(8)「北風のわすれたハンカチ」
発言者・ネムリ堂
・gentle.finger.window
・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida
・ymst
ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。
このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの1位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。
はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。
安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。
「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、
小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、
野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、
ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)
亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。
おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。
その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。
回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。
栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。
スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。
今回、第8回目、安房直子ランキング8位は、この「北風のわすれたハンカチ」になります。初めての雑誌掲載は1967年。
第8位の、同じ総得点の作品がもう1作ありまして、「ひぐれのお客」も第8位なんですね。この「ひぐれのお客」は次回取り上げさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
「北風のわすれたハンカチ」は、今読めるものとしましては、去年発売された、あすなろ書房さん発行の安房直子絵ぶんこ『北風のわすれたハンカチ』という絵本があります。これはetoさんの装画ですね。あとは
偕成社文庫『北風のわすれたハンカチ』、
旺文社『北風のわすれたハンカチ』、
講談社文庫『鶴の家』、
角川文庫『きつねの窓』、
フォア文庫『日暮れの海のものがたり』、
初出は『海賊』3号、1967年発行のものですね。こちらには「北風のわすれたハンカチ」というタイトルではなく、「熊と北風と青い花」というタイトルで掲載されました。
それでは皆さんどうぞ、etoさんの装画、牧村慶子さんの装画について、その魅力をお話しください。
☆etoさんの装画、牧村慶子さんの装画
ネムリ堂 偕成社文庫や旺文社は牧村慶子さんの装画なんですけれども、今回、去年発行された安房直子絵ぶんこでは、etoさんが描かれてまして、それがとても素晴らしかったんですね。本当、北風の佇まいが素晴らしくて、で、まるで昔の絵本のグリム童話に登場する人物のようだなと私は思いました。
etoさんの装画、三色だけ、黒と青と黄土色ですね、それらの三色を使っていて、そのプリントが、ちょっと昔の絵本の印刷みたいに多色刷りなのが味わい深くて素晴らしいなと思いました。
あともうひとつ特徴的だなと思ったのが、皆さんは長らく、牧村慶子さんの絵で「北風のわすれたハンカチ」には親しまれていたと思うんですけれども、牧村慶子さんはホットケーキの絵を前面に押し出していたんですね。でも、etoさんはホットケーキの絵は前面に押し出していないっていうのが新しいアプローチだなと思いました。ホットケーキを大きく描くのではなくて、むしろ熊が北風の少女を通じて感じ取った雪の音の表現が主題に据えられているという、そういう、そういった装画のように私は感じました。
装画について、皆さんいかがでしょうか。
アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。私は安房さんのお話で初めて読んだのが「北風のわすれたハンカチ」のハードカバーです。商業出版されたもので初めて読んだものが、この牧村さんの装画のものでした。
ネムリ堂 旺文社のものですよね。
アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。それは、私の父がですね、出張先の本屋さんで、小学校低学年ぐらいの女の子が読んで楽しいおすすめの本があったら教えてほしい、と書店員さんに聞きまして、その書店員さんがおすすめしてくださったのが、この『北風のわすれたハンカチ』だったんですね。
で、それはお土産としてもらいまして。初めて見た時に、その表紙の絵の色彩がとても私は気に入りまして。マリー・ローランサンの色彩にとてもよく似てるなって。子供の時にはマリー・ローランサン自体知らなかったですから、小学校高学年か中学年ぐらいの時にローランサンの絵を見まして。淡いんですけれども、クールなんですよね。ピンクにしても水色にしても。いわゆるパステル調の甘さではなくて、その感じがピンクですとか、いろんな色使われてるんですけども、北風の雰囲気が出てるな、そのお話に、とても合ってるなと思いました。で、それ以来ずっともう、「北風のわすれたハンカチ」のイメージというと、牧村さんの装画でしたね。
その後、私もそんなにお話を読んでいなかったので、久しぶりに、本当に、もう、本当に久しぶりに新しくこのetoさんの装画で絵本が出たということで、本当、それぞれ美しいな、と。そうですね、etoさんの装画、やっぱり美しいなという感じがしましたね。なんとなくこう、この青、青が、氷の青のような感じ、雪というよりか、氷の世界とか雪の絵とか、そういったものを思わせるような青だという印象を持ちました。
ネムリ堂 ありがとうございます。そうしましたら、今回ですね、kurina1412さんからもご寄稿いただきましたので、gentlefingerさん、kurina1412さんからのご寄稿のご紹介をお願いいたします。
gentle.finger.window はい、kurina1412さんのご紹介いたします。
【私のファースト安房直子さんは、小学生の時に買ってもらった『北風のわすれたハンカチ』です。同時期に学校の図書室で出会い、数えきれないほど借りた『風と木の歌』とあわせて、特別な物語です。
私の『北風のわすれたハンカチ』は、旺文社の1980年初版12刷(定価650円)。牧村慶子さんのイラストが大好きで、何度も色鉛筆で模写しました。偕成社文庫から出た時は小躍りしましたが、イラストのほとんどがモノクロで、残念。それで古書店で何冊が入手しました。1971年初版初刷(定価500円)と、1985年の重版(定価900円)。ん? 版が違うということは内容に変更があるのでしょうか? 今度じっくり読み比べてみます。
子どもの頃に夢中になった本が挿絵を変えて出版されると、思い出補正で新しいものを受け入れられないことが良くありますが、あすなろ書房の安房直子絵ぶんこシリーズのetoさんのイラストはとても素敵ですね。予算の都合上か印刷のカラーを抑えた部分と、イラストの雰囲気があっています。
そして、富樫尚美さん! 「あるジャム屋の話」の鹿の娘の絵に一目惚れして以来、いつか富樫さんの絵で安房直子さんの作品の絵本が出ないかなあと待っています。今回の幻のゆれる市(後注・2025年2月東長崎の雑貨店PlanetHandにて開催。富樫尚美さんは、「北風のわすれたハンカチ」をテーマに数点、絵画を出品)はまだ伺えていないのですが、北風のわすれたハンカチの作品。素敵です。
挿絵の話が先になってしまいましたが、はじめて読んだ安房直子さんの物語「北風のわすれたハンカチ」は、今でもすみからすみまで覚えているほど印象深い物語です。大人の私が魅了される安房さん作品の、異世界への誘いや、怖さ、妖しさといった要素は少なめなのですが、その分、優しさとあたたかさが詰まっています。
そしてなんといっても、色と温度と匂いが素晴らしい。北風たちの青と、ホットケーキの黄金色、雪の白。トランペットの音色の金色、バイオリンの銀色。外の厳しい寒さと、くまの家の暖かさ。食べ物も美味しそうですね。くまが食べることはなかったけれど、パイナップルのかんづめ、山ぶどうのかごも美味しそうですし、ホットケーキときたら、もうたまりません。】
ネムリ堂 ありがとうございます。そうですね、あと初版と重版とで、もしかして細かなところが違うかもしれないっていう風なことを書かれてたんですけど、どうなんでしょうね。ちょっと私そこまで確認してなくて。
gentle.finger.window お持ちですか。
ネムリ堂 持っています。見てみますね。
(後注・ネムリ堂所持は、以下の3冊。
- 1971年初版・1971年重版 発行
- 1971年初版・1978年第10刷 発行
- 2006年初版発行(ブッキングにて復刊)
①はカバーに奥付、赤坂包夫氏による「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、という感想文のかきかたの紹介と、山室静氏による「解説―安房さんとメルヘン」、赤坂氏による「鑑賞と読書指導」、旺文社からのことば「小学生のみなさんへ」、「この本をかいた安房直子先生」「絵をかいた牧村慶子先生」のお二人のプロフィールとお写真が掲載。
②は、見返し前のページに奥付と「読者のみなさんへ」のページあり、赤坂包夫氏による「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、という感想文のかきかたの紹介と、山室静氏による「解説―安房さんとメルヘン」、赤坂氏による「鑑賞と読書指導」。(安房さん・牧村さんの写真とプロフィールは無し)
③は奥付のみ。「まとめ―三つのお話からのおくりもの」、「解説―安房さんとメルヘン」、「鑑賞と読書指導」は無し)
gentle.finger.window kurina1412さんも書いてらしたんですけど、私は「北風のわすれたハンカチ」には牧村慶子さんの装画の方ではじめて出会ったので、なんかやっぱり、どうしても牧村慶子さんの絵の、「北風のわすれたハンカチ」が頭に浮かぶんですが、etoさんの絵は牧歌的って言うんですかね、なんか可愛い北風たちなイメージで、それもとても好きなんですけど、牧村慶子さんの北風の、なんでしょう、すごく透明感がある…、モノクロの印刷の仕方なのかもしれないですけど、こう、モノクロなのに透明感を感じる、もう本当に「風」って感じる、この絵が私の中ではすごく印象強くって…
ネムリ堂 水彩の色ののせ方がそうなんですかね。
gentle.finger.window そういうことなんですかね。私、偕成社文庫版を持ってるんですね、自分で手元に。
そうすると、表紙に北風の娘の絵、女の子の絵あるんですけれど、その髪の先の方、雪かもしれないんですけど、なんかこう、透けて見えるような、こう、透明感があって。
ネムリ堂 そうかもしれませんね。
gentle.finger.window 風を表してるのかなって、なんか、そう思ってたんですね。
etoさんの、こう、優しい、あったかい…「北風のわすれたハンカチ」って、すごく寒い、寒いところの話だけれど、とてもあったかいところをetoさんの絵から感じます。
ネムリ堂 はい、ありがとうございます。ymstさん、いかがでしょうか。etoさんと、牧村慶子さんの装画と。
ymst はい、こんばんは。牧村さんの絵は、私、持ってないんですけれど、絵はちょっと見たことがあるんですけど…。椅子の話してもいいですか。
ネムリ堂 ぜひぜひ椅子の話を聞かせてください。牧村さんのひじかけ椅子っていうのは、どっしりしたひじかけ椅子なんですよね。
ymst ですよね。そうですよね。なんかね、ログでできてるっていうか、重そうですよね。で、重心が下にある感じですよね。
私、このお話を最初に読んだのが何だったかちょっと忘れちゃったんですけど、もしかして、この『安房直子コレクション』1巻で読んでたかもしれないんですけど、私の中ではロッキングチェアだと思ってて、なんか熊がね、1人で住んでて、特にテレビとかないですよね、当たり前だけど。なんか1人でね、考え事したり、もしかしたら鼻歌かなんか歌いながら過ごしてるとしたら、なんかこう、ゆりいすにゆられて、心地良く過ごしていたんじゃないかって。
ネムリ堂 うん、ゆりいすは、ひじかけがありますもんね。
ymst そう、ひじかけのあるゆりいすにのってる感じで、大草原の小さな家のお母さんが座ってたような感じとかって思ってて。そしたら、etoさんがゆりいすを描いてくれたんですよね。それがまた形もすっごく私好みというか、全部が曲線でできてる感じのゆりいすですよね。これがすっごい私的には感動しました。もう感激しました。
ネムリ堂 イメージぴったりだったんですね。
ymst あと、このストーブの形ね、もう丸いフォルムと言った薪ストーブなんですかね、この辺が私的にはすごい感激したところでした。
ネムリ堂 はい、ありがとうございます。はい、そうですね。本当、装画によってイメージがだいぶ違うと思うんですけれども、どちらの絵も素晴らしい絵だと思いますので、皆さんちょっと読み比べてみてください。
まだやってるのかな? 神保町のブックハウスカフェさんで安房直子絵ぶんこの原画展がやってたんですけれども、そこではサイン本が置いてありましたので、まだもしやっているようでしたら、サイン本手に入りますので、ぜひこれを聞いた方、行ってみてください。私もちょっと買ってしまいました。
(後注・ブックハウスカフェ 安房直子絵ぶんこ原画展 2025年4月9日〜4月28日)
☆表記の違い、『海賊』掲載版の違いなど
ネムリ堂 あと、収録されてる本についてなんですけれども、本によっては、表記に微妙な違いがあるんですね。
で、偕成社文庫版とその元になった旺文社版ではまた違ってて、偕成社文庫が片仮名、クマ、ツキノワグマって書いてあるんですね。
でも、元となった旺文社版は、ひらがなで傍点つきのくま(熊)、くま、つきのわぐまって書いてあるんですよ。
で、じゃあ元々の『海賊』はどうなのかなと思って見てみましたところ、『海賊』はひらがなのくまと漢字の熊を併用してまして、月のわぐまは月だけが漢字で、あとの「わぐま」はひらがな。それぞれ表記がバラバラなので、出版社によって表記を変えてることがわかりました。
あと、講談社文庫版(『鶴の家』)ですと、熊と月輪熊、熊も漢字一文字、月輪熊って書いて、ツキノワグマと読ませて漢字なんですね。
で、じゃあ翻って一番新しい安房直子絵ぶんこ、これは安房直子コレクション1巻を底本としてるんですけれども、この表記がどうなってるかと言いますと、熊という漢字一文字と、月の輪熊と、「の」だけひらがな、月と輪熊が漢字なんですね。なので、随分表記にばらつきがあって、読んだ感じが違うなっていうのが私の印象です。
あと、一番最初に掲載された『海賊』」196年の掲載した版とではタイトルがまず違ってまして、「熊と北風と青い花」っていうタイトルだったわけです。
それから、細かな点は結構色々違うんですけれども、一番違うところは、まずハンカチを忘れていかないんです。この「熊と北風と青い花」のお話の場合、女の子の消えた後には青い花があったっていう、そういう結末なんです。
で、物語の結びは、「熊はもう少しもさびしくありませんでした」と結ばれて物語が終わって、で、「しあわせな冬ごもりにはいったのです」という冬眠の表現がない。そのことも違いの一つですね。
あと、耳にハンカチをしまうことで雪の音が鮮明に聞こえる、というくだりもありません。
その残された青い花のことを、「矢車草でしょうか、りんどうでしょうか、それともミヤコワスレでしょうか。熊はその名前をなかなか思い出せませんでした」という風に書かれてます。ここでは何の花か、はっきり書かれてなかったんですけれども、私は、勿忘草のことかな、なんて思いながら読みました。
あと違う箇所ですね、パイナップルのかんづめとひとかごの山ぶどうが冷蔵庫に入れてあるんですが、これ『海賊』版ですとパイナップルのかんづめとひとかごの「木いちご」って最初書かれてるんですね。そこもちょっと違う箇所です。多分、木いちごは季節が違ってたんでしょうね。なので「山ぶどう」、という風に後から書き直されたのかなと思います。
☆ホットケーキ
ネムリ堂 この作品、ホットケーキがすごく美味しそうなんですけれども、ホットケーキの出てくる安房直子作品と言いますと3作品ありまして、まず「黄色いスカーフ」のオレンジとふっくらあたたかいホットケーキ、それから「エプロンをかけためんどり」のふっくら厚くてあまいシロップのかかったホットケーキ、あと「だんまりうさぎと黄色いかさ」の大きくて黄色いたまごをたっぷり使ったホットケーキ、の3つが出てきます。
ホットケーキについては、アロマアクセリーさんが調べてくださっているので、アロマアクセサリーさん、ご紹介お願いいたします。
アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい、ホットケーキについてですが、ネムリ堂さんと一緒に作りました『物語の食卓―冬』で、「北風のわすれたハンカチ」について取り上げた時に調べたことをざっとご紹介させていただきます。
ホットケーキは、日本では大正時代の終わり頃に銀座三越デパートの食堂で「ハットケーキ」という名前で登場したそうです。その当時、洋装ですよね、それに欠かせない帽子「ハット」の流行と相まって大人気になったそうです。
調べた中では、『主婦の友』の昭和5年の1月号にホットケーキの作り方というのがのっていました。当初は一般の家庭での人気はどうもあまりなかったようなんですが、やっぱりちょっと焼くのが難しかったみたいですね。粉と卵とふくらまし粉の3つでできるんですが、やっぱりちょっと配合が違ったり、焼き加減がうまくいかないと焦げてしまったりしていたそうです。で、実際に日本でホットケーキが普及したのは、昭和32年にホットケーキミックスが登場してからだと言われています。
そのホットケーキミックスを使うことで、ふっくらとしたおいしいホットケーキが焼けるようになって、ご家庭でも手軽にホットケーキが作れるようになったという流れになっています。以上です。
ネムリ堂 はい、ありがとうございます。じゃあ、安房さんがホットケーキを作品にだしたっていうのは、そういった昭和32年からの流れで、ホットケーキが随分普及してからのことだったんですかね。
アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 安房さん、あまり外食をされない方だったと伺っていますので、やはり家庭でできるもの、手軽にできる、しかもおやつですよね、身近なものとして意識されていたのかなとは思います。
ネムリ堂 ありがとうございます。すごいホットケーキが美味しそうというのも、この「北風のわすれたハンカチ」の魅力の一つなんですけれども。
この作品ですね、ホットケーキを、牧村慶子さんの挿し絵だと前面に押し出していて、ホットケーキが本当に美味しそうで、そのホットケーキが食べたくて、お母さんに「ホットケーキを作って!作って!」ってねだったっていうような方もいらしたっていう風に伺ったことがあります。
で、一方、etoさんの装画、牧村さんとは違うアプローチで挿絵を書かれたんだと思うんですね。で、その挿絵のアプローチというのが、むしろ音楽をめぐる物語であるというのを前面に押し出してあると思うんですね。
☆音楽をめぐる作品
ネムリ堂 この作品、音楽をめぐる作品でもあるということで、今回、yamamomoさんからもご寄稿いただいてる、その一部をご紹介させていただこうと思います。yamamomoさんからは長いご寄稿文いただいてますので、全文を、冊子にした時にしっかり読んでいただきたいです。また、yamamomoさんの、はてなブログ『酔生夢死DAYS』にも全文掲載されておりますので、そちらで読むこともできます。
では、yamamomoさんからのご寄稿、一部だけ読ませていただきます。
【彼らはクマにそれらの「ただ魂を『向こう側』へと奪う力に頼ったソリストによる能動的音楽」を授けることなく、すなわち、人間でも自然でもない境界領域にある優しいこのこどものクマの心に寄り添うことなく、ひたすら奪い、去ってゆく。より一層の寂しさを残して。ここに「寄り添う」「共感」という「響きあい」の自然界動物界人間界の共存するハーモニーは生まれない。あくまでも切り離されたソロなのだ。
だが、最後にやってきた、彼らの娘である北風の少女は、惜しみなく贈与する自然の側面を体現する。
自然とは、驚異であり恩寵である。その両面をもっている、すべてをもっている。畏怖と、贈与、感謝と敬愛と、親しみと。
彼らは親子であり、本来三位一体としての自然界、外界の精霊であるが、この物語は中間領域にいるコグマにその両面を見せる、という構造をもつ。
ここでも、北風の「大人」の父と母、そしてクマの失われた「大人」の両親、或いは「大人」の人間の猟師は、既に互いに両極の世界に分かたれた「向こう側」にいるものであって、お互いに相容れる心を持たない。そういう意味で、「壊し奪う己の力の体現である自然の驚異」であった北風の両親はクマを力で害する人間と同様の性格を持っているのだ。】
こういうご指摘をいただいてまして、他にも様々な気づきを与えてくれる素晴らしい論考をいただきました。ご寄稿、本当にありがとうございました。
yamamomoさんの論考で気がつかされたことなんですけれども、北風の両親は音楽を奏でるための楽器を持っているわけです。でも、北風の娘は楽器を持っていない。ハンカチしか持っていないということなんですね。楽器は持っていないけど、雪の音や花の音、風の音を感じる心、感受性を持っている。そういう存在が娘の立場であったわけです。
で、また異界へと、つめたい北風の国へと、北風の少女は熊を連れ去らないというのも、ポイントの一つだと思います。安房さんの作品って、異界から訪れたモノたちが、主人公を違う世界へ連れていったまま戻ってこない。そういう作品すごく多いんですけれども、この作品では、あの少女は熊を違う世界へと連れてかないっていうのが、ちょっと他の作品と違うところかなと思いますね。
北風と熊という、生きる世界の違う存在について、同じ世界を生きることの不可能性を描いている。で、それを超えて再会の可能性という一すじの希望の輝かしさみたいなものも受け取れる。
そんなふうなことも感じました。あと、雪の音が聞こえるのも、北風少女が今一緒にいるからなのではないか、少女がいなくなったらまた元のさびしい自分に戻ってしまうのではないか。そんなふうに熊は自問するわけですけど、その切実さというのも、こう胸にひしひしと伝わってきます。そこを、なんでしょうね、そんな熊の気持ちがわかるからこそ、北風の少女は青いハンカチを残していって、熊はそれを耳にしまうわけですね。
北風の娘が話した、雪の音や花の音についての話なんですけれども、これが、熊が北風の両親から教えてもらえなかった、「音楽を教えてください」という張り紙に書かれたクマの望みへの答えでもあるかなと思います。
☆「大人」という向こう側、「ニンゲン」という存在の暴力性
ネムリ堂 あともう一つ、yamamomoさんのご指摘で、「大人」の北風たち、「大人」の人間の猟師、熊の「大人」の両親があらかじめ物語からは欠けているという、そういうご指摘があったのもちょっとハッとさせられまして。
「大人」の北風たちが、「大人」の人間の猟師と同様に、熊から「奪う」存在であるということ。あと、熊の「大人」の両親は、あらかじめこの物語から欠けているということ……「向こう側」の存在であるということのご指摘、そうか!と、膝を打ちました。
それから、今、ご紹介した部分ではないんですけれども、yamamomoさんの論考の一番初めの一行に、「このお話には人間が出てこない」という一文があるんですね。この一文にもハッとさせられました。作中には人間が登場しないんですね。で、この主役は熊なわけで、熊は「ニンゲン」によって家族を奪われてる。
これは、読者である「ニンゲン」の少年少女たちが、自身の存在そのものの暴力性みたいなもの、そういうものにソフトな形で直面させられるのではないかと。読者である「ニンゲン」の少年少女たちは、この作品によって、自分が奪う側であるということ、自分の存在そのものの暴力性について、あくまで表向きは隠された形で直面させられるのではないかという風にも感じました。
そのようなものと重なりつつ、自身を子供の熊に感情移入して読むことで、なんとも言えない立体的で複雑な読後感を持つことになるのではないかな、と、そんな風に思いました。
☆成長という観点
ネムリ堂 この「北風にわすれたハンカチ」を、成長物語という観点から読み解かれた方もいらっしゃいました。アロマアクセサリーさん、成長物語という観点からの考察、ご紹介お願いできますか。
アロマアクセサリー&香りと文学m.aida このお話は児童文学であるので、安房さんはある程度、読者対象を意識して書かれていたかなとは思うんですけれども、この熊がですね、体は大人であるけれども、心はまだ子供であると。この状態っていうのは、私、ちょっと思春期の状態を表してるのかなと思ったんですね。
で、思春期っていうのは、子供から大人に移行する期間であって、閉じられた家庭の中から、外の社会と関わっていくんですけれども、その時に、結構、大人に対して懐疑的であるけれども、自分と同じような世代である、同じような感覚を持ってる存在と関わりながら、外の世界へ踏み出していく、そういう時期である。
で、熊は、北風の大人たちからは、こう、ちょっとひどい仕打ちを受けてしまうんですけれども、同世代である北風の少女とはコミュニケーションを取って、やり取りをしながら、冬眠の後には、思春期から次の時期へと、ちょっと成長していく過程が描かれてるような感じがしました。前歯が折れてしまうんですけれども、それは、子供から大人に移行する時に、歯が生えかわったりしますので、そういったこともイメージとして、そういう成長物語ではないかなと思った次第です。以上です。
ネムリ堂 ありがとうございます。同じように、やっぱり成長という観点から読み解かれた鳴滝さんのご考察もご紹介させていただこうと思います。gentlefingerさん、お願いできますか。
gentle.finger.window はい。鳴滝さんのご考察、抜粋してご紹介します。
【「幼年期の終わりに〜北風の忘れたハンカチについて」
幸せな思い出と美しい忘れものをよすがに、熊は再会を期待しますが、娘はたぶん次の冬には「大人の北風」になっているのではないかと私は思います。
そして冬ごもりからあけたら、熊もまた、立派な大人になっている。一冬青い花のようなハンカチを飾った耳で、心で、いつでも自然の音楽を聴けるようになった熊は、きっと春には新しい出会いを得て、淋しい熊ではなくなるのではないかと。
北風の娘と淋しい熊、どちらもが「幼年期の終わり」だったから共有できた、一期一会の優しいお茶会。
おいていく側もおいていかれる側も、かなえられないと分かっている願いを飲みこんだ別離。おそらく取り戻しには来ない(=熊に与えられた)魔法のハンカチ。
たとえば「北風の娘は、毎年熊の家にお茶に来るようになりました」と添えるだけで、シンプルなハッピーエンドにできそうな物語を、あえてここで締めくくる。安房さんのこういうところ、ほんとに凄みがあるなあと、しみじみ感じています。】
以上です。
ネムリ堂 ありがとうございます。本当、鳴滝さんのご指摘読むまで、私、熊のところに毎年北風の娘は今後訪れてくるんじゃないかな、でも訪れてこないかもしれないなっていう、そういう宙づりのところで、どういうお話になるんだろうっていう風に、そういう風に思っていただけで、大人になりきれてない熊と、まだ子供の優しい北風の娘が、なぜ優しいのかっていうのを、言葉にうまくできなかったんですね。
で、その一年に一度しか会えない、その一瞬の一時だけを頼りに過ごしていく熊の在り方、切なさみたいなものの方に目がいっていて、そんなように、これが本当の一期一会の話であるかもしれないという視点にすごい気づかされてびっくりしました。
gentle.finger.window 私もです。読ませていただいて、娘はもう次、大人になっちゃうんだっていうことと、熊も冬ごもりが終わったら、そうだ、大人になるんだっていうこと、…鳴滝さんの論考を読ませていただいて、とてもハッとさせられました。
ネムリ堂 ね。気づかされましたよね。
gentle.finger.window 少女は、きっと戻ってくるんだろうな、なんて、軽く考えてたんですよ。戻ってきて、なんかきっとハッピーエンドの話なのかな、あるいは七夕みたいな形なのかな、みたいな。あまり深く考えていなかったというか。でもきっと2人とも大人になってますよね。
ネムリ堂 うん。だから、それを書かなかった安房さんの筆っていうところまで鳴滝さん指摘されてて、そうかと思ってね。
gentle.finger.window 私も本当に、とても感動しました。
ネムリ堂 はい。あと、「ひめねずみとガラスのストーブ」という、風の子の側からのお話もあるかと思うんですね。安房さんの作品の一つとして。こちらだと最後に、風の子フーが、何も感じない大人の風になる。そういうお話ですよね。「ひめねずみとガラスのストーブ」って、この「北風のわすれたハンカチ」より後に書かれてるんですね。
「北風のわすれたハンカチ」を書いた後に、今度は北風の側からの、熊ではなく、ねずみとの話ですけれど、そういうお話を安房さんは書かれていたという…。
gentle.finger.window そうですね。しかも風の子フーが戻ってきた頃にはもう世代交代しちゃってるっていう。
そういう意味では、北風の娘、大人になってまた戻ってくるかもしれないけど、そのころに熊はもう、いないかもしれないですね。
ネムリ堂 熊の寿命は、ねずみよりは長いですけれども、次に来た時は、お互いにもう大人ですよね、きっとね。
だから、今の、本当に一瞬だけの、なんでしょう、触れ合いだったっていうことが…。そうか、安房さんはそこで筆を止めたんだっていうのが、すごい驚きで。
gentle.finger.window 感動しました。
ネムリ堂 このお話の、深まりを感じますよね。
gentle.finger.window はい。
ネムリ堂 はい、ありがとうございました。鳴滝さんのご考察も冊子にまとめる時に、前半部分、後半部分、全て全収録させていただきますので、どうぞそちらで読んでみてください。鳴滝さん、ありがとうございました。
☆楽器について
ネムリ堂 それから、楽器。楽器がこの作品出てくるかと思うんですけれども。トランペットとバイオリンが出てきますよね。
で、トランペットって安房さんの他のいろんな作品に登場してくるので、それをちょっとピックアップしてみました。
まず、「あめのひのトランペット」っていう作品があります。
それから、「夢の果て」という作品では、青年が崖の上で吹いていますね。
あと、「べにばらホテルのお客」では、岡本卓夫がトランペット吹きであって、岡本卓夫亡き後には、その伴侶であるムネアカドリはトランペットの中で悲しみのあまり死んでしまうという、そういうくだりがありますね。
あと、「すずをならすのはだれ」という作品の中では、寒い2月、高い空で銀のトランペットをふきならすという、そういう箇所があります。
で、「べにばらホテルのお客」が一番最初に『びわの実学校学校』に掲載された時の後書きがあるんですけれども、その後書きで、安房さん、「この夏はトランペットの曲をたくさん聞きました。その中で一番好きだったのは『夜空のトランペット』!」という、そういうようなこともおっしゃってます。そこで、『夜空のトランペット』聴いてみたんですけれども、ニニ・ロッソという人が有名みたいで、そうですね、寂しい曲というよりは、なんて言うんでしょう…。なんか広がりのある、なんとも、そうですね、気持ちの明るくなるような、そういう曲だったように聴こえました。
でも、どうなんでしょうね、トランペットの音っていうのは、安房さんはむしろさびしいものとして作品には書いてる気がします。
あと、バイオリンですね。バイオリンは「花のにおう町」の、秋になると胸の中のバイオリンがすすりなくというような風に書いてあったり、「ハンカチの上の花畑」では、豆粒ほどのバイオリンを良夫さんは小人にプレゼントします。
「月夜のテーブルかけ」では、食事の間、たぬきがバイオリンでモーツァルトを演奏するというくだりがあります。
「おしゃべりなカーテン」では、病気の蝶が壊れたバイオリンのような、バイオリンがすすりないてるような声を出すというくだりがあります。
それから、これは単行本未収録の作品なんですけれども、「そらいっぱいのピアノ」という作品では、音楽の大好きなうさぎがお水を飲んでいると、水面に素敵なバイオリンが映るというくだりがあります。
また、この作品、音楽への渇望というか、そういう音楽を聴くことによって、さびしくなくなりたい熊のその願いの切なさみたいな、そういうものも書いてるかと思うんですけれども。
ymstさん、似たような構造の作品があるっていう風におっしゃってたかと思うんですが、そちら、ちょっとご紹介いただいてよろしいですか。
☆音楽への渇望
ymst はい。実際似てるかどうかちょっとわからないですけど、「海からの電話」っていう作品ありますよね。で、これがちょっと似てるなって思った箇所があって。楽器を触ってみたいと思った、ここではカニ。
熊さんも楽器を手にしたいと思って、どっちも壊しちゃうというか、傷つけちゃったり、弦を切っちゃったりっていうことになりますよね。
ネムリ堂 そうですね。片方はすごくユーモラスなお話だけど、もう片方はすごく切なく、さびしい、そういう感じが。そうですね。印象は違うけど、構造が同じですよね。
ymst うん。そこが同じっていうのと、あともう一つ、似てるのは、やっぱり、熊の方は、そのハンカチをね、耳に入れて、その雪の音が聞こえるのを心の支えみたいな感じにして、冬ごもりに入りますよね。
で、「海からの電話」の方では、何回も修理させて、まだダメ、まだダメって言うじゃないですか。貝殻を当ててね、確認するんですよね。貝殻電話みたいなやつ。
ネムリ堂 それが、「海からの電話」っていう表題になってる。
ymst ですよね。それが、多分、この人も返してもらおうと思ってないんじゃないかなって思って。返してもらうっていうよりは、こうやって、いつまでも、この貝殻からの音を聞いてたいって思ってるのかなと思って。なんか、そんなところが、ちょっと、どっちも心の支えになってて、っていうところが似てるかなって思ったんですけど。
ちょっとずれるかもしれないんですけど、さっきの成長の話の時に、私がちょっと前に思っていたことがあるんですけど…
ネムリ堂 ぜひぜひ。
ymst ハンカチから雪の音が聞こえますよね。ほとほとって。それが、私は、冬ごもりが終わって、春になったら、どうなるのかなって思ったんです。
春になっても雪の音がするんだろうかと思って。
それで冬眠から目覚めたら、もしかして、雪の音がしない代わりに、春の音、雪解けの流れる音だったり、芽吹きの音だったり、鳥のさえずりだったりが聴こえる熊になってるんじゃないかなとかって、ちょっと思ってたんですよね。
ネムリ堂 でも、それは、書いてありますよね。雪の音だけでなく、花の音、風の音について、もう、聴こえるようになるっていうのは、北風の女の子が話してることのうちに入ってましたよね。
ymst それが、なんていうのかな、雪の音が聴こえなくても大丈夫な熊になるってことですよね。
ネムリ堂 大丈夫な熊になるってことなんですね。ほとほと、じゃなくて、ぽとぽと、って聴こえてくるのかも。雪どけの音とか。
ymst そうそう、他の音も聴こえるけど、雪の音がいらなくなるのかなと思ってて。で、私、次のシーズンにまた北風のあの家族が戻ってくるじゃなくて、私が勝手に思ってたのは、次の家族が来るって思ってたんですよね。
ネムリ堂 そうなんですね。
ymst 次の家族が来るかもしれないの。北風が来て、また、小さい子供っていうか、若い北風も来てって思ってて。
ネムリ堂 もしかしたら、熊がストーブ屋になってたりして。「ひめねずみとガラスのストーブ」では、風の子フーに熊がストーブを売りつけるじゃないですか。そういうこともちょっと考えられますよね。
ymst 同じことが繰り返されるよりは進んでいくんじゃないかなって思ってたんです。
ネムリ堂 ええ。なるほど。
熊のストーブ屋っていうのは、「ひめねずみとガラスのストーブ」で風の子フーがストーブを買うんですけど、そのストーブ屋さんっていうのは、熊なんですよ。
あと、楽器。「あめのひのトランペット」の楽器屋さんも、「ふしぎや」っていう熊なんですよね。だから、音楽が好きな月の輪熊だから、音楽を商いにしていたりして。成長した熊が「ふしぎや」になってるかもしれない。
ymst なってるかもしれないですね。そうそう。
☆音楽的表現、オノマトペ
ymst もう一つね、このお話が、音楽的表現が色々あるなって思ってたことがあって。
ネムリ堂 そうですよ、先生として、ピアノを教えておられるymstさんだから、お話を伺いたいと思ってました。
ymst なんか、そんな、全然立派な先生じゃないので、あれなんですけど、
この話って、特に擬音だとか、音の表現、音の比喩が多いなって思っていて。で、例えば、「どぼどぼっ」とお茶をつぐとか、風が「ぴゅっと」とかいうのはよくある言葉かもしれないんだけれど、例えばね、最初の北風が来た時かな、
「やっぱり、だれかがたたいているのです。たしかにたしかに。」って、「たしかに」は2回言うんですよね。私、それがすっごい音楽的だなと思って。
絶対これ、「たしかにたしかに」って2回目、強いと思いませんか。
ネムリ堂 ああ、そういうね、耳で聞いて、いい感じの調子というかね、そういうリズムがある文章なんですね。
ymst 「たしかにたしかに。「はあい!」」って出るっていう、なんかそういう音楽のフレーズに、すごい聞こえたっていうか、読んで、頭に音が鳴ったなっていうのと、あと、例えば、「沈んでいく夕日みたいな」っていう表現とか、ありますよね。
ネムリ堂 そうですね。音をね、そんなふうに、伝えている。
ymst 私、多分、自分でレッスンの時、言っちゃうんですよ。そんな感じのことを。
ネムリ堂 素敵な先生!! 生徒さんはきっとすごく素敵な先生だと思ってると思います。
ymst 例えば、メロディーのフレーズの終わりの辺りをどういう風に終わらせるかっていう時に、例えば、そういうことをね、「ほら、なんか夕日がね、海に沈んでるところを想像してみて」とか言っちゃうんですよね。
ネムリ堂 音楽って、そういうところがあるんでしょうね。
ymst うん、私は、少なくともあって、「部屋が金色に染まっていく」とか、そういう表現とかもすごく私、自分でほんとに使ってるようなことが出てくるので、もしかして逆に安房さんの影響なのかもしれないなとか思ったり。若い頃から安房さんを読んでたからそういう表現を使うようになったかもしれないです。
ymst わかりません(笑)
gentle.finger.window 今、ymstさんの、オノマトペのお話伺っていて、確かにこのお話多いと思うんですけど、擬音語、擬態語、その中でも私、特に、なんか不思議な感じを覚えるっていうか、より強く感じたのが、まだ北風の家族が来ないところで、ストーブの前でゆりいすに揺られて悲しんでいる熊のところで、「さびしくて胸の中がゾクゾクするよ」ってあるんですけど、「ゾクゾクする」って、例えば、風邪のひき始めに、なんか体調悪くてゾクゾクするとか、ちょっと何か楽しみでゾクゾクする、興奮した状態でゾクゾクするとか。
そういう使い方はなんか、なんとなく馴染みあるんですけど、「さびしくて胸の中がゾクゾクする」ってどう状態なんだろうって。なんかすごく、でも、より強く、さびしくて、死にそう、狂いそう、じゃないけど……
ネムリ堂 なんか凍えそうな感じの表現ですよね。
gentle.finger.window あんまり、「さびしくてゾクゾクする」って使わないな、あんまり聞かないなって思いながら、気になってた擬態語でした。
ymst 私もアンダーライン引いてます。そこ。
gentle.finger.window そうですか。気になりますよね。なんか、すっごいさびしい感じしますよね。悲しい感じ。
ymst うん、もう計り知れないぐらいさびしい感じがする。
gentle.finger.window それを、ゾクゾクするって言葉で表すところがすごい。
ymst そうですよね。
gentle.finger.window うん。(安房直子さんの)言葉の感覚っていうか、使い方っていうか、なんか私みたいな一般人とは違うなって気がしました。
ネムリ堂 安房さんのオノマトペですよね。ここの「北風のわすれたハンカチ」で、オノマトペで特徴的なのはやっぱり「ほとほとほと」だと思うんですけど。
ymstさん、「ほとほとほと」について、お話があるっておっしゃってましたが。
ymst 「ほとほとほと」っていうのがね、すごく水分を含んでそうな雪の音だなと思ってて。なんて言うんですかね、私、北海道なんですけど、北海道でほとほと降るって、真冬だったらあんまりないと思うんですよね。もうハラハラに近いっていうか。
ネムリ堂 雪の質が違うんですかね。
ymst ですね。ただ、春先に降る雪がちょっと近いかなって思ってて。
ネムリ堂 湿っているかんじ。
ymst そうですね、湿ってて、水分が多くて、地面に落ちて、なんていうかな、もう溶けるまでいかないけれど、こう、ふわっと、消えない感じ、本州の雪の感じかなって思ったんですけど。この、ほとほと、っていうのも、なんか、「ほとほと疲れ果てた」とかの時に使うかなと思ったり。
ネムリ堂 現代語では、ほとほとっていうのは、「ほとほと疲れ果てた」とか使いますが、古語では、なんか、「ほとほと、と戸を叩く」っていう表現が元々あるみたいで。でも、それはまた、雪の音とは違いますもんね。
ymst 不思議な感じがしますね。ほとほと。でも、月の輪熊だから。だから、絶対そんなに北国じゃないなと思って、そういう雪かなっておもって。
ネムリ堂 そっか。北海道ではないですね。本州ですもんね。月の輪熊。うん、そうですよね。なるほど。雪が違う雪かもしれない。
ymst 「とっぽりと座る」ってありましたよね。腰かける時に「とっぽりと座る」って。でも、この「とっぽり」はちょっと他の例を探せなかったんですけど、私のイメージでは、とっぽりとって、なんかすごく収まりのいい感じで座ったのかなと思ったんですけど。なんか、ネットのブログで書いてる人で、「とっぽりと雪が降った」って書いてる人がいたんですよね。
ネムリ堂 それは、まとまって降ったみたいな、そんな感じなのかしら。
ymst その人のそのブログの中には、「寒さは厳しくない」って書いてあったので、やっぱり「ほとほと」みたいな、同じぐらいの季節の、同じ地方みたいなことかなって思いました。
ネムリ堂 そうなんですね。「とっぽり」については、安房さんの作品で、私も2つだけ見つけた表現があって、「花の家」っていう作品ですと、「どこか例えようもない美しい別の世界にとっぽりとこもっているような」っていう風に使ってますね。
あとは「山への思慕」っていうエッセイで、これは『安房直子コレクション』5巻に収録されてるんですけれども、そのエッセイの中では、「山の緑の中にとっぽりと包まれて」っていう風に使ってます。
だから、とっぷりみたいな感じとちょっとニュアンスが似てる感じで使ってるのかなと思ったんですよね。
ymst なんかちょっと包まれる感がある感じしますよね。
ネムリ堂 包まれてる感じなんでしょうかね。うん、なるほど。そうですね。「ほとほと」について注釈として付け加えますと、
「木の葉の魚」では、着物の椿の花がほとほとと散っている。
「花の家」では、花びらがほとほとと落ちる。
「月へ行くはしご」では、月のしずくが涙の形をしてほとほととこぼれている。
「あるジャム屋の話」では、ここからは「戸を叩いた」になっちゃうんですけど、誰かがほとほと、と小屋の戸を叩いた。
「鳥にさらわれた娘」も、誰かがほとほと、と家の板戸を叩いた。
で、ここからが雪なんですけど、
「海の雪」では雪ばかりがほとほとと降り積もり、
「天の鹿」でも大粒の雪ひらは黒い地面にほとほととふしぎな模様をつくっていく。
「山のタンタラばあさん」でも雪がほとほと降って、みたいに、雪の表現と、あと戸を叩く表現とっていうのが安房さんはよく使われてるみたいですね。以上です。オノマトペについては他に何かありますか。大丈夫でしょうか。
☆「青」という特別な魔法
ネムリ堂 そうしましたら、今度、色彩についても触れさせていただきたいと思います。ここでもyamamomoさんの論考、ほんの一部をご紹介させていただきます。やっぱり安房さん、青がすごく特徴的なので、青についてまとめてくださった箇所なんですけれども、ご紹介します。
【さて、この魔法の小道具「青いハンカチ」である。
ここではハンカチの青に凝縮されているが、安房直子作品における魔法の「青」の幻想的なまでにうつくしい魔法を重ねたイメージは、特筆すべきところであろう。
いうまでもなくあの名作「きつねの窓」では、きつねの子供が拵えた染め物は桔梗の青い色ですべてを染めるもの。指を青の魔法に染め、愛するものに繋がる魔法の窓を開いてくれる。「夢の果て」では魔性の青いアイシャドウでぼうっとうつくしく瞼を染め、その瞼の見せるアイリスの青い花畑の夢、その幻想の青ににじむ風景に導かれ、そのまま夢の果て「向こう側」に魂を吸い込まれてゆく13歳の女の子が描かれる。
「青い糸」ではふうわりした青い糸で憧れに心震わせながらマフラーを編む娘。若者が優しい心で選んだ青い傘が街に広がる「青い花」のように紫陽花の精の女の子の魔法を広げた「青い花」…それぞれの「青」のもつうつくしさの独自性と、印象の深さはそれぞれが甲乙つけがたく素晴らしいもので、挙げてゆけば枚挙にいとまがない。
*** ***
そして、本作品の「青」の独自の色彩、光、その卓越は、そのラストシーンの静謐な美しさに鮮やかに示されている。
大きな真っ白い無垢な雪景色の中、世界に満ちた静寂のハーモニーと温かな心にみたされた小さな小屋が点景のように見えてくる。その中には、耳元にぼうっとけぶるほのかな灯りのように灯った小さな青い花のようなハンカチの、そのぬくもりと世界のその夢のハーモニーに包まれ、しあわせに冬眠を始めたコグマが隠されているのである。】
以上です。本当、この雪景色の点景の中に「コグマが隠されている」っていうのが、なんとも素敵な結びの一文です。yamamomoさん、いっぱい素敵な表現の文章を書いてくださったので、ぜひ通しで、皆さんに読んでいただきたいと思います。
青の魔法について、ここでまとめてくださったように、安房さん、青を、すごく好きな色として、「惹かれる色」というエッセイも書かれてます。青を魔法の色として、特別な色として描かれてるんですね。
青がタイトルに入っている作品としては、「青い糸」「青い花」「青い貝」「ふしぎな青いボタン」、「青」ではありませんが、「空色のゆりいす」などがあります。「だれにも見えないベランダ」も空色ですね。
また、青い魔法については、「鶴の家」の青い皿や「夏の夢」の青いドロップ、「海の口笛」の青いドレス、それから、「火影の夢」の少女や「海の館のひらめ」のしまおの想い人あいは青い服を着ていたりします。また、「海からのおくりもの」の海ばあさんは青いネッカチーフをかぶってます。
それから、「ハンカチの上の花畑」でえみこさんが小人の子どもたちにプレゼントするのは青いお揃いの上着であったり、「鳥にさらわれた娘」のシギの家のテーブルかけや寝台にかけられた布は青い布であったりします。「夏の夢」では、青いドロップの木が登場したりしますね。また、カナちゃんの残したハンカチのぬいとりも青い糸です。
で、あと、「青い人」という表現もありまして、「北風のわすれたハンカチ」の北風は冷たい青い色をしており、青い馬に乗っているんですけれども、「ある雪の夜の話」という作品の中のに登場する星の少年は、髪も目も青く、服もツユクサのように青いという風に安房さんは書いておられます。
☆ハンカチの魔法と、「耳にしまう」ということ
ネムリ堂 それから、ハンカチについてですね。ハンカチの登場する安房作品は、「ハンカチの上の花畑」、「それから黄色いスカーフ」。こちら、どちらも美味しそうな食べものがハンカチやスカーフの上に現れる魔法を描いています。
安房さんは、「著作『北風のわすれたハンカチ』その他について」という、こちら単行本未収録の談話なんですけど、ここでは、自分の作品は、グリム童話集から一番栄養をもらい、影響を受けてる、という言及があるんですが、他にも「ささやかな魔法」というエッセイの中では、グリムの「テーブルよ、ご飯の用意」という話の魅力について言及があります。
このおいしそうな食べ物がハンカチやスカーフの上に現れるという、そういうお話というのは、ノルウェーの昔話で、「北風のテーブルかけ」っていう、まさに北風も、それとテーブルかけのような布地も、布地の上においしいものが現れるというモチーフが共通した作品があるということと、あとグリムの中でも、「テーブルよ、ご飯の用意」という作品からインスパイアされたものではないか、という風に思われます。また、「私の書いた魔法」というエッセイの中でも、「広げた一枚のハンカチの上に、ホットケーキの材料がひとりでに現れるところが、私は魔法だと思っている」っていう風なことも言われてます。
あと、そうですね、耳の中に大事なものを入れるっていうことなんですけれども、安房さんの作品では、「熊の火」でも、熊のおやじさんが耳の中に大事な鍵を入れてたりするんですね。「サンタクロースの星」という作品でも、シロクマの耳の中に、サンタクロースが追いかけている青い星が、すぽっと入っていってしまう、そういうシーンがあります。
gentlefingerさん、安房さんの、耳の中に大事なものが入ってるということについて、ちょっとご紹介していただいてもよろしいですか。
gentle.finger.window 私が思ってるだけのことなんですが、やっぱり安房さんは、ものを書く方なので、きっと言葉、文章ってすごく大切にされたと思うんですね。
で、誰かが発した言葉で、きっとその人の心が入ってる。「言霊」って言うと思うんですが……。「言霊」っていう言葉もあるように、誰かが発した言葉っていうのは、その人の心が入っているもの、とても大切なもので。
他のお話で、大事なものを、こう、耳の中に入れるっていうのと同じように、大事な、人の「言葉」は耳に入るものですよね。音だったり、言葉とか、安房さんは、きっと、言葉にも相手の心が入ってる、言霊だから、お話の中で、耳に大切なものを入れるっていう表現をされるのかな、と。
で、私がすごく好きなんですが、「鳥」というお話の中では、秘密が耳に入ってしまう。それは言葉なんですが、やっぱり、耳に入れる誰かが発した言葉で、それには大切なもの、心がこもっている。安房さんにとってはきっと「言葉」がとても大切で、それをしまうところが「耳」だっていうのが、なんか私にはとてもしっくり行くっていうか。
ネムリ堂 耳が、そういう大切なものをこう受けとめる場所なんですかね。
gentle.finger.window 言葉が入るところ。言葉を大切にする安房さんだからこそ、耳に大切なものをしまうっていうか。
ネムリ堂 なるほど、安房さんならではの表現かもしれないですよね。
gentle.finger.window うん。耳の中に大切なものをしまうっていう、そういう話ってあまり聞かないかな。
ネムリ堂 そうなんですよ。私もそれでちょっと何かないかなって調べて、それをご紹介しようかと思ってたんですけど。うちの夫が言ってたんですけど、孫悟空って耳に如意棒をしまうよね、と。なるほど、耳に如意棒をしまうな、と思ったのと、あと、この間、宮沢賢治を読んでた時に、「月夜のけだもの」っていう作品があるんですけれども、ここには金貨を耳の中にしまう象っていうのが出てくるんですよね。こういう作品も、そうか、あるのか、って思ったりして。
あともう一つ、ノルウェーの昔話で「木のつづれのカーリ」っていう作品があるんですね。それは、青い牡牛の耳の中に、ご馳走を出してくれるテーブルかけをしまうっていうお話なんですよ。これは山室静さんって安房さんの恩師でいらした方が編まれた『新編世界むかし話集 北欧バルト編』に収録されてたものですので、もしかしたら、安房さん、山室静さんの世界のむかし話の講義を聴講されてましたから、そこから思いついた可能性があるんじゃないかな、と。
gentle.finger.window なるほど。熊が青いハンカチを耳に入れるのと同じ感じですね。
ネムリ堂 しかも、青いハンカチならぬ、青い牡牛なんですよね。青い牡牛の耳に、みんなにご馳走を出してくれるテーブルかけをしまうっていうお話で、それって、「北風のわすれたハンカチ」の元になってるお話ではないかな、とちょっと思ったんです。
gentle.finger.window うんうん。なるほど。
ネムリ堂 はい。ですかね。そんなところでしょうか。
☆風について
ネムリ堂 北風。北風についてなんですけど、北風の娘っていうのが「北風のわすれたハンカチ」には登場しますけれども、人物造形は全然違うんだけど、単行本未収録作品で、「山男のたてごと」っていう作品にも北風の娘が登場してくるんですね。
あとは、北風が自転車を借りて疾走、崖上に乗り捨てるお話として、「冬をつれてきた子供」っていう、やっぱりこれも単行本収録作品の作品があります。
安房さん、結構、風について、風を人格化したような作品もいくつか書かれていて、「夢みるトランク」と「すずをならすのはだれ」の、この両方に「春風のむすめ」っていうのが出てきます。
あと、「はるかぜのたいこ」という作品があったりとか、あと、小夜の物語では「風になって」っていう作品があったりとか。
「空色のゆりいす」では風の子が出てきたり、「ひめねずみとガラスのストーブ」では風の子フーが出てきたり。「さんしょっ子」は風に連れていかれるラストだったり、「風のローラースケート」では主人公が風になってしまう。
タイトルに風のつく作品として、「よもぎが原の風」「西風放送局」という作品もありますし、単行本未収録作品では「ぶどうの風」「山にふくかぜあきのかぜ」っていう作品もあります。
あと、冬を擬人化したものとして「初雪のふる日」の雪うさぎも。まあ北風とはちょっと違いますけれども、そういう作品もあります。
☆マレビトの来訪
ネムリ堂 「北風のわすれたハンカチ」っていうのは、民俗学的に言うとマレビトの来訪という物語の形式かなと思ったりいたしました。何かが訪れて恵みをもたらすという構造を持ってるなという風に思いました。
で、他にそんな作品ないかなと思って著作目録見ていたんですけれども、次回とりあげます「ひぐれのお客」も、やはり何かが訪れて恵みをもたらされるっていう作品ではあるかな、と思いました。
あとは、「鶴の家」「あるジャム屋の話」「ききょうの娘」「空色のゆりいす」「夕日の国」「雪窓」「遠い野ばらの村」「青い花」こういう「異界」から来た者であるマレビトが来訪して、それで何かこう、物語が展開していくっていうお話も、安房さん随分たくさん書いてるなという風に思いました。
このあと、お話のテーマは2つほどありまして、まず、熊について、主人公や登場人物が熊の作品っていうのも安房さんにいっぱいあるということと、あと、じゃあそのお話に出てくる熊、「童話的な熊」というものが、日本ではどんなふうに受容されてきたのかなっていうのもちょっと気になって調べてみましたので、そこまでお話しして、今回はおしまいにしたいと思います。
☆熊とストーブについて
ネムリ堂 熊なんですけれども、熊が主人公なのは「北風のわすれたハンカチ」。それから「あめのひのトランペット」。これは、元は「くまのの楽器店」っていう連作のなかの「ふしぎなトランペット」を書き直して、絵本にしたのが「あめのひのトランペット」なんですね。
あと「はるかぜのたいこ」。これは「さむがりうさぎのすてきなたいこ」という作品がありまして、それを絵本として書き直したものです。ここにも楽器屋さんとしてふしぎやという熊が出てきます。あと「月夜のハーモニカ」「野原のカスタネット」も、ふしぎやという屋号の熊さんの話ですね。
それから単行本未収録作品として「しゃっくりがとまらない」「くまのストーブ」「マントをきたくまのこ」という作品があります。
それから主人公ではないんだけれども熊が出てくる作品として「熊の火」「冬吉と熊のものがたり」。これらも熊が重要な登場人物として出てきます。
あと脇役として熊が出てくる作品としては、「長い灰色のスカート」「ふしぎな青いボタン」「サンタクロースの星」「すずをならすのはだれ」があります。
あと熊が出てくる作品を見ていてちょっと気になったこととして、どうもストーブと熊が関連してくる作品がいくつかあるなということです。
「北風のわすれたハンカチ」は月の輪熊の家に立派な薪ストーブがあるんですけれども、その他に「くまのストーブ」っていう、熊が冬に備えてストーブを買いに行く話があります。それから、「冬のしたく」というやはり単行本収録作品では、熊自身がストーブ屋として登場してきます。
また、先ほどお話しした「ひめねずみとガラスのストーブで」も、風の子フーが熊のストーブ屋から美しいガラスのストーブを買います。熊については大体このぐらいになります。
☆「童話的な熊」の受容
ネムリ堂 じゃあそういう「童話的な熊」っていうのが、日本ではどのように受容されてきたのかっていうのを、ちょっと考えてみたんですけれども、まず、熊の出てくる物語っていうのは、何があるのかなって見た時に、古くは、イソップの「旅人と熊」っていうのと、グリムでは「熊の皮」っていうお話があるんですが、これは両方とも怖い熊なわけですよね。
で、時代が下って、「三びきのくま」っていうお話があって、この「三びきのくま」っていうのは、1837年、イギリスのロバート・サウジっていう人が散文化し、それを後にロシアのトルストイが翻案しました。もともとはイギリスの民話です。この邦訳は1961年、瀬田貞二さんが福音館「こどものとも」に訳してます。
あと、ロシア民話では、「マーシャとくま」というお話がありまして、これはブラトフという人が1962年に民話を再話した絵本が出版されたのですね。こちらの邦訳は1963年、内田莉莎子さんが訳されてます。
ちょうど1960年代に「三びきのくま」「マーシャとくま」、両方日本の子どもたちのために邦訳をされているのですね。
では、あの有名な「クマのプーさん」は、じゃあ、いつの発表なのかと言いますと、ミルンが発表したのが1926年で、日本で翻訳されたのが1940年。岩波書店で石井桃子さんが訳されてます。それが、ディズニーでアニメ化したのは、1960年代。
やっぱり、1960年代に、「クマのプーさん」がアニメ化されていたり、「マーシャとくま」や、「三びきのくま」が日本でも絵本として紹介されたっていうことがわかりました。
そして、「あめふりくまのこ」っていうかわいらしい童謡があるかと思うんですが、こちらは、1961年に鶴見正夫さんが作詞され、1962年、NHKの「うたのえほん」という番組で放送されました。この「うたのえほん」っていうのは、「おかあさんといっしょ」の前身だそうです。
クマのプーさんはテディベアなわけですけど、テディベアは、じゃあどんな歴史があるのかなって調べましたところ、大体1902年から1903年ぐらいに、ルーズベルトの逸話からアイデアル社製造のぬいぐるみ、テディというのがあって、それと同時期にシュタイフがくまのぬいぐるみを作ってます。そして、1904年に万国博覧会でシュタイフのテディベアがグランプリ受賞して、その頃ぐらいからだんだんテディベアっていうのが出てくるわけですね。それで、クマのプーさんが1926年ぐらいに書かれると。
「北風のわすれたハンカチ」の発表は1967年ですので、大体こういう流れの中で出てきた作品だということがわかります。
ちょうど同時期に「くまの子ウーフ」という神沢利子さんの幼年童話が書かれているのですけど、これは「北風のわすれたハンカチ」よりもあと、1969年にポプラ社で刊行されてますね。で、この作品、ウィキペディアにちょっと面白いことが書いてあって、動物を擬人化したというのではなく、人間の子供を「擬獣化」した作品だっていう、そういう指摘があるようです。
今、日本で出版されてる絵本で、かわいらしいくまが色々出てきたのは、こういったような流れの中からきている、ということがわかりました。
ちなみに、「くまのミーシャ」ってモスクワオリンピックのマスコットキャラクターなんですけど、モスクワオリンピックは1980年ですので、もうちょっと後になります。ロシアの民話に登場する擬人化された熊はみんなミーシャと呼ばれてるらしいんですけれども、このモスクワオリンピックのマスコットキャラクターの「小さくて可愛らしいこぐま」というデザインは、ロシアの「大きくて残忍なロシアの熊」というイメージに対抗するためだったそうです。
以上です。他に何かお話されたい方いらっしゃいましたら、どうぞご発言お願いいたします。いかがでしょうか。
じゃあ、長くなりましたので、今日はこの辺で失礼させていただきます。今日は聞いてくださってありがとうございました。
次回は、同じくランキング8位「ひぐれのお客」です。
「ひぐれのお客」の収録されている主な単行本は、
偕成社文庫『遠い野ばらの村』、
ちくま文庫『遠い野ばらの村』、
岩崎書店『つきよに』、
福音館書店『ひぐれのお客』、
になります。
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。
(2025・4・25)