安房直子的世界

童話作家、安房直子さんをめぐるエッセイを書いていきます。

童話作家 安房直子さんについておしゃべり(3)「ハンカチの上の花畑」

(3)「ハンカチの上の花畑」

 

発言者・ネムリ堂

・gentle finger window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・ymst

・藤井実幸

・Planethand

・秋元紀子

 

ネムリ堂 こんにちは。第三回目の今日は「ハンカチの上の花畑」をとりあげようと思っています。こちらは、安房直子作品ランキングで第三位になった作品です。これは、一九七三年あかね書房で刊行、安房さんが二十九歳のとき、書下ろしで刊行されました。絵は、岩淵慶造さんです。こちらのご本は、全国学図書館協議会選定の必読図書として、そういうマークが貼ってありまして、よく図書館などには置いてあるご本です。今読めるテクストとしましては、

あかね書房岩淵慶造さん・絵)

講談社文庫(司修さん・絵)→kindle版あり

偕成社安房直子コレクション』四巻

に収録されています。

 「ハンカチの上の花畑」についてなんですが、安房直子さんは「『ハンカチの上の花畑』のこと」というエッセイを書かれています。こちらは一九八五年二月、『子どもと読書』という雑誌に掲載されました。そのなかで、「ハンカチの上の花畑」は、はじめての書下ろしの仕事であるということ、これまで二十枚程度の短編しか書いたことが無かったところに百二十枚の長編を任されたということ、そして、当時、ヨーグルトやパン作りに熱中していて、この小さな菌たちを擬人化したら小人になるのでは?と思ったと、書いておられます。

で、あかね書房の当時の編集長は、童話作家山下明生さんでして、山下明生さんと打ち合わせをしながらこの作品を作られたそうです。小人の国へ行った主人公が、戻ってくるのがよいか、そのまま行ったきりにするのか、さんざん迷ったとのことです。安房さんの作品は、「戻ってこない」作品が大変多いのですけれども、これは、「戻ってくる」作品なんですね。児童文学者の瀬田貞二さんが、子どもの喜ぶお話には「行って帰る」お話という、構造上のパターンがある、というようなことをおっしゃっています。それを「行きて帰りし物語」と名付けています。この「行きて帰りし物語」というのは、トールキンの『ホビットの冒険』の中で、ビルボが自らの冒険を書き綴った本の題名からきています。英語では、『The Hobbit,or there and Back Again』という題名ですね。こちらを「行きて帰りし物語」と瀬田さんは訳されているのですね。で、そのような「行きて帰りし物語」の中に、「ハンカチの上の花畑」も入っているのでは、と思います。簡単にご紹介させていただきました。

では、今回、「ハンカチの上の花畑」をとりあげるにあたって、以前『安房直子評論』という安房直子さんについての評論集をネムリ堂から出させていただいたのですが、そちらで、藤井実幸さんにも、文章を書いていただきました。藤井さん、お願いいたします。

 

藤井実幸 こんばんは。藤井実幸です。以前『安房直子評論』に載せていただいたものは、個人的に友人宛に書いたもので、皆さまに読んでいただく前提で書いたものではないので、その点はご了承くださいね。

 

ネムリ堂 いえいえ、そんな。読み応えがありました。

 

藤井実幸 今回のお話をいただいて、「ハンカチの上の花畑」の再読もしてみました。私は関西人なので(笑)、これいったいどれくらいの金額なんだろうとお金のことが気になって、『戦後値段史年表』(週刊朝日 編 朝日文庫)を紐解いて、お酒の値段とかを、ちょっと、調べてみたんですね。

 下世話な話をして申し訳ないのですけれど、月桂冠の一升瓶が、二千百円くらいなんですよ。

 

ネムリ堂 一九七三年当時ということですか?

 

藤井実幸 今現在です。この「ハンカチの上の花畑」て安房直子さんの作品にしては珍しく、舞台の、作中の年代が判るんですね。終戦から二十年ほどというのが書かれているので、珍しいお話だな、と思ったんですよ。ほかの作品だと、出て来るキーワードとか、道具とかで、だいたいの大雑把な年代はわかるのですけれど、すごく確定された年代なんですね。

安房先生自身が日常で目にされている風景の中で紡がれたのかな、と思ったのです。「きつねの窓」ですと、山の中とは思いますけど、実際に一般の人は猟師の行くような山の中までは入らないし、どうしても想像の中でしか語れないですけど、この「ハンカチの上の花畑」だと、安房先生がリアルに生活されていた町の中……

 

ネムリ堂 市電が通っていたり……

 

藤井実幸 町の風景がちゃんと……ビルがあって、その中で潰れかけた酒屋の倉庫があって、とか、すごいリアルだなと思ったんですよ、描写が。そこでお酒の値段というのがすごい気になっちゃって。(笑) 調べたら、料理屋さんが買い取るのが、ひと瓶五千円なんですね。当時、昭和四十五年で、一升瓶のお値段が、上等、中等、並、とあるのですけれど上級の一升瓶が一本、千二百円くらいなんですよ。

 

ネムリ堂 えっ! そんなに安いのですか……!

 

藤井実幸 それを、一本五千円で売っているから、今の値段に換算したら、たぶん一万円くらいで。一升瓶一万円くらいで売っているのですよ。ちょっと、すごい欲を出しているな、と思って。で、あのご夫婦が住んでいるのって、アパートの一間じゃないですか。そこで別に贅沢がしたいなんていう風でもなくふたりは暮らしていたのに、だんだん高額な……一日一本渡したら、一万円来る、働かなくても一万円が来る。月に換算したら、三十万、来るわけじゃないですか。

 

ネムリ堂 ほんとですね。三十万……。すごいな。

 

藤井実幸 結構な額で。それで、えみ子さんが欲深くなっていくのが、私は、リアルだなと思っていて、このお話がとても怖いんですね。出て来る人物が他の作品に比べて、より人間ぽいというか、リアルな人間に近い。欲望が大きくなっていって、最初は小人と仲良くしたいとか、小人に自分を見てほしい、とかだったのに、だんだん、だんだん、話がずれていって、お金儲けの話になっていって、小人のことを最後には「私たちのモノになったのね」みたいな言い方をしているので、それがすっごい怖くて。安房さんの作品の中では、逆に、異質な話だなと、捉えていて。

 

ネムリ堂 そうですね。そんな風に欲望がむき出しになっている話は、ほかの話にはあまり無いですね。

 

藤井実幸 ほかの登場人物って、割とおだやかな……

 

ネムリ堂 むしろ欲がなくて……

 

藤井実幸 えみ子さんももともとは穏やかな、そんなにお金持ちになりたい、とか、いう感じの人じゃなかったと思うんですよ。気のいい……お酒を友達とか知り合いに分けて。ただ、お金がそこに入ってきたことで、どんどんどんどん、こう、変わっていくなあっていう。

 あと、おばあさんが言う「悪いことが起こる」っていうのも、いったん大きな形でお金を手に入れる、楽をして手に入れたことを覚えた人が、元の世界に戻っても、しあわせになれるかな、と思ったら、まあ、たぶん、だめだろう、っていう。ご夫婦仲も、この先うまくいくかなって、私は考えてしまうんですね。

 

ネムリ堂 心配になっちゃいますね、せっかく戻ってきてもそのあとどうなるのかなって。

 

藤井実幸 「小人がいなくなったこと」「お酒を売れなくなったこと」で、すごい不満をためてしまうんじゃないかなと思って、これが「不幸」な話なんじゃないかな、と思って。おばあさんの言う、「悪いことが起こるよ」っていうアレかな、っていう風に読みました。他の皆さんがどういう風に読まれたのかな、っていうのは、気になっています。

 

ネムリ堂 そうですね、ありがとうございました。すごく面白いです。お金の話ですよね。

 

藤井実幸 すみません……関西人で(笑)

 

ネムリ堂 私も、漠然と五千円って言っていたけど、それが、こんなに高額なお酒だとまでは思っていなかったので。びっくりしました。そうですか……。

 gentle finger windowさん、小学校の時、お読みになったと聞いていたんですけれども、いかがでした。

 

gentle finger window 私にとっての初めての安房さんの作品がこの「ハンカチの上の花畑」でした。確か、小学校の推薦図書にあがっていて、たまたま図書館で借りて。それまで、平和な、というか、普通の童話しか読んだことが無かったからかもしれないですけれど、最初から最後までドキドキはらはらするような作品ははじめてだった、というのもあって、もう一気に安房さんの物語にのめり込んで行ったのですね。

 

ネムリ堂 じゃあ、きっかけだったのですね、安房さんにはまる。

 

gentle finger window なんかこう、最初の出だしのところから、潰れてしまったはずの酒屋の古い酒倉に郵便を届けに行って、なんか、おばあさんが暗い酒倉からでてくる……そこから、わ、不気味、怖い、っていう。そこからあやしげな酒の壺、渡されて、破っちゃいけないよ、と言われたのに、約束を破って、お嫁さんに菊酒のつくり方話して、お金儲けして。いなくなったと思っていたきく屋さんが戻ってきて、逃げなきゃ!ってそこから、どんどんどんどん、自分も良夫さんえみ子さん夫婦になったように、物語にのめりこんでいく……。自分も逃げなきゃ、みたいな感じでなんか、ものすごく物語の世界に入り込める、安房さんの作品てそういうの多いと思うのですが、その中でもとくに、ドキドキ感を味わえる、スリルを味わえる物語な気がしますね。そこが、この「ハンカチの上の花畑」の魅力な気がします。

 

ネムリ堂 そうですね。一緒にドキドキしながらね……。

 なんかですね、安房直子さんに関する評論を書かれたかたがいらっしゃるのですけれど、はじめに、郵便物がきっかけって、先ほどgentle finger windowさん、おっしゃったじゃないですか。その「郵便物」が、二通ある、っていうふうに言ってるかたがいらしたんですよ。ひとつは、良夫さんが配達した郵便物、もうひとつがダイレクトメールとして、家の広告が舞い込んでくる。そのふたつがきっかけとなって、物語が進んでいくっていうような書き方をしたかたがおられて。矢野一恵さんていうかたで、『目白兒童文学』三十・三十一号(一九九四年発行)「安房直子特集」のときに掲載されていたものなんですが。「ハンカチの上の花畑」における二つの手紙、というかたちで論を進めていらっしゃいました。

 

gentle finger window 最初はそこまで考えなかったですが、どこから話ははじまっているんだろう……

 

ネムリ堂 どこから、異世界に入っているんだろう、っていうことですよね。

 

gentle finger window 郵便を届ける、っていうのが、そこがもう仕組まれているのか、良夫さんが狙われたっていうか。郵便を届けるところから、良夫さんはもうすでに引き込まれていっているのか、なんか、どこからこれははじまっているのかな、ひきずりこまれたんだろうって、そこもまた怖いっていうか、ドキドキするところですね。しかも家の広告、ちょうどいいタイミングで入ってくる、それもやっぱり仕組まれたものなのか。すべてがドキドキはらはら進んでいくうちに、読者もいっしょになって入っていく。私が子どもの頃読んで怖かったのは、あ、逃げなきゃ、と思って逃げた、ぽん、と出たところにおばあさんが、「いらっしゃいませ」って出てくる……

 

ネムリ堂 静かな顔してね。なんにもなかったみたいにね。

 

gentle finger window そこがすっごく怖くって。子どもの時、怖ーい、このお話、って思ったのをおぼえてます。

 

ネムリ堂 でも、それでとりこになってしまったと。

 

gentle finger window そうですね。はらはらしながら読むようになりましたね、安房さんを。

 

ネムリ堂 なんかね、信号の使い方も、作品の中で書かれている気がして。良夫さんが酒壺を預かって帰る時に、信号が、青信号になって、渡っていくんですよね。で、最後、ラストシーン、市電が走るじゃないですか、おばあさんと顔をあわせて店を出ると、たしか、信号があったと思うんですよ……。

 

gentle finger window 確認しました。一番最後の文章ですね。「信号が黄色から赤に変わって、市電がゴオッと走っていきました。」

 

ネムリ堂 そうそう。だから、「赤に変わる」っていう風になったのは最後のシーンなんですよね。で、最初のシーンでは「青信号」なんですよ。それが、どんな風に安房さんは考えてそれを配置したのかな、と思って。

 

gentle finger window ほんとですね。今言われてそこははじめて、着目しました。

 

ネムリ堂 私もそれ以上何も考えてないんだけれど。(笑)

 

gentle finger window でも、面白いですね。最初は青なんですね。

 

ネムリ堂 そうそう。だから、藤井さんがおっしゃられたみたいに、もう、元の世界には戻れないふたりってことなのかな、というのもちょっと、感じさせられるような気もして。

 

gentle finger window 黄色から赤に変わって止まっているふたりの前を市電が走っていったのは、過ぎて行ったってことなんですかね、異世界、魔物の世界が。

 

ネムリ堂 「異世界」が、目の前を走って行った……そういうイメージなんですかね。なんか、目隠しされるような感じですよね、市電が走っていくっていうのは。そのあとの風景は無しで話は終わっているわけで。

 「電車」も。「電車」で出かけますよね、郊外の新しく買った家には。そして、「市電」も、最後に、市電がゴオッと走っていきました、で終わる。「電車」と「市電」も、どんなふうに使っているのかな……。

 

gentle finger window ほんとですね。なんか、いろんなそういう秘密じゃないですけど、あるんでしょうね。いままたゾオッと、怖いなって。

 

ネムリ堂 アロマアクセサリーさんが、安房作品における「ハンカチ」について、この間お話されていたんですけれど、ちょっと、お話していただいてよろしいですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida こんにちは。よろしくおねがいします。ハンカチについて、ですか……。

 

ネムリ堂 なんか、生々しい描写がない、っていう風におっしゃっていませんでした? 汗をぬぐうとか、手をふくとか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうなんです。ハンカチというのは、本来の目的は、濡れた手を拭くですとか、汗を拭くですとか、そういったことに使われるものだと思うんですね、日常的な道具ではないですけれども、そういったものとして。ただ、安房さんのお話の中では、魔法を使うような道具ですとか、そのハンカチの上の中に異世界のようなものがあったりですとか、そういった本来の人間が使っているものとは違うような道具として描かれているなあというのがちょっと不思議でした。

 

ネムリ堂 私もどの作品だか忘れちゃったんですけど、汗をぬぐうのはハンカチじゃなくて「手ぬぐい」で、なんか、安房さん書かれていたんですよね。ハンカチはそうじゃなくて、むしろ、「つつむ」という動作の特別感といいますか、例えば「秋の音」(一九八一)で、三つの小さな楽器を大事に白いハンカチでつつむ、とか、「サンタクロースの星」(一九八〇)では、カギをあけることのできる青い星をサンタクロースはハンカチにつつんでポケットに隠したりしているんですね。あるいは、いちばん有名な「北風のわすれたハンカチ」では、ハンカチの上に食物が現れる魔法を書かれている、という。そんな風にハンカチが、汗をぬぐったり、手を拭いたり、とかそういうものじゃなくて、書かれているな、っていうのがありますね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ハンカチを使って、魔法的なことが行われたり、手品師がなにかものを出すのに使われたりですとか、それは、ちょっと不思議に思いました。

 

ネムリ堂 ハンカチは、「マジック」からの発想で、こういうものが現れるみたいな、そういうイメージもあるんでしょうかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい、手品、ですよね。

 

ネムリ堂 なるほど。もしかして、安房さん、小花模様のハンカチをお持ちで、それが、発想の元になったんじゃないかな、って想像したりもしてたんですけど。ハンカチが、小菊の花とは言わないまでも、小花の模様のレースの縁取りのハンカチとかお持ちだったんじゃないかなって、想像してて。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですよね。ハンカチにレースの縁取りをしたりですとか、刺繍をしたりですとか、ありますけど、ハンカチ自体にそうした花柄の模様とか、小花模様のもの、お持ちだったのかもしれませんよね。ひろげるとお花畑に見えますよね。

 

ネムリ堂 もしかしたら、そんなこともちょっと、思いました。でもね、ハンカチだけで、私、アロマアクセサリーさんがハンカチについて気にされていたから、調べてみたんですけど、「白樺のテーブル」では、緑の娘がハンカチでテーブルを拭いていたりするんですね。「海の口笛」では、かけはぎ屋の娘が、ルーペを絹のハンカチでピカピカに磨くっていうのがありました。「だんまりうさぎはおおいそがし」では、おしゃべりうさぎがたんぽぽの刺繍のハンカチで、窓ガラスのガラス拭きの仕上げをするっていうのもありました。なので、そういう風なハンカチの使い方も一応ある、みたいではありました。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ありがとうございます。なにか、ものを拭くことはあっても、肌に触れて拭くということはないんですかね。

 

ネムリ堂 生々しい感じのはなかったですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そこはちょっと不思議な感じはしました。皆さんはいかがでしょうか。

 

ネムリ堂 ymstさん、いかがでしょうか。ハンカチについて。

 

ymst 私は、このお話の中のハンカチって、青いハートのついたハンカチですよね、それ、ぜんぜん頭に入ってなくて、あとで、ここに出て来るんだっていうのが、ほんとに後々になってわかって、何回も読んでいるのに、このお話って、見落としがあるっていうか、読むたびに、あれ、こんなところあったかな、て、、すごく感じるんですよね。

 

ネムリ堂 そういうこと、ありますよね。後から話がつながってくるみたいなね。あ、この泉は、あのハートだったのか、とか。

 

ymst ハート形っていうのが、洋風で、なんか、すごくまた異質な感じがして。このお話のなかの古い酒倉とのミスマッチ感というか。

 

ネムリ堂 ハート形については、アロマアクセサリーさんが、ハートはこんな意味があるんじゃないか、なんておっしゃっていましたね。いかがですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ハートはやはり、心の形の象徴で、そこから、元の世界か、ほんとの世界とパラレルなのかわからないのですけれど、いったんは戻ることができたってことは、登場人物たちの心の窓?なんていったらいいのですかね……

 

ネムリ堂 「ゲート」っておっしゃってませんでした?

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうです、「門」です。心の中から元の世界というのですか、現実世界、リアルとファンタジーの世界を行き来する、戻るだけかもしれないのですが、そういうゲートを象徴しているのかなと、私は思いました。

 

ネムリ堂 それもなんか、面白いなあと思ってお話伺いました。ありがとうございます。

 このお話、小人が出てくるっていうのも、大きな特徴だと思うのですけれども、安房さん、小人のお話もいくつか書かれてまして、そのご紹介をいたしましょうか。安房作品における小人は以下のものになります。

・「まほうをかけられた舌」味の小人 (一九七〇)

・「ハンカチの上の花畑」菊酒の小人 (一九七三)

・「火影の夢」火影の中の小人の娘 (一九七五)

・「南の島の魔法の話」ピアリピアリ (一九七八)

※「ピアリ」とは、ペルシャ神話で「善なる妖精」の意

・「みどりのはしご」モチノキのこびと (一九七九) 

・「なのはなのポケット」単行本未収録作品。八人の小人に春のセーターをつくるお話。(一九八一)

「風になって」火の精の小人 (一九九一)

 

小人の登場する同時代のファンタジーとして、いぬいとみこさん『木かげの家の小人たち』というお話がありますが、これは「ハンカチの上の花畑」より十年以上さきがけていて、一九五九年発表です。また、佐藤さとるさん『だれも知らない小さな国』シリーズも、これも一九五九年発表で、いぬいさんの作品と同年なんですね。そういった小人たちのお話がまずあって、それから、安房さんの「ハンカチの上の花畑」が登場してくるわけですね。

小人について、ymstさん、北海道にお住まいで、小人のお話が北海道には伝わっているということですが、教えていただいてよろしいでしょうか。

 

ymst 北海道の小人って、コロポックルというのが有名かなと思うのですけれど……

 

ネムリ堂 佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』もコロボックルがでてきますよね。

 

ymst 「コロボックル」と「コロポックル」っていうのは同じらしくって、アイヌ語は「ポ」と「ボ」が同じような発音をするのですって。

 

ネムリ堂 「蕗の葉っぱの下の人」という意味でしたっけ。

 

ymst そうです。ふつうの蕗だと、お皿くらいの大きさか、もうちょっと大きいくらいかなって思うのだけど、北海道の十勝の方に行くと、ラワン蕗っていう、とてつもなく大きい蕗があって、それはほんとに、大人の人間が傘に入れるくらい大きい、ほんとに中で雨宿りできるくらい大きいのです。でね、その下にいるコロポックルと呼ばれる人だとしたら、普通の小柄なアイヌの人を書いたのじゃないか、と、そこからファンタジーのお話が生まれてきたのじゃないかと。

 

ネムリ堂 先住民を、「妖精」とか「小人」とかの話として、伝承の中に残すっていうことは、世界各国、どこでもあることですよね。そういう風にアイヌの人を表現しているかもしれない、ということなんでしょうかね。

 

ymst 普段の生活スタイルとか、そういうことを伝承するようなところがあるのかな。

 もうひとつ、北海道の小人に「ニングル」というのがいるのですけれど、これも、アイヌの小人と言われているのですが、これは富良野地方……、富良野はご存知ですよね、皆さんきっと。

 

ネムリ堂 ラベンダーが有名でしたか。

 

ymst そうですね。『北の国から』の舞台になったところで、北海道のど真ん中なところなんですけれども、そこの森の中限定のアイヌの小人らしいのです。

 

ネムリ堂 富良野限定の小人なんですか。

 

ymst 限定というか、富良野の民話の中に登場するとされているのだけど、その民話自体を伝える資料が明らかになってないらしくて。脚本家の倉本聰さんが『ニングル』(一九八五)、『ニングルの森』(二〇〇二)っていうお話を書かれて、『ニングル』っていう舞台やオペラも上演されたと思います。それもたぶん、富良野が舞台なのかな。

 「コロポックル」とか「ニングル」っていうのは、自給自足で生活をなんとかしていってっていう小人たちですよね。あと、たとえば、安房さんてグリムのお話好きだったとおっしゃってましたよね、外国のグリムなどのお話だと、例えば「小人のくつや」とか……

 

ネムリ堂 ああ、「小人のくつや」。眠っているうちに、小人がくつを作ってくれるお話でしたっけね。

 

ymst あと、「白雪姫」の小人が「小人」って言っていいか、わからないけれど。鉱山で銅を掘ったりする人たちですよね。小人って、「職人」てイメージがありませんか。

 

ネムリ堂 そうですね、銅細工を作ったりとか、ドワーフとかね。

(※後注・「ドワーフ」→高度な鍛冶や工芸技能をもつとされている)

 

ymst ネットで読んだあるコラムで、グリムの中の職人の小人とかが、仕事のお礼に小さい服や、靴をプレゼントされると、飛び跳ね踊ったりしながら、出て行ってしまう、という……。

(※後注・KHM39「ヴィヒテルの小人たち」。東洋大学教授、大野寿子氏のコラム「小人は妖精か?—グリム童話を考える③—」に言及あり。

http://id.nii.ac.jp/1060/00010970/

 

ネムリ堂 ああ!! そういうお話があるんですね。なんか、私も、『妖精の国の住人』(キャサリン・ブリッグス 著 研究社)という妖精の民話集があって、そこに入っていたような気がします。(※後注・第二部守護妖精「親切なピクシー」に言及あり)

 

ymst そこから「解放」される、というような気持になっちゃうのかな……。そういう……。それで行っちゃったのかな、なんて。

 

ネムリ堂 なるほど、そうですね。「ハンカチの上の花畑」では、プレゼントが増えるに従って、で、最後のバイオリンの音楽が引き金でしたよね。

 

ymst 飛び跳ね、踊ったりしながら、出て行ってしまう、なんかそういう、踊ったり歌ったりが好きな、本来、小人たちは好きなのかななんて。童謡にも「森の木陰でドンジャラホイ」ってありますよね。

 

ネムリ堂 あれも踊っている歌ですかね。「ドンジャラホイ」って踊っているのかな。

 

ymst それで、いなくなっっちゃったのかなって思ったの。

 

ネムリ堂 私もプレゼントの話で今、思い出したのですけど、良夫さんたちが現実へ戻るきっかけとなったのは、小人からのプレゼントの草で編んだ靴なんですよね。で、小人たちの消える原因はえみ子さんたちの小人へのプレゼントで、フェルトの靴であったり、バイオリンであったり、ていう。お互いのプレゼントがそれぞれを解放するきっかけになっているなっていうのを、今、お話聞いてて、思いました。

 

ymst さっきのお話の中で、安房さんが小さな菌たちを擬人化したら、小人になるんじゃないかと思って書いたっていう。小人というよりは、この人たちは酵母だったんじゃないかと思ったんですよね。

 

ネムリ堂 「酵母」と思って、安房さん書かれていると思いますよ。このお話自体は。

 

ymst 小人たちはほんとに酵母だから、最後に良夫さんたちが、結局お酒造りをやらなくちゃいけなくなるわけではない、っていうのが、説明はつくっていうか。良夫さんたちは人間だから、「お酒造り」にはならない……

 

ネムリ堂 酵母じゃないから……(笑)

 

ymst 結局はならないんじゃないかな、と思ったんですよね。

 

ネムリ堂 むしろ、違う菌だったりしてね。ハンカチの上ではね。

 

ymst ちょっとよくわからないけれど、あのトンネルをくぐって……。ガリバートンネルですよね。

 

ネムリ堂 ドラえもんの。(笑)

 

ymst ドラえもんのはただ小さくなるだけで世界はそのままだけど、「ハンカチの上の花畑」の方のトンネルは、入ると、菌の世界に行っちゃうのかしら。

 

ネムリ堂 どうなんですかね。電車に乗っていくと、知らないうちにその世界にとりこまれていたっていう、どこからが現実で、どこからが異世界でっていうのがわからない、っていうところが怖いって先ほど、gentle finger windowさんおっしゃっていたと思うのですけれど、そこをはっきり書かないのも安房さんのテクニックかなあと思って読みました。

 

ymst 霧がかかってきちゃったりしているのも、なんか「発酵」しているのじゃないかなって。

 

ネムリ堂 なるほど。煙が出ていたり……(笑) そういうイメージかもしれないですね。菌の生態に詳しいかたがいらしたら、また違う読み方ができるかもしれない。

 安房さん、小人についてのエッセイも書かれていて、

・「小人との出会い――針箱の中の小人」(一九九一)

・「小人と私」(一九八六)

というエッセイ二つを書かれているのですね。

(※後注・『安房直子コレクション』四巻収録)

「針箱の中の小人」というエッセイの中では、古い針箱の中にはたいてい小人が住んでいて、その針箱はいくつもひきだしのついた木の針箱で、もし真夜中に針箱の中のひきだしの隙間から青い光がこぼれてきたら、確かに小人のいるしるしなんです、みたいに、そういうかわいらしいエッセイ書かれている。で、これ、作品では、ねずみの話になっているんですかね。「小さい金の針」(一九七六)っていうお話があったと思うのですけれども。

「小人と私」というエッセイの方は、小さい頃、木のラジオがあって、その中に小さい人達が住んでいて、歌ったりしゃべったり、劇をすると信じていた、と。で、ヨーグルトやパンの中の人を考えるようになったのは、結婚して料理をするようになってからです、と。酒の発酵というのが不思議で、そこから「ハンカチの上の花畑」が生まれましたっていう、そういうエッセイも書かれています。

菊酒の「菊」っていうのも、なにか面白いキーワードかなあと思ったのですけれども、アロマアクセサリーさん、菊について、ちょっとご紹介いただいてもよろしいでしょうか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 菊についてですよね。菊は、皆さんもご存知だと思いますが、重陽節句という秋の節句で、昔から、不老長寿ですとか、健康にいいということで、菊酒が飲まれたり、着せ綿—菊の朝露を吸わせた綿で身体をぬぐうという風習がありました。それは、平安時代、『枕草子』ですとか、『紫式部日記』にも、描かれてます。実際にもしそれを見たい場合には、私は湯島天神で、そのような催しがあったときに、行きました。今年も秋に行くとご覧になれますし、菊の花びらを浮かべた菊酒をいただくことができます。

菊酒のつくり方につきましては、『荊楚歳時記(けいそさいじき)』という、中国の六朝時代、『三国志』のちょっと後の時代になるのですが、その時代の揚子江中流域の風習を記録している本があるのですが、その本に大変詳しく載っています。日本にも中国のそういった文物、伝わってきていますので、そういったものが風習として伝わってきまして、平安時代にも、そのような風習として、菊の効能ですとか、非常に珍重されていたのではと思います。やはり、菊酒を飲むと、登場人物の人たち、元気になってましたよね。

(※後注・「菊」についての古典からの説明は、以下の著作から引用。『aromatopia 第90号』 フレグランスジャーナル社 二〇〇八 「aroma romantique 香りの文芸散策 21 秋宵の賞玩―情の籠る菊花の香り―」アイダミホコ執筆の記事より)

 

ネムリ堂 そうですね。すごく元気の出る美味しいお酒ってことで。先ほどおっしゃられていた、中国の古い文献での菊酒のつくり方っていうのは、どういうふうな作り方なんですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 菊の花を使うんですが、花だけではなくて、他の生薬になるような、クコの実ですとかを、一緒に醸すんですよね。

 

ネムリ堂 醸すんですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。歳時記にはそのように書いてありますね。

 

ネムリ堂 私は普通の、昭和のクッキング・ブック(『カラークッキング8 お菓子と飲みもの』主婦と生活社 一九六九年刊行)で読んだのですけれど、「菊酒のつくり方」っていうのが載っていて、それだともっと簡単なやつで、食用菊をよく洗って、一輪まるごと日本酒に入れて、一晩漬けこんで楽しむという。その際は菊の香りをたのしむために、香りの控えめな日本酒を使うとよいのかもしれません。これは、日本で独自に開発された菊酒のつくり方かもしれないですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。湯島天神でいただいたのはほんとに、日本酒に菊の花びらを浮かべてあったものです。文献だと、やはり、黍や、お米を交えて醸すと書いてありますね。昔のお酒はそうやって、にごり酒だったっていうか、醸してたんじゃないかと思うんですよ。

 

ネムリ堂 ああ、そうですか。そうなんですね。でも、安房さんの菊酒って結構本当に、ご自分のオリジナルなものみたいで、私、「梅酒」「かりん酒」を想像しながら、「菊酒」を考えていて、小学校の時、読んでいたんですけれども。すごい甘い香りのする、甘いお酒のようなイメージがあって。なんで、恐らく現実の菊酒とは違うのかな――って思ったりとか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 私も読んで、なんか透明感のある、清らかな香りのよいお酒だと思いました。本格的に醸造するのはたぶん、法律上、まずいのかもしれないですし。

(※後注・法律の規定により、製造免許のないものは酒類を製造できない。梅酒など果実酒は、自家消費用にかぎり、例外として許可されているが、ぶどうや穀類を使ってはいけないなどの細かい規定あり。)

 

ネムリ堂 業者の方でないとだめなんですよね、お酒はね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ハーブ酒なんかも、いっとき、結構いろいろ……

 

ネムリ堂 ああ、そうなんですね。なんか、漬け込むのは大丈夫なんだけど、醸しちゃいけないのでしたっけ。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida たぶんそういった、細かなきまりがあったかと思います。でも、安房さんのお話にでてくる菊酒は、本当に香りがよくて、すうっと、さやかなというか、きよらかな感じのお酒のイメージでした。

 

ネムリ堂 そうですよね。そういえば、gentle finger windowさんのInstagramを拝見したのですけれど、Instagramに「菊酒」っていうラベルのお酒の写真が載っていたのですが。あれは、どういうお酒なんですか。

 

gentle finger window あれは、石川県の有名な、駅でも売っているお酒で。

 

ネムリ堂 今度買ってみようかしら。

 

gentle finger window 「白山」の霊水でつくったお酒っていうので、売られているのですけれど。

(※後注・お酒は、「加州菊酒」菊姫合資会社 製造。石川県白山市鶴来新町夕8番地  tel 〇七六・二七三・一二三四)

アロマアクセサリーさんが菊酒の、日本の古来からの不老長寿のお話されていたじゃないですか。私、お能がすごく好きで、よく観てたんだけど、『菊慈童』っていう演目があるのです。能楽で。それって、菊の花から落ちた露を飲んだ子供が、不老不死になる、で、霊水からつくった菊酒を帝――中国の皇帝に捧げて、不老長寿を祈願、繁栄を祈願するという演目なんですけど、不老不死になった菊慈童、まあ、霊なんですけど、「ハンカチの上の花畑」のおばあさん、暗い酒倉から出てきてまるで幽霊のようって書いてあって、なんか、それこそ菊酒を飲んで不老不死になった霊なのかもしれない、なんてちょっと思いました。

 

ネムリ堂 ほんとに人間なのかもわかんないような存在ですよね。でもその一面で、息子を戦争のあと、二十年待った、とか、ちょっと人間臭いようなことも言っていたりもして。

 

gentle finger window なんか、得体が知れない……不気味な感じですよね。

 

ネムリ堂 ですよね……。あ、菊のことなんですけど、「菊枕」ってご存知ですか。

 

gentle finger window ほんとにある、枕なんですか?

 

ネムリ堂 ほんとにあるんです。松本清張が『菊枕』っていう短篇を書いているんですけれども、ほんとに菊の花を摘んで、乾かして、それを枕に、白い布袋に詰めた枕があって、それが、菊の香りから良い効能があって、健康に良いらしいんですね。杉田久女という俳人がいるのですが、師である高浜虚子に菊枕を贈ったというエピソードがあって、それを短篇にしているのですが、それがどうも有名らしくて。でもその「菊枕」って聞くと、安房さんでいうと、「花びらづくし」の桜のまくらがあるじゃないですか。なので、もしかして、桜のまくらは、菊枕からイメージしたのかな、なんて思ったりするんですけど。

 

gentle finger window なるほど、そうつながるんですね。

 最初の方の話に戻るんですけど、アロマアクセサリ―さんが話されていた、ハンカチの話で、ymstさんがグリムに繋げられて、それでちょっと思いついて。グリム童話で、ハンカチかナプキンかをひろげるとご馳走がでてくるっていう話があったかと。

 

ネムリ堂 それは、ノルウェーのむかし話と、グリムの物語とあって、グリムでは、「おぜんやご飯のしたくと金貨をうむ驢馬と棍棒袋から出ろ」というお話があって、それですかね。安房さん、確かに、影響を受けているというエッセイをご自分で、「著作『北風のわすれたハンカチ』その他について」(一九七八)というのを書かれています。

 

gentle finger window ハンカチじゃなくって……

 

ネムリ堂 うん、おぜん、というか、テーブルかけなんですかね。

 

gentle finger window なんか、ぱっと広げると、ご馳走が出てくる、っていう話がそういえばあったなあ、って。ハンカチを広げると、菊酒が作られるって、なんとなく似たような話だなって、今、アロマアクセサリーさんとymstさんの話を聞きながら、思い出しました。

 

ネムリ堂 そうですよね。「北風のわすれたハンカチ」(一九六七)もそうですし、「黄色いスカーフ」(一九八一)も、布を広げると、オレンジとホットケーキがが出てくるっていう。

 

gentle finger window なるほど。昔の物語に影響されているものの、安房作品の中のひとつなんですね。この「ハンカチの上の花畑」っていうのは。

 

ネムリ堂 と、思います。ハンカチっていうのはね。あと、もうひとつね、山室静さんが訳されたむかし話で、青い雄牛の耳の中に布が入っていて、それを広げるとご馳走が出てくる、というそういうむかし話もあって、で、それで、(「北風のわすれたハンカチ」では)青いハンカチを熊は耳にしまうのかな、って思いました。

 

gentle finger window え、ヨーロッパのお話なんですか。

 

ネムリ堂 どこのお話だったかな。世界のむかし話の中のなにかだったのですが。(※後注 山室静 編『世界のむかし話―北欧・バルト編』現代教養文庫 社会思想社ノルウェーのお話「木のつづれのカーリ」でした)

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 小さな人が、何かを作るというのでひとつ思いだしたのですが、日本のむかし話で、「うぐいす姫」というのがありまして、それはたんすのひきだしを開けるとその中に小さな人たちが、田んぼや畑を耕していて、稲を実らせるっていう話があるなあっていうのを思いだしまして。

 

ネムリ堂 そうですね。そういうお話ありましたよね。「うぐいす姫」でしたっけね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida あれは、「見るな」の伝説でもありますよね。見ちゃったんで、うぐいすになって、飛んで去っていってしまうわけですけれども。やっぱりそういう風な何か、小さな人が限られた場所っていうのですかね、たんすのひきだしも四角い場所なので。

 

ネムリ堂 そうですね。四角いですね、ハンカチも四角いし。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そういうところに特別なスペースというのですかね、そういうのが出現するというか、そういうイメージと言うのはその童話ですとかむかし話を学んでいると、こう自然と、基本的なこととして、(安房さんの)頭の中に残ってらっしゃったのかな、と思いました。

 

ネムリ堂 そうですね。Planethandさん、いかがでしょうか。そういうような、お話を聞いて。

 

Planethand すごい、興味深く伺っていたのですけど、やっぱり、なんてんですかね、自分の身近なものが突然こう変異して、他の国に入っていくとか、自分の立ち位置が急に変わっていく? やっぱりこう、どこかお話を読んでいる時っていうのは、読んでる自分がいて、感じる自分がいて、っていうのははっきりしてるんですけど、安房さんのお話を読んでいると、自分がいきなり主人公になっていて、急に小さくなってみたりとか……。

スイッチの入り方がどこかわからない、よく読んでいると、さっき話していたみたいに、「信号」だったり、するんですけど。そこが、こう、サイズが変わってみたり、広げたハンカチの上に急に空間ができてみたり、っていうのの、切り替えの面白さみたいなことがたまらなく楽しいなあっていうのが、やっぱりあって。身近なところにそういう違う世界の入口があるっていうのを常に感じさせてくれるっていうのがほんとにおもしろいなあっていうのがね、あって。

自分はこれを読んでいた時、子どもだったので、お花を食べるっていう感じが……、お花を飲むとか、お花と言うのは、香りを感じて、見て、っていうものだと思っていたので、そこの、花畑からお酒が結びつかなくて、最初のうちは、とっても新鮮で……。そういうこの、ちょっとした新鮮な入り口を感じさせてもらえるっていうので、びっくりしたんですよね。

 

ネムリ堂 お花がお酒になるっていうのは、すごい新鮮でしたよね。子ども心にね。私も小学生の時、読んだんですけど。

 

Planethand 小人っていうのも、普通の小人さんだと、最初からちっちゃくって、知らない国にいた人たち、って感じだったんですけど、安房さんの「ハンカチの上の花畑」だと、自分も気がついたら小人になっちゃったりとか。「小人」って存在はなんなんだろうなあ、って思ったら、「酵母」ってお話でね、なるほどなあって思ったんですけど、やっぱり、気がついたら小人になってた、自分のサイズが変わるっていう、その不思議さっていう。最初は、この人たちも、もしかしたら人間だったのか? っていうね。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。秋元さん、いかがでしょうか。

 

秋元紀子 はい。今日初めて、入らせていただいて、すごくためになりました。私は大人になってから読んだので、ちょっと皆さんとは違う感じで入ったなあと思っているのですけど。私、これを読んだ時にすぐ思ったのは、「木の葉の魚」(一九七七)に似ているなって思いました。

 

ネムリ堂 ああ、そうなんですね。

 

秋元紀子 お母さんが、これで幸せになるよ、って渡してくれた鍋を、それがどんどん「モノ」になっていくことにすり替わっちゃって、これが幸せなんだっていうふうに、物欲に走っていったっていう……

 

ネムリ堂 「欲望」のお話ですね、両方とも。

 

秋元紀子 あ、同じだ……やっぱり安房さんは人間にはこういうところがあるよ、っていうのを言っているのかなあって思ったのと。あと、あのね、小人の話がいっぱい出てきたので、どうしようかなって思ってたんですけど、私の知り合いで、ふたり、見ているんですね、小人を。

 

ネムリ堂 ああ、そうなんですか。

 

秋元紀子 それで、ふたりとも、全然違うところの友だちなんだけど、ふたりともおんなじこと言ったんですよ。中年のおじさんで、太ってたって。だから、これ読んだときに、やっぱり太ってるんだって、安房さんも見たのかな、って思いました。(笑)

 

ネムリ堂 太ってるんですね。(笑) 小さいおじさん、って、都市伝説があるって聞いたことがあるけど。

 

秋元紀子 台所で見た、って言ってたかな。ひとりは。あっ、やっぱりいるんだ、って思ったって言うから、私もそのまま、やっぱりいるんだなって、思ってるんですけど。それが、ひとりじゃなくて、もうひとりのかたも、見たことがあるって、普通に、おじさんだったって。それで、太ってたって。だから、皆さん、いるんですよ、小人。(笑) 見た、って言ってるから。なんか、台所で。炊飯器の上かな。ふっと見たら、ちゃんといたって。男の人が。

 

ネムリ堂 じゃあ、炊飯をする小人なんですかね。発酵させるとかじゃなくて。

 

秋元紀子 わかんない。わかんない。

 

ネムリ堂 お米を炊飯する菌……。

 

秋元紀子 どういうことかわかんないけど(笑)はっきり見たことがある、っていうのを、ふたり私は聞いてるんで、私もいるんだろうな、って思ってます。佐藤さとるさんの本、読んだときに、あ、いるんだ、やっぱり、って、あの時も思ったんですけどね。

 あと、私は今回、五月、六月、「ハンカチの上の花畑」を、朗読させていただくのですけど、私は、えみ子さんがすごい、と思っているので、えみ子さんを、うまく描きたいなあと思っています。

 

ネムリ堂 すごいっていうのは、どういう意味ですごいのですかね?

 

秋元紀子 えみ子さんさ、一日に一回しか働けない人をさ、すごい働かせたじゃない。(笑) 

 

ネムリ堂 そうですよね! すごいやり手ですよね! テーブルかけでやるなんて、と思って……!

 

秋元紀子 ねえ! だんだん、大きくして、最後はテーブルかけ、机の上じゃなくて、畳の上に敷いて、働かせたって、すごすぎ……!(笑)

 

ネムリ堂 それは、すごいです!(笑)

 

秋元紀子 可哀そう!それで、へとへとになって、なんか大変そうなのを、書いてあるじゃない。私、あれはね、安房さん、「過労死」を言ってるのかなって思ったの。サラリーマンの人の。こういう形で過労死を言ってるんだって。こんなに欲のために、こんな風に働かせるっていう、こういう社会的なことも言ってるのかなって。

 

ネムリ堂 過労死の話って、何年くらいから問題になりはじめましたかね。

 

秋元紀子 ね、それを調べないとね。一九七三年が。でもそうかもしれないね。そろそろ言われてきたんじゃないかな。

 

ネムリ堂 モーレツなサラリーマンもでてきた、高度成長期のっていう……(※後注・「過労死」自体は一九八〇年代後半から注目され始めた)

 

秋元紀子 そう、これは過労死だって。企業がこうやって働かせてるっていう、なんかすごく思ったの。利益だけのために、人間をここまで追い込むんだなっていうような。だからその、えみ子さんの発想=社会的なこと、って私はすぐやっぱり、社会にも物申しているって、安房さんはひとこともそういうこと言ってないけど、なんか手掛かりがあるような気がいつもしています。

あと、「電車」は、私もすごく大事にしたいなと思ってました。安房さんは、ちゃんとこういう風なとこに置くんだなって思って。最後の、ゴオッと走らせるっていうのは、ほんとうまいなと思います。驚いちゃったあとの身体ってどうですか、すぐに現実に戻りますか。そこに、なんかこう電車が、ゴオッと行くっていうのは、イコール彼らたちふたりの、なんとも言えないいろんなものを持って、立っているのじゃないかな、そこで。そしてそこを市電が走りぬけて行く。だからふたりを止まらせるためにも信号は赤。信号を赤にしないと止まれないでしょ、で、それでじゃないかな。あと過去から未来への電車かもしれないし。これまでのことと電車の走り去っていくのと。走馬灯のような。

 

ネムリ堂 時間の流れかもしれないのですね。

 

秋元紀子 そう。時間の流れっていうそういうものはあるし。ふたりがそこで呆然とまだ立ちすくんでいる姿が見えるよね、なんかね。

 

ネムリ堂 そうですね。後姿がはっきり見えるような終わり方ですよね。

 

秋元紀子 なんか、そんなかんじで。いや、今日は参加出来て、すごくよかったです。皆さん、すばらしくって、いろんな知識があって、そこまで深くいろんなことを考えてらっしゃるんだなと感心しました。大変ためになりました。

 

ネムリ堂 ありがとうございました。秋元さん、ぜひ、朗読会の宣伝の方を、お願いしてもよろしいですか。

 

秋元紀子 会場主のPlanethandさんもいらっしゃいますけど、二〇二四年五月一九日に、東長崎、池袋から六分の、二つ目の駅ですぐのところなんですけど、そこはスタジオなので、ほんとに私が、手を伸ばしたら触れるくらいな近さで朗読します。

 で、もうひとつは、六月二九日に、横浜の、港の見える丘公園ていうのがあって、その真向かいに岩崎博物館ていうのがあって、その中に、山手ゲーテ座という、ほんとにいい、百人くらい入れるいい劇場がありまして、そこで、やります。配信をそこでやってもらえるそうなので、もしよかったら。私だけじゃなくて、オドラータといって、プロの木琴奏者は彼女ひとりだと思うんですけど、プロの木琴奏者と、ピアノと、私と、三人で、作り上げます。もしよかったら、いらしてください。みてください。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。では、最後に藤井さんに、「ハンカチの上の花畑」と対照的な物語があるっていうのを、紹介していただいて、終りにしようかと思うのですが、藤井さん、お願いできますでしょうか。

 

藤井実幸 「海の館のひらめ」(一九八〇)のお話が対照的だなと思っていて。あれは、レストランですごく働いていた青年が幸せをつかむ話で、安房先生がエッセイ(一九八九年『日本児童文学』掲載「『海の館のひらめ』のこと」・『安房直子コレクション』二巻に収録)の中で、「誠実に一生懸命生きている人の上には必ず、幸運の星がついているんだよ、ということを読者に伝えたくて」書いたとおっしゃっているんですけれど、それとは対照的に、「ハンカチの上の花畑」は働く喜びとか、一生懸命、誠実に生きるということを「失っていく」物語だと思うんですね。

 

ネムリ堂 「喪失」と「獲得」と、逆のベクトルのお話……。

 

藤井実幸 人間の善い面、真面目に働いて誠実であり続けて、人に正直に接していくことの喜びを書いたのが「海の館のひらめ」であって、反対に、自分の欲に負けていく、そして自分の欲のために小人とか、周りの人を、大事にすることをおろそかにしていくっていう物語が「ハンカチの上の花畑」だと思うんですね。

 で、ちょっと、これと関連して思い出したんですけど、おばあさんが大事にしている菊酒をつくる壺を、なぜわざわざ他人に渡したかなっていうことを、私、考えていたんですよ。それは、きく屋を「残す」ため。たとえば、跡継ぎさんが、あの壺を先代から受け取って、もし、自分の欲に負けて、菊酒を大切なときだけ、自分の身内にだけ飲ますんじゃなくて、売ればいいじゃんって思って、どんどん、どんどん、えみ子さんのように小人たちを使い出したら、働く喜びも、誠実に生きていく喜びも失っていく。それは、きく屋の身代を潰すようなことに繋がりかねないから、誰かに壺を渡して……、ある意味、あれは呪いの壺……

 

ネムリ堂 そうですね、諸刃のやいばですよね。喜びも、もっと大きな災いももたらすものでもあるのか……

 

藤井実幸 酵母のお話もありましたし、お酒の精という面も強いのですけど、でも、「売っている」お酒ではないのですよ。あのお店で、祝いの時とか、お節句とかに出すお酒であって、神聖なお酒をつくるためのもの、なんですね。跡継ぎさんがそれをそのまま、使えるかどうかの判断はできない。で、次のきく屋のために、この壺を手離さなければいけない、と、私はちょっと、思いました。

 

ネムリ堂 ああ、そういう構造だったのですね。ありがとうございます。面白いです。

 

藤井実幸 「鶴の家」(一九七二)の青いお皿がありますよね。あれも「お祝い」として持ってこられているのだけど、お皿におにぎりとかを盛るとおいしそうに見えて、喜びをもたらすものでもあるのだけど、こう、死んだ人が鶴の姿となって浮かびあがってくる……食器をそういうものとして使っているのかな、と思いました。

 

ネムリ堂 あ、本当ですね。どちらも食器ですものね。

 

藤井実幸 魚のあの話、「木の葉の魚」の鍋、あれもそうですよね。喜びをもたらすものなのに、欲に負けたら反対の意味を持つ。そう思いましたね。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。なるほど……!

 はい。今日はありがとうございました。このへんで失礼させていただきたいと思います。次回は「雪窓」ですね。

偕成社安房直子コレクション』一巻

偕成社文庫『白いおうむの森』

筑摩書房ちくま文庫『白いおうむの森』

偕成社 絵本『雪窓』(山本孝さん・画)

以上に収録されています。次回はそちらをとりあげたいと思います。また、よろしくお願いいたします。

 

(2024・4・26)

 

『座談会記録 童話作家安房直子さんについておしゃべり』冊子化いたします。planethandさんの安房直子企画展「幻のもえる市」や、12月の文学フリマ東京にて、頒布予定です。もちろん、直接通販も承ります。ネムリ堂のX経由で、ご連絡ください。