、おばあさんが、たぬきたちと出会うことによって、いろんなことを思い出していくという、新しい事実に即して、どんどんそれを思い出したかのように、頭の中の世界が現実に現れてくるという。なんでしょう、不思議な、でも、ちょっとそこがなんか切ないんですよね。
このお話の主人公のおばあさんは、はっきり言えば「嘘つき」なわけですよね。「嘘つき」なわけなんだけれども、嘘つくわけなんだけど、こんな優しい他愛のない嘘をついてしまうようなおばあさんの寂しい身の上であったり、寂しい心情を思うと、なんかこう、涙がこぼれるような気がするんですよね。
これはやはり物語であって、実際の、現実に生きている、たくさんのこういうような孤独なおばあさんの元へは、このような優しいたぬきたちはやってこないというのが読者にはわかっているからこその寂しさなんじゃないかなと思ったりもいたします。

このお話は、嘘を断罪する正しい人間じゃなくて、人間の弱さのようなものとかを、そのままで優しく包み込んでくれるような、温かな、でもどこかさみしくかなしい、だからこそ愛おしくなる作品だなと思うんですね。
それから、「また、はじまった」などと心の中で思う村の人たちなんかも、なんかすごいリアルだったりして、そういうような、なんて言うんでしょう、リアルさと、不思議さとを合わせ持つ作品だなと私は思いました。

 

☆野ばら

ネムリ堂 野ばらについてなんですけれども、「遠い野ばらの村」に出てくるあの野ばらの色っていうのが、赤と白とばら色なんですね。
で、ばら色っていうのは赤を指して書いてあるみたいなんですけれども、赤い野ばらって、多分「赤」って言っても、ちょっとピンクがかった赤を指してるような感じなのかなとばらの図鑑を見て思いました。
で、提灯の灯もやっぱり野ばらの色って書かれていて、本当、この野ばらの色について、ymstさんがちょっと言ってくださったんですけれども、そこら辺、ご紹介していただいていいですか。

ymst 提灯の色って火の色だから、なんか私、なんていうかな、ピンクとかそういう色じゃなくて、本当に炎の色。
オレンジがかったような色をやっぱり思い浮かべてしまって、読んだ時に、ぱっと読んだ時に、「野ばらの色でした」っていうのが、どんな色だろうって、ちょっとこんがらがったんですよね。
で、それで、ネムリ堂さんへのメールにも書いたんですけど、「ひぐれのお客」には、赤にこだわる猫が出てきますよね。灯の色が、私の中では、なんかそっち寄りな感じがして…。どんな色なんだろう。って。この最後のページに来て、またちょっと悩んだのです。

 

ネムリ堂 「遠い野ばらの村」の中には、赤と白のばらだから…。なんか赤には、一重のバラもありますもんね。

ymst 野ばらのイメージが、薄ピンクとか、そんな感じだったので…

ネムリ堂 確かに、提灯の色は、あの「ひぐれのお客」の猫の、あの、薪ストーブの火の色を思い浮かべますね。

ymst まさにね、火っていう感じでね。

ネムリ堂 提灯っていうと、提灯が出てくる作品、安房さんには、他に2つほどあるんですけど、「だれも知らない時間」でも病気のお母さんとの絆を確かめるために、眠っているお母さんのところにさち子が行って、提灯を灯して帰るっていうシーンがあったかと思うんですね。
で、「遠い野ばらの村」の最後に千枝ちゃんがおばあさんに提灯をくれるっていうのも、なんでしょう、絆としての提灯というか、なんかそういうので、「だれも知らない時間」の提灯とも響き合ってくるような気もして読みました。
あと、「うさぎ座の夜」も、最後、提灯を持ったカーテン屋のうさぎが、家まで送ってくれるっていうシーンがあって、ここはそれこそ、「遠い野ばらの村」の提灯と、繋がってくるかなと思いますね。

☆登場しない「息子」

ymst ちょっと私、思ったことがあったんでね、今、話してもいいですか。

私、ネムリ堂さんへのメールに、「遠い野ばらの村」のおばあさんが、「ハンカチの上の花畑」のおばあさんと一瞬かぶったっていう話をちらっとしたんですけど、全然違うおばさんなのに、どうしてかぶったんだろうって思ったんですよね。で、何度も読んでみて、ここのおばあさんの息子って本当にいないのかなってちょっと思って。ほんとにいないっていうのがどこにも出てこなくて。
で、おばあさんが、さっき嘘つきだって話があったんだけれども、他の人が嘘つきだと思ってるだけなんじゃないかなって思ってて。私はね、なんでそう思ったかっていうと、最後の最後に、とうとう息子の村へ行ってきましたよっていうのが、さっきの、今まで聞いてた話の中で、異世界っていうか、あの世とこの世の境かもしれないっていう話の中で、もしかして息子って、死んじゃった息子がいたかもしれないって思って。

 

ネムリ堂 ああ、なるほど。もしかして結婚はしてないっていうことははっきり書かれてるわけではないから、もしかしたら恋人が昔いたかもしれなくて、その恋人との息子もいたかもしれないっていう、ちょっとそういうことも考えちゃいますね。なるほど。

ymst でね、最初のページに戻ると、おばあさんには息子なんか1人もいないことを村の人たちは知ってる。それどころか、おばあさん、昔からの1人暮らしだったって書いてるけれど、その「昔」はいつ頃かっていう。例えば天涯孤独だったわけじゃないですよね。途中にお父さんお母さんお姉さんとかが出てきてますね。だから、その頃1人暮らしじゃないじゃないですか。
ってことは、「ある時」から1人暮らしになった。

 

ネムリ堂 秘密の息子がいたかもしれませんね。

ymst かもしれない。村を出て、もしかしたら違う村にいた人かもしれないけれど、大人になって、息子もいない状態でここにきて、今のこの近所の人たちと知り合った。

ネムリ堂 他の村にお嫁に行っていたかもしれないですよね。で、戻ってきたかもしれない。

ymst 「ハンカチの上の花畑」の息子も、文面に出てくるけど、息子本人出てこないんじゃないですか。

ネムリ堂 そうですね、息子が出てこないっていうのも同じキイポイントですね。

ymst 実在してるけれど出てこない息子。

ネムリ堂 たぬきの息子ですら出てこない。

ymst そうそう、そうなんですよ。で、その時に、その千枝ちゃんが、おばあさんの孫として、おばあさんが自分が思い描いてた通りの孫の姿で出てきますね。なんで思い描いた通りに化けられたのかなって。思ったんだけど、もしかして、おばあさんは自分の若い頃にそっくりの、おさげの娘の姿をはっきりと目に浮かべて、と書いているから、もしかして、若い頃を知ってるたぬきなのかな、なんかどっちも昔からここに実はいたのかな…って、いろいろ思いました。

ネムリ堂 なるほど。
私、千枝ちゃんの名前でちょっと思いついたことがあって、ちょっと話がずれてっちゃうんですけど、千枝ちゃんの名前って、「霧立峠の千枝」っていう未収録作品があるんですね。で、その作品っていうのは、妖精の取り替えっ子の物語であって、偽物の娘が出てくるわけです。で、「遠い野ばらの村」の千枝ちゃん自身は、偽物の孫なわけですよね。
だから、「チエ」っていう名前が、どちらも偽物とは書いてないけれども、ある意味本物でない娘だったり孫だったりっていうのを指してるなっていうのを、ちょっとさっき気がついて、なんか面白いと思ったりもしたんですよね。

 

☆野ばらの村

ネムリ堂 野ばらの村についてなんですけど、Ⅹで、随分前にポストされてた方がいらして、それで、私も知ったんですが、中国の山東省に、ばらの村「玫瑰鎮(メイグイチン)」っていうのがあるらしいんですね。
で、そのサイトは、サカタの種の園芸通信(https://sakata-tsushin.com)で、「東アジア植物記」っていう、小杉波留夫さんという方が書かれた、「食香バラ[その2] 玫瑰鎮(バラの村)への旅路 その地理と歴史」という、ばらの村を訪れた旅行記なんですけれども、メイグイていうのは、「玫」(メイ)が赤く美しいこと、「瑰」(グイ)が綺麗な玉や塊のことで、ばらのことを指すらしいですね。で、「鎮」(チン)は村のことですから、ばらの村への旅路、その地の歴史っていう、そういう紹介があったんです。そのサイトを拝見して、本当になんか遠い野ばらの村みたいなばらの村が中国に実在するということがわかって、すごくびっくりしました。
中国ではバラの栽培の歴史は古くて、唐の時代まで遡るそうです。宮廷での沐浴剤や、花弁を薬用にしていて、平陰県での野ばらの栽培は3500ヘクタール、ばらの花の生産量は9000トン、ばら栽培に従事する農家は3万戸あるそうで、その規模は世界最大だそうなんですね。
で、薬用や食用の薔薇であって、観賞用のモダンローズではないそうです。
ここで栽培された食香バラっていうのが、ばらの花弁なんですけど、食味が良くて、天ぷらや、生のままジャムにもできるそうです。それから、お茶やおまんじゅうの餡にもするそうです。で、普通のばらは苦みがあるんだけれども、このばらの花は、そんな苦み、えぐみがないそうなんですね。花弁を取って、同じ重さのグラニュー糖とともに、熱を加えないで、手でこねて、そうすると、花の重さの1.5倍の砂糖を入れて、そのまま甕に何年も寝かせて醤(ジャン)にするんだそうです。で、その醤を月餅やおまんじゅうの餡に使ってるっていう、そういう記事があって、すごく面白いなと思いました。
あとですね、これはまた全然違うんですけれども、萩尾望都さんの漫画で、『ポーの一族』にもばらの村って出てきますよね。そちらはちょっとこの遠い野ばらの村みたいなほんわかした村じゃなくて、真っ赤なばらが咲き乱れる、ちょっと血生臭い感じの村になっちゃうのかと思うんですが…。で、ちょうど『ポーの一族』第一話「すきとおった銀の髪」という1番最初の作品が1972年雑誌掲載、「ポーの村」という短編が書かれたのも1972年なんですね。
そして作品としての『ポーの一族』が第21回小学館漫画賞受賞したのが1975年度なんですね。
「遠い野ばらの村」は1979年に書かれてますから、もしかしたら安房さん、この『ポーの一族』もご存じだったのかもしれないなんて妄想が広がっちゃって、ちょっとそこら辺どうなのかなって興味を持ちました。質問ができたら、ちょっと質問したかったなと思ってます。
あと、野ばらについてなんですけれども、安房さんの作品のばらが書かれてる作品っていうのは、
「野ばらの帽子」が白い野ばら、
「小さい金の針」も白い野ばら、
「つきよに」も、これは野ばらとは書かれてないんですけど、白いばらが出てきますね。
あと、「コンタロウのひみつのでんわ」っていうのにも白い野ばらのふとんが出てきます。
あと、「野ばらの少女」という未収録作品がありまして、こちらの野ばらはもも色なんですね。で、アーチは赤いつるばらって書かれています。
あと、「ばら色のつつみ紙」っていう、そういうばら色の品物を売ってるお店、妖精のお店が出てくる。もうなくなってしまったばら園の思い出の色を売っている妖精のお話なんですけれども、そういった未収録作品があります。
あとはべにばらとか黄ばらとかが出てきますね。
それはちょっと今回は割愛したいとます。

 

☆なぜ、おばあさんなのか

ネムリ堂 なぜおばあさんなのかっていう、最初にアロマスタイルさんから、主人公がおばあさんである必然性について色々考察してくださったんですけれども、私もなぜおばあさんが、主人公なのかなってちょっと思ったんですね。子供の本なのに、主役は子供でない、おばあさんであるということ。
そしたら、調べていきましたらば、『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(大塚ひかり著 草思社 2015)っていう本があるのを発見したんですね。

なぜおばあさんとおじいさんが主役なのかは、まず
①老人が社会的弱者であるからで、
②昔話の語り手イコール主人公であるから。で、
③年齢の分だけ知恵を蓄積した存在であるから

という風なこと書かれてるんです。
それと、たまたま発見したんですけれども、河合隼雄さんも、『子どもの宇宙』(岩波新書 1987)という本で老人について書かれてまして、
「老人と子供は不思議な親近性を持っている。子供はあちらの世界から来たばかりだし、老人はもうすぐあちらに行くことになっている。両者ともあちらの世界に近い点が共通なのである。」
っていう、そういうことを言っておられるんですね。
なので、昔話の主人公がおじいさん、おばあさんっていうのは孫の面倒を見ている役目があるということもありますし、昔話をする語り部との一致としておじいさん、おばあさんが出てくるということ。
あと、近いけれども実は遠い存在というか、なんでしょうね、私はちょっと異論はあるかと思うんですけど、老人は子供にとってはちょっと妖精に近いような存在なのかな、なんてことも思いました。ちょっともうずれた話になってしまいますが。

 

☆たぬきについて

ネムリ堂 では、たぬきについて。こちら、どういう作品があるのか。たぬき作品の紹介を、アロマアクセサリーさん、紹介していただいてもよろしいでしょうか。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。安房直子作品における、たぬきの作品の紹介をします。
「雪窓」(1972)
「月夜のテーブルかけ」(1981)
「山のタンタラばあさん」(1981)、
これもたぬきとしゃぼん玉の話です。
以下、未収録作品になります。
「月夜のオルガン」(1962)
「たぬきの電話は森の1番」(1973)
「かたつむりのピアノ」(1973)
「どんぐりの林」(1986)
→がめつく人使いがあらいたぬきが登場します。
単なる脇役としては
「ゆうぐれ山の山男」、「山男のたてごと」「緑のスキップ」、「あざみ野」「べにばらホテルのお客」「すずをならすのはだれ」「ふしぎなあしおと」。以上です。

ネムリ堂 ありがとうございます。たぬき、そうですね、「どんぐりの林」では、がめつく人使いが荒い商人のたぬきが出てくるんですけれども、せっけん作りのたぬき、実際には登場しないんですが、せっけん作りをしているたぬき、もしかしておばあさんへの接触は、せっけん販路拡大の手段だったのかもしれないなんて思ったりもしました。
たぬきは、元々はおばあさんを利用するというか、おばあさんを通じてせっけんの販路を拡大したかったのかもしれない。そんなこともちょっと考えちゃったりもしました。
でも、結局は1人ぽっちの主人公に寄り添う存在であって、ずるかったり、人を騙したりしない。そういうたぬき。安房さんの作品の中で、たぬきは、そんな存在として描かれてると思います。
では、なぜ「たぬき」なのかということ。yamamomoさんがこちらも考察してくださったんですけれども、たぬきは愛らしい太鼓腹にぽってりとした尻尾のコミカルな庶民的イメージがあると。で、化けることができる、昔話で親しまれる存在であって、山の神の威厳から言うと、鹿よりもきつねりもたぬきの方が威厳がない。さらに、子供のたぬきであるということが、作品への登場に最適なチョイスであるというようなことを指摘してくださってます。

あと、たぬきなんですけれども、調べてみましたところ、たぬきは日本ではありふれてるんですけれども、世界的には珍しい獣だそうなんですね。日本を含む極東の一部にしか生息しないそうです。
ナショナルジオグラフィック日本版の2017年の8月号にあった記事なんですけれども、珍しいコビトカバ(世界三大珍獣の1つ)との交換として、代わりに、2013年、シンガポールの動物園にたぬきを送ったこともあるということを紹介されてました。ちょっとびっくりしました。

 

☆走ることと眠ること 異界への入り口

ネムリ堂 もう1つ、「走ること」が異界への入り口になってるんじゃないかということも思いまして。このしゃぼん玉を吹きながらおばあさんどんどん走ってくんですけれども、安房作品では走る作品が結構多いんですね。で、それがそのまま異界への入り口になってくっていう、そういう作品が多いです。
例えば、「だれも知らない時間」ですとか、「夢の果て」、「野の果ての国」、「鳥にさらわれた娘」などがそうですね。
ただ、これらの作品が全部みんな娘さんがその激情のまま走って、異界に吸い込まれてるのに対して、この「遠い野ばらの村」に関しては、走る人はおばあさんであり、そして「境界」の橋までしか行かずに異界には渡らないというのがこの「遠い野ばらの村」の特徴かなと思います。

それから、眠りについてなんですけれども、千枝ちゃんたちたぬきたちが眠ってしまったことによって変身が解除されてしまいますよね。
安房作品では「眠り」というのも結構、出てくるモチーフでして。こういう風に変身の解除として使われてる「眠り」は「冬吉と熊のものがたり」という作品もそうです。
安房作品の中では「眠り」は、どうも、「変身」と、密接に繋がってるようでして。「小鳥とばら」、「よもぎが原の風」なんかでは、この眠ることによって、人間でないものに変身してしまう、そういう作品が多いような気がします。

オノマトペ「ふっくり」

ネムリ堂 最後になりますけれども、オノマトペについて。「ふっくり」っていう言葉が出てくるんですけれども、あずきももち米もふっくり膨らんだっていう風に、この「遠い野ばらの村」では、出てきますね。安房さん、「ふっくり」っていう表現を結構好んで使っています。
例えば、「初雪のふる日」は、白い毛がよもぎの葉のうらにふっくりついた、
コンタロウのひみつのでんわ」では、花びらのふとんはふっくりとあたたか。
「天窓のある家」では、ふっくりふらんだこぶしの花の影
「花の家」では木蓮の白い花がふっくりと咲き、「ふろふき大根のゆうべ」では、いのししはふっくり太っている。
「空にうかんだエレベーター」では、うさぎのふっくりした耳。
「ゆめみるトランク」では、真っ白でふっくりした一足のくつのようなもの、
「鶴の家」では、春子はふっくりと色白。
「花のにおう町」では、女の子はふっくりと色が白くて、
「サリーさんの手」では、手の甲はふっくりとふくれていて、
「エプロンかけためんどり」では、ホットケーキはふっくりとあまくて、
「ききょうの娘」では、ご飯をふっくりと炊けていて。
「だんまりうさぎとおしゃべりうさぎ」では、くるみのおもちはふっくり焼けて、
「山のタンタラばあさん」では、ふっくりと黄色いカステラ、
「花豆の煮えるまで」では、ふっくりふくらんだ花豆。
「小夜と鬼の子」では、ふっくりとあたたかい山……。

こんなふうに、「ふっくり」がすごくよく出てくるんですね。
で、「ふっくり」っていうのは、じゃあ普通に使われてるオノマトペなのかなというので、ちょっと気になって、青空文庫全文検索で調べてみたことがあるんですけれども、今、なんか、この青空文庫、全文サーチがうまくできなくなっちゃったので、今やろうと思ってもできないかもしれないんですが、しらべた当時、青空文庫全文サーチでやってみましたところ、173件ヒットしました。
1番多かったのが宮本百合子、それから泉鏡花、あと山本周五郎太宰治岡本かの子林芙美子菊池寛中里介山などが例として挙げられていましたので、なるほど、こういうこの頃の人たちも「ふっくり」っていうのを使ってたんだなというのがすごく面白かったです。
私の方からは以上です。他に何かお話したいことある方いらっしゃいましたら、どうぞお話お願いいたします。

☆のんのんのん

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ひとつ、よろしいでしょうか。魔法の言葉でのんのんのんってありましたよね。

 

ネムリ堂 はい。のんのんのん、ですね。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 安房さんは他にもそういった魔法の言葉のような、擬音のようなものというのが使われていたのでしょうか?

ネムリ堂 そうですね。「もじゃもじゃ」ってよく呪文を唱えてますね。「まほうをかけられた舌」ですとか。あとは「おしゃべりなカーテン」だったかな。

「おしゃべりなカーテン」では、ピエロがもじゃもじゃと呪文をとなえます。あと、やっぱり「おしゃべりなカーテン」では、はっはと息をかけて、もじゃもじゃとまじないをおばあさんがしたっていう箇所がありますね。
「のんのんのん」って、アロマスタイルさんは初めて聞いたっておっしゃってましたけれど、よく児童文学とか昔話とかでのんのんのんっておまじないするような気がします。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 「のんのんのん」ではないんですが、「のんのんばあ」が有名ですよね。
水木しげるさんの。

ネムリ堂 「のんのんさま」ですよね。神様、仏様とかに、いいますもんね。それと関係あるんでしょうか。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 観音様に祈願するみたいな意味合いがあるのかなともちょっと思ったり。本当かどうか知らないのですけど。

ネムリ堂 のんのんのんって結構そういうおまじない、昔話とかに出てくるような気がしたんですけど…

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 私が子供の頃から、うちだけかもしれないんですが、夜、泣いたり悪いことすると「ノンノちゃんが来るよ」って言われてた。

ネムリ堂 ノンノちゃんとか来たら、怖い気がしますね。

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。他の方はどうですかね。その、の、のの、のんのとかので何かそういった話ってないですか。

ネムリ堂 gentle.fingerさん、いかがですか。

gentle.finger.window なんか、ののさまって、観音さまのことだった気がします。あと、松谷みよ子さんのなにかに、太陽のことをののさま、って言っていた気がします。『ちいさいモモちゃん』かなにかで、そう呼んでていたのかもしれない…。なんか、ののさまっていうと、なんかこう、太陽イコール神さまみたいな。それについて、もし何かわかったら、もうちょっと面白そうですよね。
安房さんも昔、昔話とか勉強されてたんで、どこかで聞いたのかも。

ネムリ堂 ありがとうございました。ymstさん、他に何かお話ありませんか。

ymst のんのんのんは、私も何かで読んだ気がして、目の前にそれこそ『ちいさいモモちゃん』があったのですが、みつかりません。なんか、お地蔵さんかなんかに向かって、のんのんのんっていう言ってたような気がしたんだけど。

ネムリ堂 そうそう、その感じなんですよ。だから、なんかのお話なのか、気になってしまいますよね。

ymst そうそれ。そういう感じで、どっかで読んだことあります。
でも、今ぱっと見た感じでは、見つけられなかったんですけど。南無妙法蓮の幼児語なのかなって思ってました。

ネムリ堂 なむなむが、のんのにね、転訛することあるかもしれないですよね。
そうですよね。なるほど。南妙法蓮華経かもしれないですね。

gentle.finger.window いま、ちょっと検索したら、浄土真宗じゃ、阿弥陀如来をのんのんさま、というみたいです。にょらい、が、のんのん、になるんですかね。

ネムリ堂 ほとけさまのことなんですね。そうなんですね。

gentle.finger.window 仏教用語というか、お参りの言葉としてのんのんっていってたのかしらね。

ネムリ堂 なるほど、そうですね。南無阿弥陀仏だったかもしれない。南妙法蓮華経だったかもしれない。
(後注・Ⅹで、フォロワーさんに伺った所、いろいろなご報告がありました。由来は諸説ありますが観音から、如来の「にょ」から、仏壇のリンの音から等、古くからあるお祈りの言葉です、というご報告、愛知県の岡崎市生まれですが手を合わせて「のんのんさん」と言って育ちました、というご報告、頭を下げて祈ることを「祈む(のむ)」ということから、祈ることを富山弁で「のんのんする」というらしい、また、浄土真宗の仏教歌で「のんのんののさま」という歌があるらしいということも。鹿児島の生まれのかたからは、弟が通ってた保育園はののさまと両親に感謝していただきます と手を合わせてから、お昼を食べていた記憶があります、というご報告もありました。
岩波書店の国語辞典には、「ののさま【のの様】/神様。仏様。また、お日様。お月様。▽僧が仏に経をあげるのが「のんのん」と聞こえるところから出た語という。幼児語。」とありました。)

ネムリ堂 ありがとうございました。では、次回取り上げる作品なんですけれども、次回は「北風のわすれたハンカチ」になります。
これも去年発売された、あすなろ書房さんの安房直子絵ぶんこで、etoさんが装画をされてる絵本があります。
あとは、偕成社文庫で『北風のわすれたハンカチ』も読むことができます。
同じく、偕成社から出ている『安房直子コレクション』1巻にも収録されています。
で、そうですね、また、2ヶ月後ぐらいに、また、スピーカー皆さんご参加いただけたらと思いますので、また、スペースさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。
今日は、どうもありがとうございました。
           (2025・1・24)

 

この座談会記録は冊子化し、頒布しております。

ご希望のかたは、

nemuridoh@gmail.com まで、ご連絡ください。

童話作家 安房直子さんについておしゃべり(6)「あるジャム屋の話」

(6)「あるジャム屋の話」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle finger window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは、二〇二三年十二月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの一位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。

安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に肺炎のため50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。

「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、

小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、 

野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、

新美南吉児童文学賞(連作集『風のローラースケート』)、

ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)

亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。

おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。

その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。

回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。

栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。

スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。

 

今回は第6位になりますかね、「あるジャム屋の話」になります。こちらは雑誌『MOE』に1985年4月に掲載されたものでして、今手に入る単行本としましては、先日、絵本であすなろ書房さんから、絵本『あるジャム屋の話』が、装画が伊藤夏紀さんで、でたばっかりになります。ほかで読めるものとしましては、

講談社文庫『春の窓』

講談社『夢の果て』(絶版だがKindle有り)

偕成社『鳥にさらわれた娘』(絶版)

偕成社安房直子コレクション』5巻

に収録があります。

まずは、伊藤夏紀さんが描かれた「あるジャム屋の話」の絵本について、お話を進めたいと思います。どうでしょうか。この絵本、すばらしい絵本と思うのですけれども。

ジャムの数々が美味しそうで、鹿の娘さんの表情がすごく愛らしいのですよね。で、また、お父さんの鹿がすごく雄々しくて。ブルーベリーの茂みが素敵だなあ、って私は思ったんですけれども。

今回、「あるジャム屋の話」を取り上げます、と申し上げたところ、3人の方から、事前に、ご寄稿いただいております。アロマスタイルさん、HO書店さん、yamamomoさん、からです。

アロマスタイルさんからは、伊藤夏紀さんの装画についてのご感想いただいておりますので、gentle finger windowさん、アロマスタイルさんのご紹介お願いいたします。

 

gentle finger window はい。アロマスタイルさんからいただいております「あるジャム屋の話」の装画についてのご感想をご紹介します。まずは、表紙画の構図とアングルが大好き、ということと、18、19ページ、主人公の「私」と鹿の娘が語らっているシーン、このシーンもとても素敵だ、というお話。そして、33ページ、ジャムの瓶がズラッと並んでいるのですけど、とてもかわいい、素敵で美味しそう、というご感想いただいております。

私も、「あるジャム屋の話」、本当に綺麗な絵で構成されているのですが、3ページのゴロッと美味しそうなあんずが木にたわわに実っている向こうに、主人公の子供の頃、お母さんと一緒にあんずのジャムを作っている、こう、温かい記憶が描かれた挿絵が、なんか本当に、なんかすごくいい絵だなと思って。

 

ネムリ堂 うんうん。よいですよね。

 

gentle finger window あと、とくに、この伊藤夏紀さんの「絵ぶんこ」の中で、鹿の娘が本当に綺麗に描かれてるなって思っていて、鹿の娘の絵、何枚もあるんですけど、私が好きなのは特に13ページと34ページ、白黒なんですけれど、本当に話の通り、大きな涼しい目に長いまつ毛で、毛並みがこう、艶やかで、とても綺麗で上品な鹿の娘が描かれていて、そこが好きですね。

 

ネムリ堂 いいですよね。私もこの娘さんと、あと主人公の「私」が語らっているところの、この鹿の娘さんの表情が すごく素敵で。ほんと、いいな〜と思って。本当ね、伊藤夏紀さん、貝の小鳥さんって、目白の、児童書の古本屋さんで、伊藤夏紀さんの個展をされてたんですけど、押しかけてサインまでいただいてきちゃいました。

 

gentle finger window 絵本についても、伊藤さんから、お話あったんですか。

 

ネムリ堂 そうですね。どんなふうに鹿の娘さんを描かれたんですか、みたいなお話を伺って。実際にお話聞けてすごく嬉しかったです。

 

gentle finger window なるほど。

 

ネムリ堂 ええ、アロマアクセサリーさんも一緒に伺ったんですよね。一緒にサインいただいて。

 

gentle finger window 伊藤夏紀さんがこの、「あるジャム屋の話」を描かれるって、決まった経緯とかあるんですかね。特にこのお話が好きだったっていう、そういう?

 

ネムリ堂 それは、編集の方からお話いただいて、という感じで、言っておられましたね。

 

gentle finger window それまで、あれですか、伊藤さんは安房さんの作品、こう、ご存じだったっていうか、お好きだったとかあるのですか。

 

ネムリ堂 なんか、お好きで読んでおられたというお話を。雑誌の『MOE』2024年10月号に記事が掲載されてまして、それも嬉しくて買っちゃいました。ちょっと今手元に持ってくればよかったな…

(※後注 教科書で「きつねの窓」と出会って、お好きだったそうですが、「あるジャム屋の話」は、今回はじめて読まれたとのことでした)

雑誌『MOE』でも、この「あるジャム屋の話」のご紹介記事が出てました。

 

gentle finger window 伊藤夏紀さんの「絵ぶんこ」の?

 

ネムリ堂 「絵ぶんこ」のご紹介と、伊藤さんのインタビューが出てまして。もう本当、記事として素敵な記事で。

 

で。もう個展まで押しかけてってサインまでいただいちゃったという。

もうなんていうか、お父さんの鹿が雄々しいですよね。あと、ブルーベリーの茂みも素敵で。

(※アロマアクセサリーさんより追記  ジャムのびんですが、森野さんが一人でジャム作りをしていた時のびんはみんな同じ形ですが(17ページ)、鹿の娘と語り合っている時のイメージのジャムのびんは種類ごとに違っていて夢のある様子に描かれています。『MOE』のインタビューで、伊藤さんは、「描いていて楽しかったのは、果物の装飾や瓶などの小物です。(中略)お話の持つ不思議な雰囲気を人物以外の部分からも感じられるようにしたいと思いました」と述べられていて、その言葉通りに作画に工夫をこらされているのが伝わってきてよいなと思いました。)

 

ネムリ堂 そうですね。「あるジャム屋の話」、異類婚姻譚に当たるかと思うんですけれども。安房作品には異類婚姻譚のお話がすごく多くて、「あるジャム屋の話」だけではなくて、「天の鹿」(1978)や「野ばらの帽子」(1971)など、鹿と人間のお話っていうのが3つもあるんですね。で、どれも婚姻と、鹿の話というのがちょっと特徴的かなと思います。

あとは、これらは全部、愛が成就するお話になるんですけれども、愛が成就するお話としては、もう1つ、「べにばらホテルのお客」(1987)というのもありますね。愛をめぐるお話には、他には、破局する話と、あと、「とりこ」にされるお話と…っていうのもありまして。

破局してしまう話っていうのは、「熊の火」(1974)とか、「奥さまの耳飾り」(1977)、「日暮れの海の物語」(1976)、「ききょうの娘」(1982)、「花豆の煮えるまで」(1991)などが破局してしまう話にあたりますね。

で、「とりこ」になってしまうお話。これは「鳥にさらわれた娘」(1982)と「海の口笛」(1983)などは、一見成就したことにはなるんですけれども、実際はその異界のもののとりこになってしまう、そういう形の異類婚姻譚を書かれてますね。

今回ご寄稿いただきましたyamamomoさんからも、異類婚姻譚について文章の中で触れられていらっしゃいまして、yamamomoさんからのご指摘をちょっとご紹介しようと思ってます。

yamamomoさんからは、異類婚姻譚について、ヒューマニズムを持たない神とヒューマニティに生きる人との関係性を保つための厳正な契約を裏切ってしまう行為、人間の側にあまりにも傾いてしまった境界のモノ、動物たちの物語ということができる、というようなご指摘をいただいてます。

確かに、安房さんの描かれる異類婚姻譚って、動物や妖精側のすごい歩み寄りによって成立していることが多いようなんですね。で、人間と動物の境界があると思うんですけど、その境界を動物側が越えることで初めて成立してくというような。すごい鹿の娘が努力してると思うんですよ。でも、人間側はちょっと受け身なんじゃないかなっていう、そんなふうな。あとは、そうですね、実際このお話なんですけど、これ、愛の物語としても描かれていると思うんですね。で、愛の物語として描かれてるもの、婚姻の物語として描かれたものは、先ほど申し上げたお話の他に、「海の館のひらめ」(1980)というのもありますね。その他、「誰も知らない時間」(1971)や「鳥」(1971)、「さんしょっ子」(1969)、「火影の夢」(1975)、「だんまりうさぎはさびしくて」(1986)なども愛の物語のうちに入ると思うんですけれども。この中で実際に鹿の娘と「私」が結婚することになる前の段階で、鹿の娘がブルーベリーの茂みに「私」を誘いますよね。その時、鹿の娘は口を利かない状態で、今までおしゃべりだった鹿の娘が、その時に限って口を利かないで、じっと黙ったまま「私」を案内するというシーンがあるんですけれども、その口を聞かない鹿の娘についてHO書店さんからもご寄稿いただいてますので、こちらgentle finger windowさん、ご紹介お願いいたします。

 

gentle finger window はい。HO書店さんからいただいたご感想とご考察ですね。鹿の娘がお父さんの鹿と共にいる場面についてここに至るまでは、いつもはとてもよく喋る鹿の娘が、ブルーベリー摘みの森の中に、あのお父さんの鹿と一緒にいる場面では、一言も喋らない。ここについて、人の言葉を喋る魔法は、一度に1頭しか使えないんじゃないか。それとも、鹿の娘には何も説明させずに、主人公の私に決断させる。こう、お父さんの鹿が、主人公の私に与えた試練なのかな、と思われたそうです。そこの場面について、HO書店さんから、主人公の「私」の「鹿のままでいいんだよ」「鹿のままでよかったんだよ」という言葉がとても切なくって、心に残る場面だ、とご感想いただいてます。鹿である姿から人間に変わったとしても、今のままの幸せではなくなってしまうかも、という、心に不安があったところから、出てきた言葉なのかな、というご感想いただいてます。

私もこの場面、すごく、心に残るっていうか、なんでしょうか。印象がすごく強い場面なんですが、特に、本当にそれまで、主人公の私と、本当に人間の恋人のように喋って、色々相談にも乗ってくれていた鹿の娘が、なんか突然、この森の中で、お父さんの鹿と一緒に現れた時の娘が、人のようだった娘が、なんか突然すごく動物感があるな、っていうか…、魔法が効いてない状態だったのか。その夜、主人公の「私」と一緒に過ごす時の鹿の娘と、こう、森の中の娘が、あまりにもなんか印象が違って。

特にこの「絵ぶんこ」で伊藤さんが描かれた鹿、意識して、描き分けられてたのかわからないんですが…

 

ネムリ堂 それはなんか意識してたみたいです。意識されていたっておっしゃってました。

 

gentle finger window そうなんですね。なんか、森の中の鹿が、すごく鹿で、大きく涼しい目で、こう、長いまつ毛パチパチした可愛い恋人のような鹿じゃない、と、強くこの絵を見て思いました。

HO書店さんもおっしゃってましたけど、その人間になれる魔法が、その時に1頭にしか使えないのか、あるいは、鹿の娘の魔法が、まだ若くて経験が浅いから、磁力が弱くて、自分でこう、コントロールできない。でも一方で、経験のある、老いたお父さんの鹿は強い魔法が使えるからコントロールできる。自由に日中でも夜でも自分で使い分け、人と話せるってことなのかなって。色々、考えることのある場面ですね。

 

ネムリ堂 私は逆にね、もう魔法は始まってるんじゃないかなと思ったんですよ。修行とか、鹿の娘さんの、なんだろう、人間になるための試練がもう始まっててっていうのをちょっと考えました。で、もう口をきけなくて、ていうところなのかなって。

あとね、口を利かない娘っていうとこは、「人魚姫」もちょっと連想したんですね。「人魚姫」って最後、悲恋物になりますが、これはハッピーエンドで終わるわけですけれども。ちょっと、口がきけないっていうところから、そんなようなことを思いました。

 

gentle finger window もう、そこから、修行が始まってるというか、それも試練のひとつ。試練っていうか、これを乗り越えなきゃいけないところだって。魔法が始まってるっていうか。そうかもしれませんね。うん、言われると、そうなのか…

 

ネムリ堂 あと、口を利かないっていうことから、余計、ラストの「あたし、あたし」っていうものの効果が深まってるのかなって。

 

gentle finger window やっと話せた、じゃないけど、その時まで、我慢、喋りたくても、今までみたいに喋りたくても、喋れないっていう。

 

ネムリ堂 そうです、そうです。

 

gentle finger window そうですね、そういう気がします。

 

ネムリ堂 あと、なんでしょう、この愛の物語において、待つ年月の重さというか、ジャムがこっくり煮あがっていくように、思いが熟成されていく感じがいいなあ、と思ったんですね。「私」の方では「嫌いではありませんでした」程度の気持ちなんですよ。それが突然、「やりきれない悲しみ」へと、気持ちが変質してくわけですね。なんでしょう、思いの熟成の仕方というのが、いいなあ、と思って。

 

gentle finger window そうですね、なんかここで気づいたっていうか、それまではやっぱり鹿と人間っていうか、相手が鹿だっていうことで、それ以上の感情に気づいてなかったのかもしれないですよね。

 

ネムリ堂 だから、1回引き裂かれることによって、初めてその思いに気がついて、その思いが積み重なっていって、で、ブルーベリーのお酒を飲みながら、「鹿のまんまでよかったんだよ」っていうのは、本当、なんかこう、じんと来ますよね。

 

gentle finger window 「鹿のまんまでいい」っていうのが、なんか、すごいですよね。

 

ネムリ堂 でも、そこで、ちょっとHO書店さんからご指摘があったんですけど、それをご紹介していただけませんか。鹿のまんまだったらどうなったのかっていうお話。

 

gentle finger window HO書店さんが、その鹿の寿命について調べてくださった。

 

ネムリ堂 そうですそうです。

 

gentle finger window 鹿の寿命って、長くて7年ぐらいだそうです。HO書店さんに、調べていただいたら。

 

ネムリ堂 あはは、7年じゃねえ…。

 

gentle finger window 鹿の娘、森で別れて、引き裂かれてから、鹿の娘が人間になって帰ってきたのが、それぐらいの年月なんじゃないかと、おそらく。大学を卒業して。

 

ネムリ堂 寿命と引き換え?

 

gentle finger window 主人公の「私」が30いくつか過ぎたって、7年ぐらいなのかなって私も思いました。で、それぐらいの年月が過ぎているようなので、もし、鹿のまま、娘が鹿のままいたら、おそらくこの頃には7年経つわけで、永遠のお別れ。引き裂かれてしまっていたのではないかと。だから、そこで修行を積んで、鹿から人間に変われて、転生できたことで、2人が乗り越えられたのかなと。だから、この7年っていうのは、なんて言うんでしょう。そういう意味で、命との引き換えっていうか、その寿命との引き換えというか、主人公たちの、鹿の娘の試練だったのかなと思いました、というご考察をいただいてます。

 

ネムリ堂 なんか本当そう考えると、鹿の側の7年っていうのは、すごく重たい7年だったわけですよね。当然、お父さんとも、もう死に別れててっていうことになるから、身1つで来てるという。そこは、そうは書かれていないけれども、実際ね、そういうことだったんだなと思うと、すごい決心をして、人間になった。

 

gentle finger window 一回、鹿生って言うんですかね、鹿を終わらせて、人間になってきてるわけですね。残りの寿命を、修行で使って、転生してきてるから。

 

ネムリ堂 yamamomoさんからも、安房直子作品では、 この自然界と人間界の境界領域による媒体である動物たちが物語の鍵となってることが多い、っていうご指摘もいただいてるんですね。で、その彼らの両方の世界での存在のあり方の揺らぎが、物語を豊かに、味わい深く、面白いものにしてるっていう、そういう文章をいただいてます。本当ね、安房さんには珍しいハッピーエンドになっているわけですけれどもね。

あと、鹿と結婚の結び付きなんですけれども、「野ばらの帽子」との比較もしていただいてるんですね。

「野ばらの帽子」も、鹿と結婚のお話になるわけですけども、鹿と結婚の結びつきって、他にも、「天の鹿」と「野ばらの帽子」と、あと、小夜の物語の中の「風になって」(1991)っていうお話の中にも、鹿の結婚式っていうのが出てくるんですね。

で、yamamomoさんが、鹿の物語としての「野ばらの帽子」との、比較をしてくださってるんですけれども、要するに、母鹿は「野ばらの帽子」において、人間をただ「あちら側」に取り込んでしまう。鹿を守るためのばらの木に変えてしまうという、そういう存在なわけですね。で、そこで救いとなるのは、人間に恋した娘の存在であると。

で、その娘鹿と母鹿とのその関係性が、「あるジャム屋の話」において、牝鹿や父親、森野さん、つまり「私」、の三者の関係性と構造的には同じだっていう、そういうようなご指摘もいただいてるんですね。

確かにそういう風に、「野ばらの帽子」と、この「あるジャム屋の話」は、同じような構造でありながら、また似て非なる物語であると思うんですよね。

それから、鹿と結婚式についてのお話なんですけれども、庄野英二さんって方が、「鹿の結婚式」っていうお話も書かれていて、その「鹿の結婚式」っていうお話は、1975年に『詩とメルヘン』に掲載されているもので、私も取り寄せてみたんですけれども、こちらこういうお話があるよっていうのは、アロマスタイルさんとymstさんから、ご紹介いただいて、実際、読んでみたんですね。

で、これも、もしかして、影響もあるんではないかと、そういうご指摘もいただいてます。庄野英二さんって、『星の牧場』を書かれた方なんですけども、安房さん、庄野英二さんのファンでいらして、『絵本とおはなし』という雑誌、『MOE』の前身だった雑誌の中の、「BOOK&BOOK13人のおすすめの38冊」っていう記事があったんですけれども、『絵本とおはなし』、1982年の8月号ですね、そこで、「星の牧場」を挙げておられるんですね。で、庄野さんの作品はどれも好きなんだけれども、1冊あげるとなると、やはり、この本と。

で、「星の牧場」を読みますと、心がとても温かく豊かになり、なぜかとても贅沢をしたような気分になります、と、そういうようなことを安房さん、書かれておられます。

で、庄野英二さんのお話について、ジャムが出てくるっていうご指摘をアロマアクセサリーさんからいただいてるんですが、ちょっとそちらをご紹介していただいてもよろしいでしょうか。お願いいたします。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。ジャムと紅茶とロシア紅茶について今回調べてみました。

今出てきました庄野英二さんの「星の牧場」の中では、登場人物たちが紅茶を飲むシーンがあるんですが、その時にですね、ジャムを舐めながら飲んでるんですね。

1つ目にジャムが出てくる時にはグーズベリーという固有名詞もちゃんと出てくるんですね。それもなかなか魅力的ではあるんですけれども。ロシア紅茶について、割と日本に一般的になっているのはジャムを紅茶の中に入れて飲むというスタイルですが、元々の、ロシアの方ではそうではないのではないかというお話が、X上のポストに出ていたんですね。で、調べてみましたところ、本によって、やはり基本的には果物を煮た、ジャムというよりは、本当、果物を煮たというものを添えて紅茶を飲むというのが一般的であるというものと、ジャムを入れて飲むのも一般的であるというのと、2通りあったのですね。なので、どちらが正解で、どちらが違うのかっていうのは、ちょっと言えないかなと思いました。

 

ネムリ堂 はい。なんかね、私が調べたところによると、昔、ソ連だったじゃないですか。その時ってウクライナとかもソ連のうちだったと思うんですよね。で、ウクライナとかポーランドの辺りだとジャムを入れて飲むことが多いんだけれども、いわゆるロシアの方ではジャムはただ添えて舐めながら飲むものだっていう、そういうことを書かれてるサイトもあったんですね。ただ、それは出典がはっきりしなかったので、実際のとこどうなのかなって私も思ったんですけれども、どうでしょうかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 本で調べた情報ですと、はっきりと入れて飲むと書かれていたのが、 八坂書房さんから出ているアメリカ出身のジャーナリストのユーカースさんという方が書いた『ロマンス・オブ・ティー』(2007)、緑茶と紅茶についてのお話でして、それにはですね、レモンをそえて出すというのが、おもてなしのロシアの紅茶であったんだけれども、レモンの代わりに一匙のジャムをお茶に入れることも珍しくはないという風に記載されていました。

 

ネムリ堂 こちら、2007年の発行ってありますけど、元は何年だったんでしょうね。元のアメリカでの発表年はいつですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。本書は出版年が1936年となっていますね。

 

 

ネムリ堂 1936年なんですね。なるほど、じゃあ、まだソ連だった頃ですね、1936年って。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね、ロシア革命はあった後ですよね。この『ROMANCE OF TEA』(1936年刊行・邦題『ロマンス・オブ・ティー』)は、原著の『ALL ABOUT TEA』(1935年刊行)を簡易普及版としたものです。それが翻訳されたのが2007年っていうことになると思います。

 

ネムリ堂 そういうことになるんですね。ありがとうございます。あともう1冊からご紹介いただいてるんですよね。

紅茶にジャムを入れて飲む記載のあったご本として、2021年のヘレン・サベリさんっていう方のご本にも記載があったっていう風に。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。そうですね。ヘレン・サベリさんは、イギリス出身の食物史研究家の方です。この方のご本、『ヴィジュアル版 世界のティータイムの歴史』原書房(2021)では、基本的には果実の形が残っているジャムのようなものを、ちっちゃなクリスタルガラスのお皿に入れて出すんだけれども、小さなスプーンでそのまま食べてもいいし、お茶に入れてかき混ぜて、果物の風味を楽しみながら飲んでもいいんです、 と書いてあります。

 

ネムリ堂 そうですか。こちらは本来はイギリスでは、何年発行だったんでしょうね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida これはですね、ちょっと待ってくださいね。2006年です。

 

ネムリ堂 2006年。じゃあ別にそれほど昔のものっていうわけじゃないですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね、多分色々集めたものを元に書いてある本です。

 

ネムリ堂 なるほど。ありがとうございます。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida もう1つ、これはちょっとおまけのようなものなんですが、ミニミニカラー文庫さん『西洋料理のお店東京編』旺文社(1978)というのがありまして、これはちょっと安房さん関連のお店とかも出てるんですけれども。(安房さんの行かれたことのある)洋食屋のホワイトベアとかですね。

 

ネムリ堂 ホワイトベアさんも出てる。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 出てます。昭和時代の東京の洋食屋さんですね。西洋料理のお店が紹介されてるんですが。

 

ネムリ堂 1978年の発行ですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ロシア料理のバラライカさんが載ってるんですが、その中でジャムを入れて飲むロシア紅茶もぜひお試しを、という記載があります。これ書いてらっしゃるのは岸朝子さんとフードコンサルタントの方ですが、『料理の鉄人』というテレビ番組で審査員として出てた方ですよね。その当時は、やはりロシア紅茶っていうのは、こう、ジャムを入れて飲むという風な認識が広がっているのかなと。

 

ネムリ堂 私もネットを検索してみて見つけたんですけれども、日本で初めてロシア料理のお店を出されたというのが、ロゴスキーさんって、今、銀座にあるお店で、昔、渋谷に出された、日本で初めて退役軍人でいらした方が出されたお店があったんですけど、その、そこの初代料理長であった奥様の長屋美代さん、って方が書かれたご本である『標準ロシア料理』柴田書店(1964)で、「ルースキー・チャイ」(ロシア紅茶)という風な名前を付けたのは私であって、実際にソビエトでそう呼ばれているわけではないけれども、という風に書かれてたんですね。で、これは、私が仮に名付けたものである、っていうようなことを書かれてるんですね。ただ、ソビエトの田舎では、そうやって飲むことがあるっていうような記載があったようでした。

なので、もしかして、ロシア紅茶っていうのは、日本のここのお店で使われたのが、発祥なのかなっていうのを、ちょっと思って読んだんですね。

ロシアのブームっていうのが日本でもあったわけなんですかね? 戦後に。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 今ちょっとロゴスキーさんのお話が出たので、1点、『食べ物屋の昭和 30店の証言で甦る飲食店小史』岩崎信也著 柴田書店(2008)という本がありまして、そこにいろんなお店が掲載されている中にたまたまロゴスキーさんが載っていまして。

その本には特別ロシア紅茶ということについては書いてなかったんですが、ただ、ロシア紅茶520円ですと言ったような、そういう表記はありますね、メニューの中に。

 

ネムリ堂 そうなんですね、メニューとして出てきてるんですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aidaうん、そうです。昭和の、有名なロシア料理のお店として、そのロゴスキーさんという店がありますよ、と掲載している本があります。

 

(※後注 英国で「ロシアンティー」というと、レモン入りの紅茶を指す。ロシア王室に、ニコライ二世后妃として嫁いだアレクサンドラが、祖母ヴィクトリア女王に振る舞った紅茶が元、という説が有力とのこと。また、アメリカにおいて、「ロシアンティー」とは、クリスマスの飲み物で、紅茶にオレンジジュースを注ぎ、シナモンスティックをさした甘い紅茶のカクテルを指す。日本では、ジャム入りの紅茶、と、各国で、ロシアンティーは、独自の展開を遂げている? 『ルピシア』のサイトより 2024.10.10参照)

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ロシアブームですけれども、日本においてのロシアブームは、1回目は大正時代から昭和初期にかけてですね、プロレタリア文学ですとか、ロシア革命の後にそういった運動が起きて定着していったということです。で、もう1回が、その後の、1950年代から60年代にかけてで、安房さんが、多分、大学在学中に、かかってると思うんですけれども、やはりその時に、そういう労働運動ですとか、ロシアが労働者の国ということで非常に若者たちに浸透していまして、で、まあそういうロシアの民族衣装であるルパシカを着て、長髪の人とお付き合いをするのがちょっと流行、みたいな風潮があったようです。あと、それとは別に、前後してしまうんですけども、大正時代のブームの時には、新宿に中村屋さんってありますよね、カレーのお店で。その時のロシアブームの時には店員さんがルパシカを着ていたそうで。やっぱりロシアの方からいらしていた方に教わって、ボルシチですかね、簡単なロシア料理を実は出していたそうなんですね。で、ロシアパンっていう、ものすごく大きなパンの写真もホームページには載っていますし、ルパシカを着た人も載っていますが、本格的にロシア料理をされたのは、ロゴスキーさんの方かなと。ちょっと、なんて言うんですかね、安房さんが学生でいらした頃に、なんとなくそういう風潮とかを、もしかしたら目にされていて、ちょっとこう、お洒落な、流行しているものとしてのロシア紅茶みたいなものもイメージとしてあったのかな、と。

 

ネムリ堂 ロゴスキーさんもなんか見よう見まねでロシア料理を始めたみたいで、戦後の焼け跡地、小さいお店から始めて、でも見よう見まねで習った料理を再現してみたいな、そんな感じだったって書かれてましたね。なので、本物のロシア料理に近づけるっていうのは、随分後になってからだったみたいでしたね。

あと、そうですね。安房さんの方でも、ちょうど「あるジャムの話」を雑誌掲載した号の、後書きみたいな、作者の一言欄みたいなページがあるんですけども、そこで、軽井沢の千ヶ滝にコケモモホテルという小さいホテルがありまして、そこでおいしいロシア紅茶を飲みました、っていうようなことを、1985年の掲載誌に書かれているんですね。なので、そういう風に、軽井沢でロシア紅茶飲んだっていう、そういうのが発端で、この「あるジャム屋の話」は描かれてるようです。

あと、安房さんのお姉様に伺ったお話だと、軽井沢に沢屋さんっていうジャム屋さんがあるかと思うんですが、安房さんは、その沢屋さんのファンでいらしたという話を伺って、安房さんの愛用のジャムを知ることができてしまった、って、すごく感動しました。

で、沢屋のジャムのラインナップなんですけども、63種類あるみたいなんですね。それは、このジャムの話にでてくる、あんず、いちじく、ブルーベリー、かりん、木いちご、桑の実、ラズベリー、ばらの花、山すもも、と、全部入ってるんですね。で、他にも沢屋さんのジャムのラインナップは、ナツハゼの実、ルバーブ、カシス、グズベリー、くるみバタークリーム、ブラックベリー、レッドカラントなど、色々ありまして。ただ、沢屋さんになくて、このお話に書かれてるジャムとしては、コケモモと野菊とアカシヤの花、この3つが、沢屋さんにはないラインナップのようでした。

本当、このね、ジャムのシーンがすごく素敵なんですけれども、ブルーベリーのお話、ブルーベリーのジャムも安房さん、とりわけお好きだったという風にエッセイで書かれているんですが、(※後注 「心を豊かにしてくれる私の森の家」安房直子コレクション5巻に収録)ブルーベリーについても、アロマアクセサリーさん、ご紹介していただいてもよろしいですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。安房さんとブルーベリーと軽井沢の関係について少しお話をさせてください。

安房さんは日本女子大学の高校から入ってらっしゃるんですが、日本女子大学は軽井沢にセミナー寮がありまして、で、3つの泉の寮と書きまして、三泉寮というものが、明治時代からあるんですね。明治39年、1906年に開設されたんですけれども、その時の7月の「山間の夏期寮」という記事が、日本女子大学の『家庭週報 第70号』(明治39年7月28日発行)という当時のことを書いてある記事が、載っていまして、その中にですね、そのセミナー寮での学生たちの活動の1つとして、

「(前略)或るは小諸の布引きの滝を訪ね、或るは浅間山の中腹にブルーベリーを摘み、ブルーベリーパイを製するなり(後略)」

という風に書かれてるんですね。明治時代にすでにブルーベリーに馴染みがあったというような記載があるんです。ところが、ブルーベリー自体は、1951年に、日本に来たものであって、当時、日本にブルーベリーはなかったんですね。でも、「浅間ぶどう」って呼ばれているものがありまして、その浅間ぶどうがブルーベリーの代わりをしていたんですね。それがなぜわかったかと言いますと、ジャム屋さん、軽井沢に有名なところいくつかあるんですが、その中の1つに、中山ジャムさんというのがありまして、その中山ジャムさんがジャム屋さんを開いたのが、明治38年、つまり、その寮の開設の前の年でして、で、その中山ジャム屋さんは、当時、軽井沢にいらしてた宣教師さんに色々教わってジャムを作ってたんです。中山ジャムさんは、当時、野菜も作ってたそうで、そういった野菜を買いに来た、外国の方や、その宣教師さんからブルーベリージャムが欲しいとリクエストされて、それをどうにか工夫して、ブルーベリーはないんだけれども、同じような仲間である浅間ぶどうを使ってブルーベリージャムに似たものを作ったということが、『軽井沢新聞』という、軽井沢の情報新聞ですね、これに掲載されています。ウェブ上で見ることができるんですが、2014年10月22日にその軽井沢新聞の編集長さんが書いた記事「Kaleidoscope 軽井沢が見える万華鏡 No.6」で、見ることができます。

安房さんは28歳ぐらいの時に軽井沢に山小屋を作られたんですが、(※後注 1986年発表のエッセイ「心を豊かにしてくれる私の森の家」に軽井沢に山小屋を作って15年になる、という記載あり。『安房直子コレクション』5巻に収録)その前の時から日本女子大は、高校や大学で授業の一環として、軽井沢の三泉寮で宿泊セミナーをしていたので、もしそれを体験されていたのであれば、実際にその頃からか、そういったもの、ブルーベリーなどにも触れていたのかなと、ちょっと思った次第です。

 

ネムリ堂 なんかすごい発見ですよね。日本にはブルーベリーって自生していなくて、でも、このアメリカ原産の果物が本州から北海道まで全国栽培できるということで、 1951年に日本へ導入されてるようです。で、商業栽培としては、1968年に東京の小平市で導入が始まってます。長野には1971年からの導入だそうですね。でも、実際にブルーベリーがブームになったのは1990年以降みたいなので、安房さんがこのお話書かれた1985年当時は、まだ、軽井沢で食べられる、ちょっと珍しいというか、 お洒落なもの、だったんじゃないですかね。そんな感じが

いたします。(※参考 『ブルーベリー百科Q&A』日本ブルーベリー協会編(2002)創森社

で、浅間ぶどうなんですけれども、これ、別名クロマメノキって呼ばれている、日本に自生している、ブルーベリーの仲間になりますね。あと、ナツハゼとかシャシャンボっていうのもやはりブルーベリーの仲間で、日本にもともと自生してる実になります。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ありがとうございます。

 

ネムリ堂 ジャムについてyamamomoさんからもご感想いただいてまして、こういうような、心を込めて時間をかけて、コトコト煮込むその過程、それは人間のあたたかな手をかけた料理、加工品であり、自然のままの恵みの果物たちが人間の手をかけられ、文化となったかたちであると。より美味しく、よりオリジナルに、より楽しく、より便利に自然の恵みをいっぱい味わうために活用して、人々にその喜びを広めるものになる。文化とは、就中料理とは、あからさまに人間と自然の合作物なのだ、というような、そういうような文章もいただいております。

このスペース、後で冊子化するんですけども、その時に全文、皆さんご寄稿された方の文章、今ところどころ切り取ってご紹介してるので聞きづらいかと思うんですけれども、全文掲載させていただきますので、どうぞご覧ください。

このお話なんですけれども、お仕事童話としての側面もあるかと思うんですね。鹿の娘と「私」とで、お仕事、共同作業で絆を深め、ジャム屋を軌道に乗せていく、そういうところもちょっと面白いところだと思うんですよ。

これは「海の館のひらめ」も同じような構造を持ってまして、超自然的な援助者である鹿の娘がお手伝いをしてくれる。で、冷たかった世間が、鹿の娘の描いたレッテルの魔法で手のひらを返すように好意的になってくるわけですね。気弱で世渡り下手な「私」っていうのにもすごく私、共感してしまうんですね。

「鹿」なんですけれども、鹿は春日大社では神の使いとして神聖視されてるものでして、それが「鹿の知恵は神の知恵」っていうようなことを娘が口にしたのを、そんなことわざあるかな、と、「私」はちょっと首をかしげるんですが、それは、こういう神の使いとしての鹿ということが元にあったのかなっていう感じであります。

あと、鹿の活動時間について調べてみたんですけれども、鹿の活動時間って日没前後だそうなんですよ。この時間帯は捕食活動が盛んで、昼間は鹿って森林にいるんだけれども、農耕地には夜間出てくるらしいんですね。 で、恋の季節っていうのは9月から11月の間と。

そうすると、本当、この「あるジャム屋の話」は、夜になって、「私」の小屋で、鹿が、ロシア紅茶を飲んでるわけですよね。そういう鹿の習性ともちょっと重なってきて、それは面白いなって思った次第です。

(※後注 鹿が小屋でつまみ食いするお話、というのも、民話「さんびきのくま」のスープをつまみ食いする少女のお話を思い起こさせられる。この場合、人間と動物の立場が入れ替わっているが…)

あと、この鹿の娘が被っている青いネッカチーフって、「あるジャムの話」だけじゃなくて、他のお話にも出てくるんですね。「海からのおくりもの」(1979)というお話があって、その中で海ばあさんっていうのが出てくるんですけど、それが青いネッカチーフをかぶってるんですね。で、あと、単行本収録作品でも「銀のぬい針」(1990)という青いネッカチーフを被ってる魔法使いのようなおばあさんが出てくるお話があって、安房作品には、青いネッカチーフってのは3つの作品に出てくるんです。「青」っていうのは、「北風のわすれたハンカチ」(1967)に青いハンカチが出てくるように、魔法を表す色であると。で、ネッカチーフって、この場合、人間への変身の兆しでもあるのかなと思ったんですね。また、変身後の大きなめじるしでもあったと思うんですよ。もし、この青いネッカチーフがなかったら、鹿の娘が実際に、ある夜、突然、「あたし、あたし」と、きた時に、めじるしとしてこれが役割を果たしてるような、そういうようなことも思いました。どうでしょうか。

 

gentle finger window なんか今聞いてて、お仕事の話の中で、鹿の娘がレッテルに絵を書いて、ジャムに貼るじゃないですか。ジャムには貼ってあるのって、今、「ラベル」っていいますよね、レッテルってあんまり使わないような。

 

ネムリ堂 使いませんね。

 

gentle finger window レッテルってマイナスなイメージがあるから、レッテルって言うんだなって思いながら読んでいました。今だったら「レッテル」って言うかなって。

 

ネムリ堂 そうですね。今だと「ラベル」っていうのが一般的ですよね。「レッテルを貼る」っていうような言い方がありますけど。

 

gentle finger window この頃は「レッテル」だったんですかね。ジャムの瓶とかに貼ってあるのって。

 

ネムリ堂 きっとそうなんでしょうね。1985年の当時では「レッテル」っていう言い方が普通だったんですかね。

 

gentle finger window ちょっとなんか、そう聞いてて思いました。

 

ネムリ堂 そうですね、はい。

(※後注・「レッテル」はオランダ語(letter)で、英語のラベル(label)のこと。「レッテルを貼る」を英訳すると動詞「label」になる)

 

gentle finger window さっきあった、庄野英二さん、「星の牧場」図書館では探したんですけどなくって、中古で結構あったので1回読んでみようかなって。

 

ネムリ堂私も友達にもらったのがあって、最近やっと読んだんですよ。

 

gentle finger window アロマスタイルさんからご寄稿いただいていて。

 

ネムリ堂そうそう。それ紹介していただくの忘れてました。お願いしていいですか。

 

gentle finger window はい。庄野さんについて、今回アロマスタイルさんから、ご本のご感想、ご考察をいただいて。ちょっとご紹介しますね。

まず、安房さんが庄野英二さんお好きだっていう話は、アロマスタイルさんご存知で。で、タイトルに惹かれて読まれたのが、「鹿の結婚式」だそうで。「鹿の結婚式」をお読みになられて、その中で、安房さんが庄野さんに惹かれたっていうか、庄野さんをお好きになられた理由をいくつか見つけられて、それが、紅茶、美味しそうな食べ物、動物たちとの交流、色彩、虚無感、宮沢賢治的な感じというところが、安房さんが庄野さんに共感される理由かな、と 感じたそうです。で、この後に、安房さんが1番お好きだったという「星の牧場」をお読みになられて、この「あるジャム屋の話」との共通点を1つ見つけられたということです。まず、その「星の牧場」の方で、「1日のうちの半分、あるいは1年の間の半分だけ働けば結構に暮らせるものと考えていた。事実、ジプシーの生活はその通りであった」っていう表現があるが、「あるジャム屋の話」でも、主人公の「私」が、「自分1人がなんとか豊かに暮らしていけたら、後の時間は草の上に寝っ転がって本でも読んでいたい」って、そういう性格だっていう、なんか、そういうところにも共通点を感じられたそうです。アロマスタイルさんからでした。

私もなんかここの共通点が結構、「鹿の結婚式」の方の、おいしいものとか、紅茶とか、動物の交流とか、宮沢賢治的な感じ、なんかそういうのって本当に安房さんっぽいので、ちょっと一回読んでみないとなと思って探してたんですが…

 

ネムリ堂 なんかすごい、なんていうか、きよらかで素朴なお話で、いいな、と思いました。庄野さん、私、「星の牧場」と「鹿の結婚式」しか読んでないんですが。

 

gentle finger window 「星の牧場」が1番の代表作なんですかね。庄野さん。

 

ネムリ堂 そうですね、「星の牧場」が1番有名なんじゃないですかね。

 

gentle finger window 中古品でたくさん出てきたので、ちょっとそれを読んでみます。

 

ネムリ堂 「星の牧場」は、1964年の刊行で。

 

gentle finger window 古い本なんですよね。

 

ネムリ堂 そうなんですね。本当、美味しいものもいっぱい出てくるんですけど、かたつむりとくるみバターののったピッツァとか出てきたりして…

 

gentle finger window 1964年って、そういうのあったんですかね、周りに。

 

ネムリ堂 そのピッツァは、山の中にいるジプシーたちが振る舞ってくれるのですが。「ジプシー」っていうのは仮に名付けたあだ名なんですけれども、ジプシーのような生活をしてる山の民というか、そういう人たちが出てきて、彼らと主人公が交流を深めていくお話なんですよね。でも、ジプシーとは3回ぐらいしか会えないのかな。で、その交流のなかで、そういうちょっとした美味しいものを一緒に食べたりとか、彼らは楽器を演奏するんですが、それを、いいなって憧れたりとか、そういうような。

 

gentle finger window 安房さん的なお話っていうか、そういう空気感漂うお話なんですか。

 

ネムリ堂 そうですね、空気感がちょっと安房さんと似てるという、似てるっていうのもおかしいんですけど、安房さんがインスパイアされたのはここだったかもしれないっていうことを感じさせるようなお話でした。

 

gentle finger window なるほど…ちょっと読んでみます、庄野英二さん。アロマスタイルさん、ありがとうございます。

 

ネムリ堂 ご紹介いただいてありがとうございます。

あと、そうですね、「鹿は四つ足、人は二つ足」っていう歌を、この「あるジャム屋の話」の中で、安房さん、ちょっとした歌みたいなもの、呪文みたいなものですね、牡鹿が歌うシーンがあるんですけれども、それで私、検索してみたんですね。それで、たまたまヒットしたのが源義経鵯越の歌なんですね。

これは

「鹿も四つ足、馬も四つ足。

鹿も超えゆくこの坂道、

馬も越せない道理がないと

大将義経に真っ先に」

っていう歌になっているらしいんですよ。

これは「鵯越」って有名なお話で、騎乗したまま坂を駆け下りる義経の奇襲作戦についての話なんですけど、要するに「鹿は四つ足」っていう歌は、不可能を可能にするような、元はそういう内容の歌だったわけで、それがどうも この呪文のような歌の底に横たわってたんじゃないかと。安房さん自体は意識してなかったと思うんですけれども、そういう歌が普通にね、耳の端に残ってて、それがこういう表現になったのかなっていうのをちょっと思いました。

 

gentle finger window なんかこの時代の方には普通なのかもしれないですけど、安房さんの本読んでて、私、能楽がとても好きなんですね。能楽もそうだし、歌舞伎とか文楽とか、古典芸能を基に、そういう知識が、お話の中にたまにポンと出てくることがあるなと。ちょっとどれだったかは、何だったかも具体的には思い出せないんですけど、時々読んでると、なんか古典芸能の世界を感じることがあって、おそらく安房さんぐらいの年代の方だと、きっと歌舞伎なり文楽なり色々ご覧になってると思うので。

 

ネムリ堂 皆さんご存知だっていう共通の教養があるんですね。

 

gentle finger window 多分そう、常識的なものかもしれないんですが、出てくるんだろうなと思いました。安房さんはお人形がお好きだったから、もしかしたら文楽とかも好きだったかもしれないですよね。

 

ネムリ堂 そうかもしれませんね。

あと、擬音、オノマトペについてちょっとお話をしたいんですけれども。安房さんのこのお話の中にもオノマトペがいくつか出てきて、

特徴的だなと思ったのが、

「ほとほと」と戸を叩く、あるいは、

「どもども」と呟いた、あと、もう1つ

「ふかぶか」と頷いてっていう、それぞれあるんですけれども、これ、実際、安房さん独特のものなのかどうかっていうのを、判断の基準とするために、青空文庫って、もう著作権切れてる昔の作品がネット上に公開されてるのをご存じかと思うんですけれども、それで、全文検索っていうのができるんですね。で、その、もう著作権切れてる昔の作品の中で、そういう表現があるかどうかっていうのを、この全文検索で調べることができるんですけれども、ほとほと戸を叩くっていうのは、まあ、287件、「ほとほと」っていうのがヒットしまして、これは、ほとほと困るとか、ほとほと呆れるとかも含まれていて、でも、北原白秋とか岡本綺堂なんかは、ほとほとと、軽く叩くとみたいな、そういう表現を使ってます。で、「ほとほと」ってのは、古語でもありまして、とんとんとか、コツコツとかカンカンとか、戸を叩く音や、斧で木を切る音を表してるそうです。で、平家物語の中では、「竹の網戸をほとほとと打ち叩くもの」という、そういう一文があるようです。ほとほとっていうと、私、そのまま、雪がほとほと降ってくるとか、ほとほとっていう、その音のまんま、戸を叩くような、そういう形での「ほとほと」ていうのはあるようですね。

あと、「どもどもと呟いた」っていうのもあるんですけど、 これはどうも安房さんのオリジナルっぽいんですね。青空文庫全文検索ではヒット0件でした。この「どもども」っていうのは、へどもどするとか、そういうところが来てるような気もするんですけれども。「どもども」ってのは、この「あるジャム屋の話」だけではなくて、「オリオン写真館」(1968)、「ライラック通りのぼうし屋」(1973)でも、「どもどもとつぶやく」という表現が出てくるんですね。これは本当、安房さんのオリジナルのような感触がありました。

あともう1つ、「ふかぶかとうなずいて」。これ、「ふかぶか」っていう言葉だけですと、青空文庫の検索では随分出てくるんですけれども、この場合のふかぶかっていうのは、ふかぶかとソファに身を沈めるとか、そういうのが多いんですけれども、「ふかぶか」っていうのと「うなずいて」っていうのが一緒に出てくるものっていうのも、これは青空文庫全文検索では無し、ヒットしませんでしたので、これも安房さんのオリジナルなのかなっていうのはちょっと面白いなと思った次第です。

それから、ラストの結びのことについて、ご寄稿いただいてるようですね。こちらはアロマスタイルさん、HO書店さん、yamamomoさん、皆さんからラストの結びについ

てご寄稿いただいてるんですけれども、ご紹介していただいてもよろしいですか。

 

gentle finger window ずっと読んでいって、ラストになって、これ誰かに話してたんだ、っていきなりこう現実に引き戻される感覚を、私も読んでて感じたんです。

HO書店さんからは、主人公の「私」は最後にこの話を誰にしているのか気になります、私のイメージでは、主人公と同じように、ちょっと人生につまずいて、ジャム屋の小屋までたどり着いた若者に話しているのではと思っています、とのことでした。

で、アロマスタイルさんからは、質問なのかな、このラストについて、「さあ、このブルーベリーのジャム、お土産に一瓶差し上げましょう」っていうところが、アロマスタイルさん大好きだっていうことなんですが、こういう聞かせる相手がいる設定での1人語りのお話は、安房さんの他の作品にもありましたでしょうか、っていうお尋ねをいただきました。

 

ネムリ堂 私もそれで、アロマスタイルさんとちょっとやり取りしたんですけれども、「谷間の宿」なんかもそうですね、ちょっと全然スタイル違うけれども、あれも1人語りのお話ですね。「水を1ぱいください」っていうところから、はじまっています。

 

gentle finger window あれは、なんか、最初から、そういうふうにわかってますよね。この「あるジャム屋の話」は、最後に来て、誰かいたんだっていうとか、意外性があって、私も、「ん?」って思ったんですけど。

 

ネムリ堂 うんうん。そうですね。あと、これはアロマスタイルさんから後からいただいたお話だったんですけど、単行本未収録作品になってしまうんですが、「なのはなのポケット」(1981)っていうのと、「やまのくりごはん」(1980)っていうお話があって、これはおばあちゃんが主人公なんですけど、「あのね、おばあちゃんがね」、みたいな感じで始まるお話なんですね。これも1人語りのお話なんじゃないですかね。そういうふうに、この間、メールでいただいてます。

あとは、ちょっと「あるジャム屋の話」とは趣が違うんですけれども、「きつねの窓」(1971)とか、「天窓のある家」(1977)とか、あとは、「秋の風鈴」(1974)とかも、「ぼく」が主人公で、1人語りの話でもあるのかなっていうようなことも、アロマスタイルさんとメールでやり取りしていました。ちょっとね、本当、こんな風に「さ、ジャムの一瓶をお土産に差し上げましょう」っていう、そういうのとはまた違うんですけどね。

 

gentle finger window もし、奥さんが横にいたら、ここまでのお話聞いてる人だったら、あ、この人、あの鹿の娘ですよね、ってなるわけですよね。

 

ネムリ堂 奥さんがね。

 

gentle finger window 奥さんに会えたのかなって。今どうなってんのかなって。

 

ネムリ堂 確かに、確かに。隣でニコニコしてるかもしれませんよね。あの人がそうなんだねって。

 

gentle finger window どんな感じなんだろう。

 

ネムリ堂 yamamomoさんからも、ジャム屋の話では、無事に鹿の娘は人間の娘になって、森野さんのお嫁さん になって、2人でたくさんの山の恵みを、ジャムに煮て、人々にその素晴らしい甘い芳香を配る楽しい仕事に、充実した日々を過ごす、実に心がほっとするハッピーエンドになっている。このハッピーエンド。それから、幸せな日常を過ごしました。というような物語の定型。その日常の四季を、日々の自然の恵みの素晴らしさ、不思議さを幸福に味わう人間とのあたたかい関係性や交流、その楽しい物語がずっと続編として、短編集としてできていってもいいような終わり方。大好きである。っていうようなご感想いただいてるんですね。

本当、これ、安房さんがもしご存命でいらしたら、スピンオフ作品みたいなね、違うお話を読むことができたらって思いますよね。誰か書いてくださらないんですかね。なんか2次創作でもいいから…

 

gentle finger window ネムリ堂さんが『熊の火のつづきのおはなし』書かれたように、ああいう形で出るといいですね。

 

ネムリ堂 ちょっと考えてみようかな。でも、難しいかな?

 

gentle finger window さっきラストのところ、HO書店さんのご感想、ちょっとご紹介してなかったんですが、HO書店、「あるジャム屋の話」について、たくさんの不思議要素が込められて、言葉で語られない部分が、想像力を広げてくれて、より深く物語の世界に入っていけるところがとても好きです、ってご感想いただきました。

はい、もう本当にそうですね。あ、奥さん、鹿だったよねって、なんかまた想像が広がって。

 

ネムリ堂 なんかそうですよね。

 

gentle finger window 色々と、部分部分で想像が広がっていきますよね。

 

ネムリ堂 ですね。私もこの最後のラストって、誰かに語りかけてるっていうのが、読者をその場に参加させるための仕掛けであるんじゃないかなっていう風に思ったんですね。なので、こう、ひらかれた終わり方で終わらせてるっていう、そこら辺は、なんていうか、作品を書く上でのテクニックというか、そんなようなことを思いました。

 

gentle finger window なるほど…。なんか、より、本当に、想像が広がるっていうか、より、こう、入っていくっていうか、この、ジャム屋の話に、どっぷりと、その世界に入って、どうなってんだろう、どうなっていくんだろうって。

 

ネムリ堂 yamamomoさんからも、こういったような、ジャム屋の話のような作品群についてご感想いただいてるんですけれども、「おしゃべりなカーテン」や「ゆめみるトランク」、「グラタンおばあさんとまほうのアヒル」、「ひぐれのお客」など、ほんの少しの魔法が、日常、現実のあじきなさを新しい輝きで満たしてくれる、そんなかたちでの自然界(魔法)との関わりの日々が楽しく語られるものが挙げられる、と。で、個人的には「ひぐれのお客」とっても好きだという、ご感想いただきました。

また、これらの作品からは、人が大切に使ってたモノたちが、その思いに応える魂を得た付喪神的な性格を持っているのも注目に値するんではないか、っていうような、面白いご指摘もいただいてます。本当ね。言われてみると付喪神のお話なんだなっていうのも面白いですよね。

はい、そんなようなとこでしょうか。

あとは、あるジャム屋のお話の魅力について。gentle fingerさんからも安房さんのお話の魅力について、この間メールいただいてるかと思うんですけど、ご紹介お願いいたします。

 

gentle finger window この本を知ったきっかけっていうか、この物語を好きになったきっかけですかね。

このお話自体は魔法だったりとか、美味しそうなこう、ジャムや紅茶のお話だったりとか、可愛い動物の話だったり、子供向けの、多分、児童文学として紹介されてるんでしょうけれど、なんか私は、初めてこの物語に接したのが、高校生の頃で、もうちょっと大人になりかけてる頃だったんですね。で、ちょうど、なんか、その時に、やっぱり思春期、親との関係難しかったり、学校でも、なかなか、ちょっと、なんか、友達との関係だったり、あと、受験の勉強で、こう、ちょっと、なんでしょう、ストレスがあったりとかで、色々悩むことが多い時に、やっぱり、この、「あるジャム屋の話」の、最初のところ、主人公の私が、人づきあいが下手で、会社勤めも合わなくって、ジャム屋を始めてもうまくいかなくってって、こう、何やってもうまくいかないっていう、なんかそこに、すごく共感っていうか、あんまり何やってもうまくいかないなっていうところが、すごく共感して、がっと入っていって、で、最後、読んでいくと、なんか徐々に、心の隙間を埋めていってくれるような、ハッピーなところとか、最後、ハッピーエンドっていうのが、なんでしょう、読んで、ほっとするっていうか、こう、最初感じていたストレスを変えて、なんか共感していたっていう…。最後ハッピーエンドで自分も癒される。そういう意味では、子供向けの児童文学なんでしょうけど、これ、どっちかっていうと大人向けのファンタジーでもあるなって。それで、私は今もこれがとても好きですね。この物語が。

 

ネムリ堂 そうですね、本当、この主人公が人づきあいが下手で、会社勤めも合わなくて、しかも口下手。そこが本当に私、そこに本当に共感して、本当、自分もそうだなと思いながら読んで。本当に、安房さんの作品の魅力っていうのは、なんて言うんでしょうね、そういう世の中にちょっと違和感を感じてる人だったりとか、そういう人はよく出てくるじゃないですか。そこが本当に魅力の1つだなと思うんです。

 

gentle finger window ね、なんかそういう。それで、このお話がね、最後は悲しいお話だったら、ちょっとなんか一緒に暗くなってドボンと落ちちゃったかもしれないですけど、ハッピーエンドなんで、癒されるっていう。

 

ネムリ堂 ね、ほっとするハッピーエンドですよね。安心してね、最後まで読める、読むことができる。でも珍しいですよね、安房さんの作品で、最後にホッとできる話って。

 

gentle finger window 「海の館のひらめ」ともちょっとなんか似てる。

 

ネムリ堂 そういう感じですよね。うん、そう。で、最後にね、ほっとして終わらせてくれるっていう。

 

gentle finger window 魔法で、怖いのも好きなんですけど、こういう、こう、癒される、大人になっても癒される、こういうファンタジーも好きです。安房さんの作品。

 

ネムリ堂 いいですね。なんか安房さん、晩年になると、「わるくちのすきな女の子」(1989)とか、こういう口下手でない、むしろいじめっ子の側のお話を書き始めるんですね。そこが、その、変身というか、そういう心境の変化ってのは、どうしたんだろうって、すごく思いますね。

 

gentle finger window 反対側から、何か見えることがあるのかしらっていう風に、なんか、反対の視点から入っていかれたんですかね。

 

ネムリ堂 そうかもしれません。だってご自分はね、絶対、いじめっ子の側では絶対にありえないような方でしたから。本当、そういう心理に興味を持たれたんだなっていうのは。

 

gentle finger window どなたかに聞いてみたいですね。その頃をご存知だった方に。

 

ネムリ堂 ね。本当ですね。強いんだけど、いじめっ子、っていうようなのが主人公っていうのが、ちょっと異色ですよね。

ありがとうございます。私の方はそのくらいなんですけれども、どなたかもっとお話したい方おられましたら、どうぞスピーカーとしてリクエストしてください。

 

gentle finger window 今回ですね、何人かの方からご感想なりご考察なり、事前にいただいていたので、ぜひスピーカーじゃなくても、こういう風にね、メッセージでいただけたら嬉しいです。

 

ネムリ堂 ですね、メッセージでいただければ、それを冊子にするときに全文掲載させていただけたらと思ってますので、お待ちしてます。よろしくお願いいたします。

次は、なんでしたっけ。安房直子ランキング7位ですね。「遠い野ばらの村」。これもまた、あすなろ書房さんの絵本シリーズ「安房直子絵ぶんこ」として、高橋枝さんが絵を描かれたものが、ただ今、絶賛発売中ですので、ぜひ。

次回も皆さんご参加いただけたらと思います。

 

gentle finger window 切ないお話ですよね。

 

ネムリ堂 なんかね、ちょっとこう、あったかい話なんだけど、実はさみしいおばあさんの話でもあるからっていうようなね。これ言っちゃったらあれだけど。そうですね。

 

gentle finger window うん、考察いただくとそうですね。はい。

 

ネムリ堂 また次回、ぜひご参加ください。そろそろ今日は失礼させていただきたいと思います。今日は皆さん、 ありがとうございました。     (2024・10・18)

 

次回「遠い野ばらの村」の主な収録単行本

・絵本『遠い野ばらの村』(装画・高橋和枝あすなろ書房

・『遠い野ばらの村』偕成社文庫

・『安房直子コレクション』2巻 偕成社

童話作家安房直子さんについておしゃべり「鳥」

(5)「鳥」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle finger window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・ymst

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。今回はランキング五位、「鳥」です。「鳥」は、

一九七一年六月『海賊』21掲載、

入手しやすい書籍は、

偕成社文庫『風と木の歌』

・ポプラポケット文庫『きつねの窓』

偕成社安房直子コレクション』一巻 

講談社文庫『南の島の魔法の話』(kindle有)

 

 このお話のキーワード考えたのですけど、

ひみつ・鳥・変身・走る・耳、などがあるかなと思ったんですね。

 同人誌『海賊』の巻末に、作者の言葉を記した「マスト」というコーナーがあるのですけれども、そちらで安房さんは、この「鳥」という作品について、こんなことを書いておられます。

「鳥が人間に変身するというモチーフを使って、思い切りロマンチックな物語を書いてみたかったのです。が、筋が少し複雑になりました。小さい習作です。」

こんなふうに書いてますね。ここで、「小さい習作です」と書いているのですけれど、安藤美紀夫さんと安房直子さんの対談がありまして、「メルヘン童話の世界」(一九七八)というものなのですが、そこで安藤さんは、「『鳥』には、資質プラス何かがあるんだな、きっと」と話しているのです。でも安房さんご自身は、「『鳥』は自信がなくて、書いた時も『海賊』にのせるかどうしようかとてもためらった作品です」とおっしゃっています。自分では今まで書かなかったようなことを書いた、同人誌だからちょっと実験のつもりでと思った、みたいなことをおっしゃってますね。

この作品なんですけれども、エッセイ「言葉と私」(一九七四)で、安房さんは、

「私の『青』の中には、なぜかひとかけらの白があって、(それは海原の一羽のカモメとか、空に向かって咲いている一輪のモクレンの花のイメージでしょうか)その白が私の青をいっそう神秘的なものにしています。」

というようなことも書かれています。

この「鳥」という作品、青と白が実に効果的に使われている作品で、安房さん、青と白を使った作品、いくつか書かれておられます。

「きつねの窓」(一九七一)とかもそうですよね。いちめんの青いききょう畑に白いきつねがチラリと見える……みたいな。

 

gentle finger window そうですね。

 

ネムリ堂 「北風のわすれたハンカチ」も、青の中の白ではなくて、こっちは逆ですね、いちめんの白の中に青いハンカチ、青い少女がポツン、みたいな。

たぶん「言葉と私」(一九七四)というエッセイで書かれた青と白ということについての言葉は、「鳥」という作品を思い浮かべながら書かれたのかな、と思って読みました。

 あと、この「鳥」という作品なんですけれども、耳のモチーフがでてくるんですね。この「耳」について、アロマスタイルさんからメールをいただいてますので、こちらもご紹介お願いいたします。

 

gentle finger window アロマスタイルさんからいただいたご感想をご紹介しますね。

「『耳』の共通点で、『夏の夢』を再読して、安房直子さんの作品には、仕事に疲れた男性がよく登場するなと思ったけれど、『鳥』は、医者ご本人が異界に迷い込むのでなくって、話を聞くだけ、見せられるだけ、という点が他の作品とは違うところで、安藤先生との対談で、『自信のなかった作品』『実験のつもりで』と語られた所以なのかな、と思ったりしました。」

というご感想をいただきました。

 

ネムリ堂 アロマスタイルさん、ありがとうございます。そうですね。「夏の夢」という作品も、仕事に疲れた男性が主人公として出てくるんですよね。そして、「耳鳴り」を貸す、という耳にまつわる物語でしたね。ymstさんも、耳について、メールを下さったのですけれども、ご紹介していただいてよろしいですか。

 

ymst こんばんは。「北風のわすれたハンカチ」の中で、耳の中にハンカチをしまっておく、というシーンがでてきますよね。大事にしまっておく場所として、耳の中が選ばれているっていうのが、すごい面白いなあと思っていて。ハンカチっていうのは、ちゃんと「固形」というか、「モノ」じゃないですか。「ひみつ」は「モノ」ではない。「ひみつ」をかくしておくのに、証拠が残らない場所? っていうのが耳なのかな?って思ってて。なんか文書として残しておくと、ひみつって、証拠として残っちゃったり、誰かに見られちゃったり、ってことがあるけれど、耳に隠しておく、耳の中だと、お医者さんが見たら、わかったけれど、自分が黙っている限り、絶対にわからない。

 

ネムリ堂 なるほど。「北風のわすれたハンカチ」ではハンカチを耳にしまうけど、この「鳥」という作品ではひみつを耳にしまっている。そんな感じのイメージの連なりがある感じでしょうかね。

 

ymst そうですね。すごく大事なものがしまってあるっていうところなんだなっていう。

(後注・「熊の火」でも、おやじさんは金のカギを耳にしまっています)

ハンカチは、失くさないために、取りにきたときに渡すためにしまうんですよね。だから、すごく「耳」っていうのを大事にしてるのかな、っていうのと、もうひとつ、(ひみつは)「固形」じゃない、って言ったけれど、「鳥」のなかでは、コトンと耳の中に落ちた、っていうから、固形になったのかな?って。

 

ネムリ堂 物質的にコトンって落ちたっていうのが面白いですよね。それをとりだしてほしい、って言ってくる。

 

ymst 固形じゃないのに、「つまみだせる」ものとして、ピンセットとか持ち出してきてるのだと思うのだけど。お医者さんだから。そこらへんが面白いなと思いました。

 

ネムリ堂 あと、耳のお医者さんが、ほんとうはあなたも鳥なんだよ、と少女に教えてあげるために走るんですけれども、そちらについてもご紹介いただいてよろしいですか。

 

ymst 耳のお医者さん、走って教えにいかなくちゃいけないかな?とちょっと思ったんですよ。だれかに教えた時点で、たぶん、魔法がとけちゃう。ひとりでもひみつを知ったら、魔法がとけてしまうから、きっとお医者さんが走って教えに行かなくても、もう鳥になっているかもしれないですよね。その日のうちに、鳥に、元に戻っちゃう。その日のうちが、いつなんだろう?ってちょっと思ったりしました。

 

ネムリ堂 そうですね。私は、はじめて読んだときは、そこまで考えないで、ああ、ひみつを教えにいかなきゃいけないんだ、て読んだんですよ。でもymstさんがおっしゃっているようなご指摘をされる方が何人もいらっしゃるようで、府川源一郎さんという方が、『鳥論』という論考を書かれていて、その中で、

「海女が少女に秘密を話してしまった日の海に日が落ちる時、少年の魔法がとけてしまうように、少女が医者に秘密を漏らしてしまった同じ日の夕刻、同時に少女の魔法もとけてしまう」

というようなことを言っているのですね。また「教材の力」という文章を書かれた田中実さんという方も、それが「プロットの致命的な欠陥」と評しているのです。なので、ymstさんのご指摘、同じようなことを言っている方が何人かいらっしゃる。(参考・西田谷洋『女性作家は捉え直す』ひつじ書房 二〇二〇)

ただ、私は実は、思っているのは、魔法がとけるには、物理的に「耳にひみつを入れる」というワンステップが必要なんじゃないかな、と思っていまして。知識として知っているということで魔法がとけてしまうんじゃなくて、おそらく安房さんの考えていたイメージとしては、物理的に耳に「コトン」とひみつを落とさなきゃ、魔法はとけないっていうことがあるのかな、って。

 

ymst だとしたら、追いかけて、耳元でひみつをコトンと落としてあげないといけないですね。

 

ネムリ堂 そうすると、少女はひみつを知ることができて、魔法がとけるという。ただ、それが、この作品では最後まで書かれていないのですね。最後、お医者さんが、走って、走って、走って、いつまでも追いつかないっていう。そういう終わり方っていうのも、ひとつのテクニックというか……

 

ymst 余韻があるっていうか、考える余地のある終わり方をするっていうか。

 

ネムリ堂 そうですね。想像の余地のある終わり方、ひろがりのある終わり方ですね。

 

ymst 走っていったときに、少女がすでに鳥になっていたのでも、追いつかないだろうし。少女が少年の方に追いついていたらいいですよね。

 

ネムリ堂 そうですね。少女は少年に追いついて。ちょっと魔法がとけるのに、時間差がありますよね。そこがね、ドキドキしますよね。

 

ymst 日が沈むまでに、聞いたことが、日が沈んだら魔法がとけちゃうんだから、日が沈んでから気がついたでしょ、少女が鳥だってことには。

 

ネムリ堂 そうですね。そういうことになりますよね。

 

ymst もしかして、もう一日後になっちゃうのかな。っていろいろ思いました。

 

ネムリ堂 鳥は「鳥目」っていって、夜とべませんしね。もしかして、ふたりでうずくまって、鳥のまま一夜を過ごすかもしれない。

 

ymst かもしれないし、もしかして、少女の魔法は次の日にとけるのかもしれない。

 

ネムリ堂 ああ!! 次の日に! そうかもしれない。そしたらほんとに、タイムラグにドキドキしちゃいますね。

 

gentle finger window 今回読み直していて、ちょっとわからなくなっていたんですけど、最後の場面で、カモメの羽根が散らばっている、って描写が。私、これって、魔法がとけて、女の子もカモメになっているって思っていたんですね。でも、そういうわけじゃないんですね?

 

ネムリ堂 少女が少年と出会ったときも、少年が残していったボートの中に白い鳥の羽根が散らばっているのをみてるんですよ。で、「私は不思議な夏の夢を見たように思いました」っていうふうに少女はお医者さんに話しているんです。だから、魔法がとけて少女が飛んでいってしまったわけではないと思います。

 

gentle finger window ずっと、白い羽根が散らばっていたっていうところで、てっきり魔法がとけてしまって、もうカモメになって逃げてしまった、去ってしまった、と思ってました。ずっと。

 

ネムリ堂 そういうふうに読んでも、その鳥を捕まえなきゃいけない、教えてあげなきゃいけない。鳥でもいいから、教えてあげなきゃいけない、そういう必死さっていうのも、何か、違う解釈として、ある感じはしますね。

 

この作品、ずいぶん「走る」シーンがいっぱいあるかと思うんです。ラスト、主人公が走るじゃないですか。そういう作品て「鳥」の他には、「ほたる」という作品もあるかと思うんですね。両方とも最後まで、対象に追いつかないまま、終わっているっていう。

 

あと、「走る少女」というモチーフも、他にも安房さん幾つか書いておられて。

「夢の果て」(一九七四)

「日暮れの海の物語」(一九七六)

「奥さまの耳飾り」(一九七七)

「小鳥とばら」(一九七九)

「野の果ての国」(一九八〇)

「鳥にさらわれた娘」(一九八二)

サフランの物語」(一九八七)

これら、走る少女というモチーフなんですね。

遠野物語』で「走る女」というお話があり、山に入る、一種の物狂いになって、共同体から離脱する、というお話があって。あと『安珍清姫』なども、清姫安珍を走りながら追いかける、情念の走りみたいなもの、そういう情念みたいなものを「鳥」の少女の走りに感じさせられるというか。そんなことを思ってこの作品は読みました。皆さんはどんな風に思われるでしょうか。

 

それから、「ひみつ」というキーワードがありました。

ひみつがタイトルに冠された作品いくつかあるんですけれど、他の作品、どうでしょう。思いうかばれませんか。

 

gentle finger window そのままタイトルにある「うさぎ屋のひみつ」(一九八五)とか。

 

ネムリ堂 そうです、そうです。「うさぎ屋のひみつ」もタイトルに「ひみつ」が入っているし。

 

gentle finger window 「コンタロウのひみつのでんわ」(一九八二)とか。

 

ネムリ堂 そうですね、あと「秘密の発電所」(一九八〇)も。

ひみつが主題の作品が、安房さん多くて、

「ハンカチの上の花畑」(一九七三)、「青い糸」(一九七五)なんかもあって。

それから

「鶴の家」禁猟の鶴を撃ったひみつ

「野の音」ボタン穴のひみつ

「日暮れの海の物語」さえの秘密

「奥さまの耳飾り」耳飾りの秘密

「木の葉の魚」なべの秘密

「すずめのおくりもの」すずめの秘密の畑

「ねずみの福引き」秘密の話

「ひぐれのラッパ」灰色の着物のこどもたちの話をだれにも秘密にしていた

「月夜のテーブルかけ」たぬきのひみつの場所

「わるくちのすきな女の子」ひみつの木いちご

「あるジャム屋の話」ひみつのブルーベリー畑

「だんまりうさぎとおほしさま」ひみつの作物

「小さなつづら」猿の秘密の話

みたいな。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ひみつとは違うかもしれませんが、「ききょうの娘」(一九八二)のおわんも、ひみつがあるということですかね。「木の葉の魚」のなべのように、ひみつの力をもっていて。

 

ネムリ堂 そのひみつの力を、結局奪われてしまうというか、だめにしてしまう…

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。人間の心の弱さみたいなもので、だめにしてしまう。ちょっと昔話に出てくるモチーフかな

 

ネムリ堂 そうですね。昔話によく出てくる、ひみつを、誰かに話してしまうと、だめになっちゃう、そういうお話が下敷きにあるかもしれないですね。

 

あと、ひみつについて、安房さんの身の上のことなんですけれども、養女でいらっしゃったとことを、大学卒業までひみつにされていた、というようなこともあるかと思うのです。これだけひみつの物語がすごく多いということは、それだけ、安房さんにとってひみつというのがすごく大きな、心の中の大きな部分を占めていたのかな、ってそんなことも思ったりしました。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida あと、魔法的なものがこう、ひみつになってますよね。実際のひみつもあると思うのですけれども。

 

ネムリ堂 「奥さまの耳飾り」の耳飾りの魔法とかもひみつの魔法ですものね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 「鳥」の話では、この耳の奥のひみつが、光っている。ちょうどこぶしの花が一輪咲いているような感じで、っていう表現が独特だなって思いました。

 

ネムリ堂 独特……というのは、どういうことでしょう?

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida コトンと音がして、さっき固形物のようなものになったのではないか、というお話がありましたが、たぶん、さっきもお話でていたかと思うのですが、言葉というものが、なにか違う次元のものに変換されたというか。

 

ネムリ堂 コトンと落ちるものが、今度は耳の中で光っているっていう、そういうことですかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida なんかそういう、違うものに、ホントに変化した??

 

ネムリ堂 安房さんの言葉のマジックというかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そこが特徴的なひみつだなと思いました。あと、「北風のわすれたハンカチ」のハンカチも、ハンカチ自体魔法の道具であって、魔法をもっているし、そこには北風の娘との思い出ですよね、それを耳に入れるっていうことは、ほんとうに心なごむひみつを自分だけでこう、あたためているみたいなイメージがありました。

 

ネムリ堂 なるほど。耳の中にしまうものということでですよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですよね。そのひみつっていうのは、ほんとに自分とその娘のあいだの思い出。あたためてくれるひみつ。「鳥」のほうのひみつっていうのは、女の子には男の子への気持ちがあるわけですよね。それで一生懸命になっているんですよね。やっぱりそこに、特別性のある、ひみつを感じました。

 

ネムリ堂 ロマンチックな話として、しかも海が舞台の話として、「誰も知らない時間」(一九七一・三)という作品もあるかと思うんですけど、「誰も知らない時間」と、この「鳥」(一九七一・六)という作品は、どっちも少年と少女と海の話で、しかもロマンチック・ラブのはなしであると。ポプラポケット文庫『きつねの窓』っていう短編集では、「誰も知らない時間」が収録されたあと、最後が「鳥」でおしまいの作品集になっているんですね。でも講談社文庫『南の島の魔法の話』では、巻頭作が「鳥」で、いちばん〆の作品が「誰も知らない時間」になっているんですよ。そういう作品の配置の仕方っていうのも、面白いなと思って。

あと、「海の雪」(一九七五)って作品もあって、「海の雪」もカモメがでてくるんですよね。で、しかも、海と少年と少女の話で、「海の雪」自体は、少年を、カモメである少女が化かす話であると思うんですね。「鳥」という作品の裏返しにした作品、それが「海の雪」じゃないかな、って。これは一九七五年の作品なので、「鳥」が一九七一年六月の作品、「誰も知らない時間」が一九七一年三月の作品。一番最初に描かれたのが「誰も知らない時間」、次が「鳥」なんです。「海の雪」はその四年後の作品です。なので、この三つの作品の関係性っていうのも、面白いのじゃないかと思いました。

 

あと、海が舞台の物語も、安房さんすごくいっぱい書いておられて、山が好きっておっしゃられているけど、海の作品もいっぱいで。

「誰も知らない時間」「鳥」「海の雪」のほか、

「青い貝」(一九七六)

「海からの電話」(一九七六)

「ふしぎなシャベル」(一九七八)

「南の島の魔法の話」(一九七八)

「赤い魚」(一九七九)

「海からのおくりもの」(一九七九)

「鳥にさらわれた娘」(一九八二)

「海の口笛」(一九七六)

 

単行本未収録の作品では、

「かいのでんわ」(一九七二)

「海へ」(一九七六)

「レースの海」(一九八六)

「あきのはまべ」(一九九〇)

「銀のぬい針」(一九九〇)

など。

海が舞台の作品をものすごいいっぱい書かれているのですね。この中で、「海女」が出てくる作品は。「鳥」「鳥にさらわれた娘」なんですけれども、アロマアクセサリーさん、海女について、教えていただいてもよろしいでしょうか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 海女さんて、みなさん、一般的にご存知かと思うのですが、説明を、というお話がありましたので、簡単にお話します。

「あまさん」というと、現代では女性だけがやっているイメージなんですが、もともとは男性も女性も海で働く人たち全般を「あまさん」と言っていました。女性は「海女」、男性は「海士」あるいは「海人」と書きます。歴史はとても古くて、伊勢神宮ができたときに、お供えするための熨斗鮑にするアワビをとるのに、海女さんに頼んで取ってもらっていた、というような話があります。それを考えますと、千年以上前からいたということになりますが、実際『古事記』などでも、海女のような仕事をしていた人はいたということです。で、海女さんのお話として、山へは猟師として男性が従事しますが、海でも漁師はいますけれど、女性が海女として仕事をしているのは印象的でした。それから余談ですが、海は怖いということで。海女の怪異対策として、ドーマンセーマンという陰陽道に通ずる印ですがそれを身につけました。海女さんの怪異として有名なものに「トモカヅキ」というものがあります。「カヅク」とは「潜る」という意味です。海女さんひとりで潜っているときに、自分と同じように潜っているものがいて、アワビをそれが差し出すんですね、それを受け取ってしまうと、命が危ういっていうことで、自分と同じような存在、ドッペルゲンガーですよね。どこか死を予期させるものであるので、これを防ぐために、自分の着ているものなどに、ドーマンセーマンて星印や格子状のしるしを縫い込む。私の見た本には六芒星でしたが、インターネットで調べると普通に星の形がでてきます。

(参考・『海女 ものと人間の文化史78』田辺悟 著、法政大学出版局 一九九三)

 

ネムリ堂 星の印とは、安倍晴明のしるしと同じ星ですか?

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ドーマンセーマンは星や格子状(縦五本横四本の碁盤割)のしるしですよね。それを実際に布に縫い付けたりして、そうした怪異よけを身につけているという。(後注・アロマアクセサリーさんより補足。ドーマンセーマン両方の印をセットで一対とし、紺糸で縫い付けるとのこと。また、一般的な星印は一筆書きできるので行って帰るという意味になるため、無事に戻ってこられるおまじないになる。) そういったおまじないをするというのは、魔女的でありますよね。安房さんは、山の方で猟師のでてくる昔話はわりとあることなので、それをお話として取り入れたというのはあると思うのだけど、でてくるお話というのは、例えばその、……「人魚姫」はちょっと違いますものね? 海女は海外である風習ではないので、ヨーロッパには海女さんていないですよね??安房さんは、どこから海女というモチーフをとりだしてきたのかなって、気になっています。

(後注・海女は、日本と韓国だけに見られるとのこと)

 

ネムリ堂 安房さん、軽井沢の山荘のほかに、海の方にも別荘をお持ちだったみたいなんですね。養父のかたから、別荘をプレゼントされて、海にもよく行かれてて。そこで、地曳網とかそういうものをすごく身近にご覧になっていたと。なので、そういったところで、海女さんなんかも、当時はご覧になっていた可能性はあるのではないか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 安房さんの別荘のあった鎌倉あたりに海女さんていたのかな…?? 当時はいらしたのかも???

一番有名なのは、三重県伊勢志摩のほうですよね。鎌倉も、海女さんではないけれども、漁業に実際携わっているかたはいらしたのかもしれませんね。(後注・アロマアクセサリーさんより補足。一八〇〇年頃の浮世絵に、七里ヶ浜での海女によるアワビ採りが描かれているものありとのこと。また甘縄神明宮の「甘」は「海女」から来たという説があるとのこと。)

 

ネムリ堂 海女さんが出てきて、なおかつ、安房さんの作品のなかで、重要な役柄で「鳥にさらわれた娘」でも、海女がでてくるんですよね。そこでは、海女が魔女としてではなく、村の年よりみたいな、そういう感じの役柄としてでてくるんですけれども、この「鳥」という作品の中の海女っていうのは、ほんと、醜い年寄りの、女性でしかも魔法を使う、「魔女」の役柄ですね。

海女さんて海に潜る仕事じゃないですか。なので、おそらく、この「鳥」の中で、海女というのを対置させたのは、飛翔する鳥の対極にある存在だから、海女っていうのを持ってきたんじゃないかな、と思って。で、作品の中で、カモメである少年に、海の底の貝を拾ってこさせようとするっていう、それで、すごく苦しいから、ぼく、いやなんだ、って少年が言いますよね。そういうところに、魔法の持つ不自然さみたいなもの、鳥であるものを人間という檻に閉じ込めるという、ある種の残酷さみたいなものが強調されているのかな、と、そんなことを思ったりしました。

 

あと、醜い年寄りの女が登場する作品で、「沼のほとり」(一九七六)という作品があるんですけれども。魔法を使う魔女のお話としては、

「赤いばらの橋」(一九六七)

「野の音」(一九七三)

「小鳥とばら」(一九七九)

サフランの物語」(一九八七)

そういった、魔法を使う魔女という役柄も安房さんの作品にはいくつか出てきますね。

海の精霊として、「海からのおくりもの」(一九七九)では、「海ばあさん」というのがでてくるんですね。これが、「鳥」の海女とイメージが近いのじゃないかと思うのです。海からすうっとやってきて、縁日か何かで、子どもに妙なものを売りつけて、またすうっと海に帰っていく、青いネッカチーフをかぶった老婆です。海ばあさんは、未収録作品である「銀のぬい針」(一九九〇)でも、同じように青いネッカチーフをかぶったおばあさんがでてきます。いくつかの作品を横断させて、海ばあさん登場させていたりします。

 

それから、鳥が登場する安房作品もすごくいっぱいあります。いかがでしょうか。鳥の登場する安房作品て、挙げていただいてもよろしいでしょうか。

 

gentle finger window 「鳥」も好きですけど、私の好きな作品は「小鳥とばら」(一九七九)です。

 

ネムリ堂 ああ! 「小鳥とばら」! いいですよね。「小鳥とばら」も、鳥がタイトルにはいっていますよね。鳥の名前がタイトルに入っている作品も結構あって。

 

gentle finger window 「鳥にさらわれた娘」(一九八二)もそうですしね。

 

ネムリ堂 そうですよね。「鳥にさらわれた娘」にも鳥がはいっていますよね。

 

gentle finger window 「鶴の家」(一九七二)も。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 「青い貝」も、海と、最後の方で鳥がでてきますよね。

 

ネムリ堂 「青い貝」も鳥がでてきましたっけ?

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうなんですね。鳥になって、いつか友達のところに行ってしまいたいな、みたいな、話です。

 

ネムリ堂 ああ! そうでしたっけね。「青い貝」何年の作品でしたっけ。

 

gentle finger window 一九七六年、『詩とメルヘン』に載った作品ですね。

 

ネムリ堂 じゃ、「鳥」の五年後に書かれた作品で、青い海と、白い鳥、みたいな。そういうイメージになりますかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね、青いスカートに、月見草の島がみえる、みたいな。

 

ネムリ堂 エッセイで、「シャガールの絵の中の鳥」(一九八三)で、「思えば、これまでに、私も、鳥の物語をだいぶ書いてきました。カモメの話、くじゃくの話、鶴の話、おうむの話、しぎの話、空をとぶにわとりの話…。」みたいなこと書かれているんですね。

「白いおうむの森」(一九七三)ですとか、「銀のくじゃく」(一九七四)ですとか、そこらへんも鳥のでてくる作品ですし、あとは、鳥がタイトルに入っているのは、

「すずめのおくりもの」すずめ (一九八二)

「うぐいす」 (一九九四)

それから、

「長い灰色のスカート」ハト(一九七二)

「声の森」おんどり (一九七四)

「べにばらホテルのお客」ムネアカドリ(一九八七)

「青い糸」白い小鳥 (一九七五)

「緑のスキップ」みみずく (一九七二)

「エプロンをかけためんどり」めんどり(一九八一)

「グラタンおばあさんとまほうのアヒル」アヒル(一九八二)

「わるくちのすきな女の子」わるくちどり(一九八九)

などですね。

 

エッセイ「シャガールの絵の中の鳥」では、

「鳥は、自由のしるしでしょうか。それとも、人間の、遠い世界への憧れを象徴するのでしょうか…」

というようなことを、ご本人が書かれていて、すごく、鳥が好きで、不思議なものという感じで、鳥を捉えていらっしゃるんですね。なので、そういった感じで、「鳥」という作品も書いておられたのかな、と。

「大空を群れをなしてとんで行く鳥を見ると、胸がいっぱいになります。あの鳥たちのあとを追って、地の果て海の果てまでとんで行けたらなあと、いつも私は思うのです。」

そんなふうに、このエッセイは締めくくられているんですね。

 

gentle finger window 安房さんの書かれたエッセイでイメージする鳥は、自由にどこまでもはばたけるという、ポジティブなイメージなんですけど、「鳥」が出てくる物語ってどうも、かなしかったり、切ないものが多いのかなって。

 

ネムリ堂 ああ、そうですね。

 

gentle finger window 海の話も、山の話と比べて、なんかちょっと怖かったりとか、薄暗いっていうか。うさぎの出てくるお話に比べて、なんかちょっと、かなしかったり、さびしかったりするお話が多い気がしました。

 

ネムリ堂 そうですね。コミカルな「うさぎ屋のひみつ」とかと比べると、さみしくてかなしいお話が多いですよね。

 

gentle finger window 鳥の出てくるお話のタイトルをざっと聞いただけでもそう思いました。エッセイではポジティブなんですよね。

 

ネムリ堂 自由のしるしでしょうか、と書かれているわりには、作品として書くとそうではない。むしろ、それに憧れている自分のほうを投影されているような。飛翔に憧れているのに、きづかされます、みたいなことも、書かれているのですね。

 

gentle finger window お話の中では、閉じ込められているじゃないですけれども、狭い世界だったり、暗い世界にいるものも多い……

 

ネムリ堂 「白いおうむの森」とかもね。

 

gentle finger window それは、自己を投影するというか、お話の中の鳥は自分自身? いつか飛んでいける存在なのかな。

 

ネムリ堂 「銀のくじゃく」なんかも、最後に憧れにむかって、飛んで行ってしまう、という、でもそれはすごく、ある意味さみしいことでもありますよね。お話自体は。

 

gentle finger window そうですね。

 

ネムリ堂 はたおりは、旗のくじゃくになってしまうし、お姫さまはそばにいなくて、どこにあるかわからないものを目指して、消えていってしまうわけですよね。

 

gentle finger window 鳥は自由で羨ましい存在だけれども、一方で……なんていえばいいのだろう? 難しいですけど。 さびしいっていうか、それがお話にも……。

 

ネムリ堂 そうですね。アロマアクセサリーさんにも、メールで同じようなご感想をいただいているのですけれども、ちょっとお話していただいてよろしいですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 鳥というのは、自由に今いる場所から違う場所に連れていってくれる象徴ですが、それへの憧れがあるのですが、それを思うということは、今現在の自分がやはり、自由ではないし、ここは、自分のいる場所ではないのではないか、という気持ちが常に、根底にあるから、わりとお話の中でそういうふうに、描かれるのかなと、安房さんのお話を全体的に読んでそう思いました。あと、山のお話というのはわりと、迷い込んでもそこで新たな生活が待っていたりとか、海の方はなにかこう、ひきずりこまれたら本当にそのままになってしまう……

 

ネムリ堂 得体の知れない世界ですよね。確かに物理的に海の底に引きずり込まれたら、即死の世界ですし、山はね……

 

gentle finger window 山は迷い込んでも戻ってきているような気がするんですよね。

 

ネムリ堂 ああ、そうですよね、戻ってこられていますよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 戻ってきたりとか、新たな世界へ行ったりとか、新たな生活がはじまるみたいな。海のお話は、「誰も知らない時間」なんかも、ハッピーエンドはハッピーエンドだと思うんですけれども、なんかちょっと、心の底から喜べるような話ではないような。

 

ネムリ堂 カメがね、死んじゃいますしね。カメからの解放ではあったけれども、そのカメ自体を犠牲にして、成り立っている二人の世界というか。

 

gentle finger window 海と山、鳥。なにか、深層心理が反映されているんですかね。深く探っていくと……

 

ネムリ堂 面白そうですよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida おばあさん的なものの存在は、保護者としての存在で、子どもの成長を阻害するというか、いつまでも子どものままでいてほしい親ごころみたいなものを、昔話的なところから、形として借りているのかなと、思いました。

 

ネムリ堂 海女の造形ですかね。負の母親像というか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida それだけでない、ちょっとなんともいえない空恐ろしさというか、とくに「鳥」の海女、どこか、罠をしかけていそうな……。解放してやるよといいながら。

 

gentle finger window そうですよね。女の子が落とした赤い実を食べて、魔法にかかっているカモメだってことを知っていて言わなかったのか、ほんとに知らなかったのか、どっちなのかなって。

 

ネムリ堂 あえてね、「赤い実を片方、落としてしまったことを忘れてしまったほどだった」って、女の子に話していること自体が、伏線になっているんだけど、そこもちょっとわかんないですよね。

 

gentle finger window 「ハンカチの上の花畑」のおばあさんみたいな、全部、最初から最後まで仕込まれていたのか。

 

ネムリ堂 仕組まれていた話であるのか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 赤い実はなにかこう、不吉なというか、えって思いました。

 

gentle finger window 安房さんに出てくる年寄りのおばあさんてなんか、安房さんの周りに怖いおばあさんがいたなんてことはないですよね。

 

ネムリ堂 いや、そういうのよりはむしろ……

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 「ヘンゼルとグレーテル」のおばあさんとか、あんな感じのイメージですかね。

 

ネムリ堂 おとぎ話の中のおばあさんというか。

 

……すみません、赤い実で思いだしたんですけど、もう一個、私、みなさんとお話したいことがあって。海女は魔法の赤い実にはっはと息をかけてカモメに食べさせるっていう魔法を使うじゃないですか。

はっはと息をふきかけるということが、結構安房さんいろんな魔法として使っているんですよね。

〈はっは〉は、

・「空にうかんだエレベーター」ガラスは月の光にとけ、なくなった

・「三日月村の黒猫」ミシンはカタカタ動き始め、ミシン針はぴかぴかに

・「ゆめみるトランク」こぶしの花が春風少女のバレエシューズに(「霧立峠の千枝」では、こぶしがくつに)

・「おしゃべりなカーテン」ねずみのおばあさんが針さしにおまじない

・「べにばらホテルのお客」トランペット

・「サフランの物語」黄色いハンカチのねずみ

 

〈ふっふ〉もあって、

・「よもぎが原の風」よもぎだんご

・「てんぐのくれためんこ」枯れ葉のめんこ

・「きつね山の赤い花」緑の食器

・「トランプの中の家」トランプ

〈ふうっと〉

・「サフランの物語」蝶々

・「野ばらの帽子」おまじない

〈ほっと〉

・「丘の家の小さな家」かぼちゃのあかり

などがあります。

息をふきかけて魔法をかけるというのを、安房さんすごくいっぱい書かれているんですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 息をふきかける魔法っていうのは、ちょっと思いだしたのは『孫悟空』の話で、ふっと息を出してたくさんちっちゃい孫悟空が出てくるっていう場面がありますよね。

 

ネムリ堂 自分の毛を、ふうって吹くんですよね。そうすると、毛がいっぱいの自分の分身になるんですよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 息っていういのは、それこそ、生命を維持するものですよね。呼吸だから。その自分の息をふきかけるってことで、生命を与える。力を与える、魔法みたいなものに使っているのかなと思いました。

 

ネムリ堂 安倍晴明も、式神の使役とかで紙人形にふっと息をかけますよね。私この間厄除けをやったんですけれど、紙人形に、厄除けってふうって息をかけるんですって。それで厄を吸い取ってもらうっていうのも思いだして。

 

gentle finger window 私、毎年やってます。神社に郵便で厄除けしてもらってるんですけど。金沢にかなり大きな厄除けの神社があって手紙みたいなものに、息をふってふきかけたものを送り返すと厄除けしてくれるんですよ。

 

ネムリ堂 そうなんですね。

 

gentle finger window ふっと息をふきこむんですかね、魂をふきこむというか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 息っていうのは、生命維持の源なので、魔法には欠かせないものなのかもしれない。

 

ネムリ堂 昨日ちょうどね、Ⅹのタイムラインで、シーサーってあるじゃないですか、沖縄の守り神の。あれを覚醒させるためには、っていうやり方があるらしくて、まず、

  • 塩で浄めて、
  • 水をジャブジャブかけて、
  • 口に酒を注いで、
  • 大きく息をふきかける
  • 大きく拍手をすると、

シーサーが魔除けや家の守り神として覚醒してくれるって、そういう投稿読んで、これ、今日のお話に使える、って思って。

 

gentle finger window じゃ、覚醒してないんですね、何もしていないシーサーって。

 

ネムリ堂 手続きを踏まないと覚醒しないんですって。そうらしいです。それは、『沖縄暮らしのしきたり読本』双葉社(二〇〇八)に書いてあるらしいです。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 安房さんてお人形さんをたくさんもってらっしゃったじゃないですか。あのお人形さんに息をふきかけて、生きているようにならないかな、って思ったことなかったですかね。

 

ネムリ堂 ああ、そうですよね。そういうのもあるかなあ。いっぱい「養女」を迎えた感じでしたものね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida もしかしたら、ちょっと、って。

 

ネムリ堂 はい、他になにかお話したいこと、ありますでしょうか。

 

gentle finger window あるいは、DMで、今日のご感想を送っていただけると嬉しいです。ぜひ。

 

ネムリ堂 メールでも、DMでもお待ちしてますのでよろしくおねがいします。

他に何かありますか。ymstさん、いかがでしょうか。

 

ymst 息をかける話で、私、ちょっと違うこと、思っていたんですけど、そんなにたくさん息をかけている話があるとは思ってなくて、「鳥」に限って言うと、「息がかかる」っていう言葉があるじゃないですか。「支配下に置く」っていうような。

 

ネムリ堂 そうですね。支配の関係ですね。なるほど。息をふきかけてっていうのは、支配下に置くってことと同義っていうことですね。

 

ymst かな?って。ほかの話は違いそうですね。でもね。

 

ネムリ堂 でも、そういうものもあるかもしれない。「てんぐのくれためんこ」でも「サフランの物語」でも、息をふきかけて魔法を使うんですよ。

 

ymst 魔法で思い通りにするっていうのがそういうことなのかなあって思ったり。あと、こぶしの花を選んだのには何かあるのかなって思って。この話は夏の話なのに、こぶしってほんとに、私の思うこぶしって雪解けのイメージなんですね。

 

ネムリ堂 春を告げる花ですものね。こぶしって。

 

ymst そして、木にわあっていっぱい咲く花っていうイメージがこぶしなので。一輪だけっていうのがちょっと不思議な感じがしたんですけど。

 

ネムリ堂 私は、一輪だけ咲いているっていうのはあまり不思議な気はしなくって、鳥が木にとまっているイメージの白い花なのかなあって思ったんですけどね。そんなに深い意味があるかどうかは思い至りませんでした。

 

ymst あまり無いかもしれないですけどね。

 

ネムリ堂 「白いおうむの森」なんかは、モクレンの花がすっごいいっぱい綺麗に咲いている木ってあるじゃないですか。あれ見ると、鳥がいっぱいとまっているように私は見えるので、「白いおうむの森」を思いだすんですよね。私が思っていたようなことを同じように書いているかたがⅩ上にいらしたので、おおそれそれ!と。

 

ymst こぶしも一輪だけ見たら、ぽつんと落ちていたら鳥みたいですよね。

 

ネムリ堂 鳥みたいにみえますよね。

 

ymst なにかエピソードがどこかにあるのかな、と思って。

 

ネムリ堂 そこらへんは、春の花を夏にもってくるのはどうなのか、って、ちょっとわからないけど(笑)

 

……あ、私、もうひとつ、言い忘れたことがありました。

鳥が人間に変身するモチーフがすごく好きで、って安房さん書いておられてて、『夕鶴』『古事記』『白鳥の王子』とかのイメージ、そういうイメージを持って「鳥」という作品を書いてらしたんですって。謎解きみたいなものが好きで、最後に来てパッと謎をといたらその効果がどんなふうにでるか意識して書かれたってそんなことも、「メルヘン童話の世界」っていう安藤美紀夫さんとの対談でお話されてました。『古事記』のお話って、恐らく、ヤマトタケルが亡くなった後白い鳥になって飛んでいってしまう、そのお話のことかなと。そういった、大きな白い鳥が去っていく、そういうイメージ、あるいは、アンデルセンの「白鳥の王子」すごくお好きだったそうで、鮮やかに心に残っているのは、白鳥がハンモックにお姫さまを載せて海を渡っていく場面、青い海に白い鳥が飛ぶイメージっていう。蕗谷虹児さんの挿絵で安房さんアンデルセンの童話集を持ってらしたんですって。その挿絵がすごく心に刻み込まれた挿絵だったというようなことを「私のアンデルセン童話集」(一九七一)っていうエッセイで書かれてます。そんなことも、「鳥」という作品を構成するうえでひとつのピースとなったみたいであるということを付け加えさせていただきました。

さて、次回はランキング六位の「あるジャム屋の話」になります。「あるジャム屋の話」は、あすなろ書房さんで、もうすぐ絵本として刊行される予定ですので、ぜひ、本屋さんでみつけてみてください。

ほかの、入手しやすい書籍としましては、

講談社文庫「春の窓」

偕成社安房直子コレクション」五巻

となります。次回もよろしくおねがいします。

(2024・8・23)

 

冊子版『座談会記録 童話作家安房直子さんについておしゃべり④雪窓⑤鳥』作成中です。A5、76ページ、600円(ネムリ堂直接通販に限り送料込み)。

ご興味をもたれたかたは、

nemuridoh@gmail.com

まで。

冊子版には、ブログには掲載していない、スペース参加者からのご感想も全文掲載しています。

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また、既刊『①きつねの窓②天の鹿③ハンカチの上の花畑』も、

A5、64ページ、600円です。

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