安房直子的世界

童話作家、安房直子さんをめぐるエッセイを書いていきます。

童話作家安房直子さんについておしゃべり(2)「天の鹿」

童話作家 安房直子さんについておしゃべり (2)「天の鹿」

 2024・3・9開催

 

参加者 

ネムリ堂

・gentle finger window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・ymst

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは録音しており、終了後、文字に起こして、ゆくゆくは、記録用の冊子にまとめる予定です。スピーカーとして、発言されるかたは、その旨、ご了承ください。

このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの一位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

 第2回目は、「天の鹿」をとりあげます。

 この作品は、1978年から雑誌『母の友』に6回に分けて掲載された作品です。1979年筑摩書房で、一冊の単行本として刊行されました。こちら、スズキコージさんのインパクトのある挿絵で刊行されています。現在ではこちら絶版になってしまってますので、『安房直子コレクション5』で読むことができます。

この作品は、ほんと大好きな、強烈に惹かれる作品でして、好きなシーンがすごくたくさんあります。

鹿の市というのがまず、いいですし、反物の模様が夜空に零れて行くシーンなど、すごく大好きです。どうでしょうか、好きなシーン。ymstさん、いかがですか?

 

ymst 好きなシーンはやっぱり「市」なんだけど、「市」のところはすごく目に浮かんで。もともとお祭りが好きなので、夜店とかがすごく好きなので、すごく(光景が)浮かぶんですけど、夜店がなんかちょっと怖いというか、新美南吉「狐」のお話に出て来るような、夜店の怖さをすごい感じました。

 

ネムリ堂 ああ、夜店がね。夜の市と言うのがまた、雰囲気があるのでしょうかね。私も、鹿の市と言うのがすごくよくて。あと、そうですね、あと、好きなシーン、娘たちの着物の模様で空の天気が変わるじゃないですか。そこもすごく印象的で。長女のたえの着物が縞模様だから、雨で。次女のあやは、紺の絹の着物で、闇夜。みゆきのかすりの着物で、雪、ってなってて。そういうところも、ドキドキしながら読んでいました。

(後記・ymstさんより、みゆきの名には「ゆき」がはいっており、かすりには、ただのかすりではなく、まさにたっぷりしたボタ雪のような模様「雪絣」がある。あやの名も、織物の「綾織」がある、というご指摘をいただきました。また、「たえ」の名もカジノキの繊維で織った「栲(たえ)」という布があることが判明しました。)

安房さんのお気に入りのマント着ているところを拝見したことがあるのですけれど、紺のかすりなんですね。三女のみゆきの造形なんですけれども、同人誌『海賊』でご一緒だった生沢あゆむさんが、みゆきが安房さんご本人にとてもよく似てるって書いておられてて。「安房さんの書いた作品の中で、彼女の真実の姿に一番近い主人公は、みゆき以外にないのではないだろうか。」という文章を「『天の鹿』のみゆきと安房さん」というエッセイで書かれています。これは、ライラック通りの会会誌『こみち』1号の掲載になっていますね。

 あと、昔話の定型といいますか「三」の繰り返しというのを、安房さんはよく書いているのですけれども、ymstさん、「三」の繰り返しみたいなものについて、グリムとの類似について、お話いただけますか。

 

ymst はい。似ているのだけど、グリムとはすごく違うなと思うことのほうがあって。日本の昔話でもきっと「三」て大事で、三人の息子だったり娘だったりが何かをやっていって、同じ事を繰り返して、三人目に何かが落ち着く、みたいなことがあると思うのですけれど、これも三姉妹でね、三人目のところで話が進むというか、落ち着くという。すごい不思議だったのは、お父さんも同じところに出かけますよね。

 

ネムリ堂 そうですよね、四つになってますよね。そうなると、「三」じゃない…ってことになっちゃうかな。

 

ymst でも、三姉妹、というところで「三」なんだと思うんですけど、じゃあなんでお父さんも行ったんだろう、ということをすごい考えて、お父さん、「広告塔」じゃないけど、まず先に行ってみて娘たちにそれを聞かせる役割があったのかな?と思って。

 

ネムリ堂 ああ! なるほど。

 

ymst 娘たちに話す役目があったのかな、と。行った意味合いは違うのじゃないかと思ったのですけれど。

 

ネムリ堂 まずはじめにお父さんが行って、鹿の市を三人の娘に伝えるために行ったという、そういう役割があるということですよね。

 

ymst かな?と思って。一番目と二番目の子は、だいたい、昔話とかだと、悪い子だったりしますよね。あんまり…

 

ネムリ堂 そうですよね、ちょっと意地悪だったり、見栄っ張りだったり。

 

ymst そういうところはあんまり無くって、すごくたのしみに鹿の市に行って、自分のほしいものを買って、自分のことだけを考えちゃってるところはそうだと思うのだけど…

 

ネムリ堂 そんなに強烈になにかこう、意地悪だったり、みゆきをいびっているとか、そういうことでもないし…。そこはちょっと安房さんのアレンジとしてはそうなっていますよね。

 

ymst そうですね。そこらへんは、昔話とは違うな、と思いました。

 

ネムリ堂 なにか、グリムの違うお話に似ている、っておっしゃっていたじゃないですか。そのお話も教えていただいていいですか。

 

ymst グリムの「森の家」というお話なんですけれど。「森の家」は、三人女の子がいて、上の子たちが森の家に出かけていって、そこには動物たちがいるんですけれど、動物たちのお世話をちゃんとしないのですよね。冷たくあしらうというか、お姉ちゃんもまん中の子もそうで。そこで地下室に入れられちゃうのだったかな、ひどい目にあう。

 

ネムリ堂 地下室に入れられちゃうのですよね。

 

ymst 三番目の子はまず、自分のことはさておき、先に動物たちにご飯をあげて、みたいな感じで、そこがみゆきとちょっと似ているというか。鹿に、ぶどうのお酒を先にあげたり、梨をわけあって食べたりというのが、お姉さんたちには無いことだった。

 

ネムリ堂 私、ymstさんに伺うまで、知らなくて。「森の家」というお話を。で、調べてみたら、あ、ほんとにこれ、みゆきと、他の姉娘たちの繰り返しと似てるなあ、と思って。安房さん、グリムをよく読まれていたから、そういう風なところから影響があったのかな、というのはすごく感じました。

 

ymst けして真似したのではなくて。

 

ネムリ堂 ええ、真似したのではなくて。あと、gentle finger windowさん、ほかのグリムのお話について似ているといわれていたと思うのですが、お話していただいていいですか。

 

gentle finger window さっきymstさんがおっしゃってた三人の娘が出て来る、お姉さんがいて、末娘がヒロインで。上のお姉さんがここでは意地悪でとかは全然ないのですけれど、私はこれをみて「シンデレラ」を思い出して。

「シンデレラ」は継子でいじめられていて、というお話ですから、そういうのは無いのですけれど、こう三人の娘で、上の二人が自己中心的で、っていう…、三人目が優しくて、最後王子様に巡り合えて幸せになるっていう、それが「シンデレラ」を思い起こして、かつ、最後、鹿が結婚相手となって一緒に天に昇って行くところが、自分が探していた王子様、お婿さんだ、と一緒に行くところが、グリムの「蛙の王さま」というお話を思いだして。

ちょっと気持ち悪い蛙が、結婚相手を探している。一緒にご飯を食べて、一緒にベッドに寝てくれる、それを叶えてくれる娘と出会って、もとの王子様にも戻れて結婚するっていう、そのお話を、これを読んでいて思い出しました。

 

ネムリ堂 この「天の鹿」は、異類婚姻譚に入ると思うのですけれど、西欧の異類婚姻譚て、たとえば、先ほどの「蛙の王さま」や「美女と野獣」みたいに、真実の愛によって悪い魔法が解けて、野獣は人間の姿になって、娘と結ばれるのだけど、安房さんの物語では、娘の方が鹿の姿になって天に昇って行く、っていうのが、そういう違いがありますよね。そこが、西欧のものと違うのだけれども、真実の愛の物語となって、というのが興味深いなと思いました。

 

gentle finger window なんかネムリ堂さんもよくおっしゃっていた、安房さんが『遠野物語』をお好きだったという…、馬のお話の…

 

ネムリ堂 「おしらさま」ですか?

 

gentle finger window 馬の…そうですね。『遠野物語』だったり、グリムだったり、すべてがミックスされたようなお話だなって思いました。

 

ネムリ堂 天に昇って行くというお話ということで、先ほどgentle finger windowさんが言ってくださったみたいに、私、遠野に伝わる白い馬と娘の婚姻譚「おしらさま」を思いだしたんですね。「おしらさま」のお話をちょっとご紹介しますと、父親と二人暮らしの美しい娘は雪のように白い若駒を大事にしており、いつしかめおとの関係になります。父親は馬を憎み、桑の木につるして殺します。娘は馬にすがりつきあまりに泣くものだから、父親はまた馬が憎らしくなり、斧で馬の首を切り落とすと、馬の首は娘をのせたまま、青い空へと消えて行った。おしらさまとは、このときからの神様で、馬をつりさげた桑の木の枝で、ひとつは娘、もうひとつは馬の首の形をかたどった木の枝をまつった蚕の神様です、と、そういうお話なんですね。蚕と馬と娘の物語のバリエーションは、岩手の他の地方や、福島、信州などにも伝わっています。その源流は、中国にあり、古くは4世紀に成立した「捜神記」にも類話が見られます。

父親と娘、娘と馬の魂の結びつき、父親による馬の殺戮、空へ昇って行く馬と娘、というのが、「馬」を「鹿」に置き換えると、こう、キーワードが一致してくるように思うのですね。安房さん、『遠野物語』愛読されていたって伺っておりますので、当然「おしらさま」もご存知だったと思うのですね。「天の鹿」の根底には、天に昇って行く馬と娘の物語「おしらさま」が潜んでいるように私には思えました。

ymstさん、おしら堂に行かれたことがあると伺ったんですけど、おしら堂の実際の雰囲気、教えていただいていいですか?

 

ymst はい。まず遠野という町自体が、すごく不思議なところで、山あいの急に見えてくるところにあるのですけれど、なんか本当にそこは魔界じゃないけれど…

 

ネムリ堂 隠れ里みたいな??

 

ymst 一歩入ったら空気が違うような感じがしましたね。帰りにも、すっごい勢いで雨が降りだして、「帰れ!帰れ!」と言われているみたいに、もうスコールの様な雨が降ってきて。それが、遠野の町を出たら、ピタっと止んだのですよ。

 

ネムリ堂 え、そういうもんなんですか。すごい。なんか不思議な経験。

 

ymst でも、ほんとそれくらい、あそこは、別世界で、その中でもおしら堂っていうのが、鳥肌のたつような別世界だったんです。おしらさまっていう飾り物があるんですよね、桑の木で出来た、馬の形と女の人をかたどった対の飾り物っていうのがあって、お堂といっても、くねくねと廊下の様なところを歩いて行ったりするのですけれど、お堂の中がそれでいっぱいなんですよ。何体あるか数えきれない、何千とかあると思う。もう壁一面が、おしらさまだらけで。

 

ネムリ堂 それは、あれなんですか。おしらさまを祀っている家から集めたものなんでしょうかね。それとも、もともとそこで祀られているものなのかしら。

 

ymst どうなんでしょうね。遠野って桑の木と蚕が名産になっていて、絹の繭の細工とか、それで繁栄したっていうのも、おしらさまの昔話の中にあって…

 

ネムリ堂 絹の名産地なわけですか。

 

ymst 名産地に「なった」んですね、きっと。お父さんはかなり馬にひどいことをしたんですよ。首を切っただけじゃなくて、桑の木に吊るしたときにもかなりひどいことをして、それで、娘がいなくなったことにすごく後悔して。夢枕に立った娘が、蚕を家に置いておくからそれを育てて桑の木の葉っぱをやってください、て言って、そういう風に伝えたことで、桑の木で絹を作っていく、産業になっていくっていうところで終わっていると思うのですけれど。この産業の繁栄のためでもあると思うんです、このおしら堂って。

 

ネムリ堂 そういうことなんですね。そうですね。

この物語、「天の鹿」なんですけれども、父親の側からすると、大事な娘が神隠しにあった話でもありますよね。神隠しと言うと、実際には、誘拐とか、人さらいや、殺人、怪我で山の中動けなくなって死亡した場合など、苛酷な状況にあるのが現実だったりすると思うのですが、このように、人が忽然と消え去るさまは、どこか、遥かな国への甘美さを感じさせられ、なにか、あこがれをかきたてられるような気が私はしてならないのですね。『遠野物語』には、「おしらさま」のお話の他にも、こういう神隠し譚もいっぱいあると思うんですね。

で、安房さんも、神隠しのお話をいっぱい書かれていたと思うんですけれども、gentle finger windowさん、いかがでしょうか? 安房さんの神隠しのお話って、幾つか思い当たりませんか?

 

gentle finger window そうですね、ネムリ堂さんがよくお好きだとおっしゃられている「銀のくじゃく」なんかそうですよね。あと「火影の夢」とか。あと、私、すっごく怖いんですけど「長い灰色のスカート」もそうですし…。あと考えてみれば、「ハンカチの上の花畑」もそうなんですかね。

 

ネムリ堂 そうですね。あれも神隠しにあって…

 

gentle finger window いなくなって、みたいな感じになってますしね。

 

ネムリ堂 あれも、戻ってくるお話と戻ってこないお話とあって、「ハンカチの上の花畑」はね、戻ってこられるお話としてね。

 

gentle finger window 安房さんの怖いけど面白い話って、この神隠しって、この系統が多いですね。

 

ネムリ堂 そうですね。私、神隠しの安房さんのお話は、すごい好きな話が多くて、他にも「沼のほとり」ですとか、「ライラック通りのぼうし屋」ですとか、あと「だれにも見えないベランダ」なんかも、そうは見えないけど、実は神隠しのお話なんじゃないかな、と思ったりして。ベランダに乗って、どこか遠いとこ、行きませんか?って誘われてそのまま消えてしまうじゃないですか。

 

gentle finger window そうですね、言われてみれば。

 

ネムリ堂 あと、「海の口笛」とか「丘の上の小さな家」とか。「花豆の煮えるまで」の小夜のお母さんも、山で姿を消してしまいますよね。小夜のおかあさんはもともと、山んばの娘ということなので、神隠しとは言わないかもしれないけれども、でも、もしかしたら。「小夜の物語」ていうのは、ほんとの話をおばあさんがしてくれているわけではない、っていうのを小夜は思って話を聞いているわけですよね。だからもしかしてお母さんは、「花豆の煮えるまで」だけのお話の時点では、ほんとに山んばの娘だったかどうかはわからない。「いなくなってしまったお母さん」かもしれない、と思いながら、私は読んでいたんですね。そんな風なことをちょっと思いながら。

 

gentle finger window そうですよね。あと、思い出したのだけど、「よもぎが原の風」とかも、戻っては来るけど…

 

ネムリ堂 うさぎになっちゃう話ですよね。

 

gentle finger window 安房さんにほんと、典型的な、怖いけど面白い話だなっていう気がしますね。この神隠しのお話とか。やはり『遠野物語』の影響を受けていらっしゃるのですかね。どうなんだろう。

 

ネムリ堂 安房さんご自身がご自分のエッセイで、『遠野物語』を自分のタネ本にしてます、みたいなことを書かれていて。なので、『遠野物語』はすごく、良く愛読されていたようなんですね。

 

gentle finger window 私も『遠野物語』好きですし、グリムもそうだし、ヨーロッパの民話みたいなものもすごく小さい頃から読んでいるので、もしかしたら、ベースが同じで、安房さんに惹かれているっていうこともあるのかなって、思います。エッセイを読み通してみても、あ、なんか、読んでいたものが同じ、みたいなことが結構あって、そんなことを思いましたね。

 

ネムリ堂 そうですね。またちょっと、鹿の市のお話に戻るんですけれども、鹿の市、すごく素敵なんですけど、ymstさん、北海道にお住まいならではの、素敵な体験をされたって伺ったんですが、お話していただいてよろしいですか。

 

ymst こちらにいると、まあまあ、あるといえばあるのですけれど…

 

ネムリ堂 そうなんですか(笑)

 

ymst よく行くカフェに行ったときに、お店の中ではなく駐車場にいたら、うちの車に乗せていた犬が騒ぎはじめたんですよね。私その時に、それこそ「天の鹿」を今日のために読んでいて、ぱっと目をあげたら、鹿がぴゅっと横切っていて、それで、ああ、鹿いたな、と思って。これはタイムリーだと思って車からそっと降りてみてみたら、もう鹿だらけだったんですよね。全部で20頭くらいいて。

 

gentle finger window それ、北海道のどのあたりだったら、そんなに鹿が見られるんですか?

 

ymst 支笏湖ってわかりますか? 千歳空港からすぐなんです。なのでもし、北海道に旅行にいらしたら、千歳空港から札幌に出るよりも近いのでぜひ、寄ってみてください。

 

ネムリ堂 ぜひ、鹿の市に連れていってもらえるように(笑) なんか、支笏湖の近くに、意味深な名前の山があるって…

 

ymst 支笏湖ってカルデラ湖で、山に囲まれているのですけれど、支笏湖から見て、ひときわ大きく見える山が、風不死岳(ふっぷしだけ)っていうのですね。「ふっぷし」というのが、アイヌ語が語源で、「トドマツがたくさん生えている」みたいな意味らしいのですが、「ふっぷしだけ」って漢字で書くと、「風」「死なず」、否の「不」ですよね、そう書いて、「風不死岳」って言うのです。

 

ネムリ堂 ああ、そう読むのですね。なんか不思議な名前で。

 

gentle finger window 風が死なない、絶えない、みたいな感じなんですかね。

 

ymst 語源そのものは、トドマツ…なんですけど。鹿は、支笏湖周りはたくさんいるんですけど、その山はヒグマの被害があったような山なんですよね、人が殺られた、本当に死の山って感じで。そこよりも湖を挟んで、こっち側で、20頭あまりの鹿を見たので、この「天の鹿」に出て来る「生きてる鹿たち」に牡鹿は会うじゃないですか、生きてる鹿はちょうど20頭ぐらいいるというような文章じゃなかったでしたっけ。

 

ネムリ堂 そうですよね。すごい。

 

ymst 全部で20頭もいるでしょうか、みたいな文章がありますよね。それが、風不死岳が、なんとなく、はなれ山のような感じに思えて、ここにいるのは、みんな市に行くのかな、と思ったんですけど、そうじゃなくて、生きている側の20頭だったのかな、って。

 

ネムリ堂 「天の鹿」を読んでいるときに、そんな体験をされたっておっしゃってたから、すごいな、と思って。

 

ymst でも、一頭も牡がいなかったんですよね。

 

ネムリ堂 あ、牡と牝と、角でわかるんでしょうかね?

 

ymst ほんとに、見事な角のも結構いるんです。なのに、そのときは一頭もいなくって。それこそ、ゆらりゆらり、と、牡鹿が歩いてくるんじゃないかって。残念ながら、それはなかったんですけれど。

 

ネムリ堂 鹿の市も、「生きている鹿のすることはもう忘れてしまった」という牡鹿のせりふとか、あと、反物屋の鹿は耳に傷がある鹿だったり、ランプ屋は足が悪いやせた鹿だったりして、みんな傷をうけているんですね。だから、鹿の市の鹿たちっていうのは、みんな殺された鹿なんだろうな、というのが思われて、そこに鹿たちが市に行くっていうのは、そういう世界なのかなあ、と思いながら読んでいたのですけれども。

 

gentle finger window 私、さっきおっしゃっていた生きた鹿の群れ、っていうんですかね、そこを読んでぞっとしたというか。「天の鹿」って私にとってはすごい怖いお話なんですね。天の鹿というのが死んだ鹿だっていうのが、ここの生きた鹿に会うところまで、私わからなくって。このあたりで、はじめて、生きた鹿、死んだ鹿とか、はっきりしてくるじゃないですか。20頭くらいの群れが、生きた鹿が行く、っていう言葉がすごく怖くって、ぞっとしたっていうか。

 

ネムリ堂 すごい怖いお話でもありますよね。

 

gentle finger window 私、そもそも最初に、清十さんが鹿の市から帰って来た時に、「お前の娘たちの中でキモを食べたのは誰だ」って鹿が最初に聞くじゃないですか、あそこのシーンで、わ、怖い、と思ったんですね。

 

ネムリ堂 「キモ」っていう言葉で…

 

gentle finger window 「キモ」って言葉で聞くところにすごくぞっとして、最後にみゆきに、「お前をみつけた」みたいに言うじゃないですか。そこで、わ、怖い、みたいな。はじめて読んだ時は、ずっと怖い話、怖い話、と思っていたのですけど、最近、充分おとなになってから読んで、でも、たぶん、みゆきと天の鹿のラブストーリーなわけなんですよね、ある側面から見ると。

 

ネムリ堂 私はそう読みました(笑)

 

gentle finger window では、これはハッピーエンドの話なのかなっていう。

 

ネムリ堂 うーん…、ハッピーエンドとまでは言えないのかもしれないけれど…っていうことですよね。

 

gentle finger window いいお話なのか、怖いお話なのか、悲しいお話なのかわからない。安房さんはそこらへん、なんていうのでしょう、読む人に任せてくれている。

 

ネムリ堂 そうですね、最後に清十さんが、おうおうと叫びながら、雲を追いかけて行くというところが、なんとも悲しいお話というか、

 

gentle finger window だけど、ふたりにとっては、幸せなお話っていうのかもしれないし。なんて言っていいのか、不思議ですよね。そこが魅力というか。

 

ネムリ堂 そこが魅力ですよね。安房さん、「天の鹿」についてですけれども、「贖罪の話みたいな感じです」と書かれているのですね。

(後記・偕成社『現代児童文学対談9』・偕成社文庫『北風のわすれたハンカチ』巻末にも収録したインタビューに掲載。インタビュアは神宮輝夫さん。同じ対談で、「天の鹿」について、安房さんは、「『なめとこ山のくま』の猟師と狩られるものとの関係みたいなものに影響を受けているかもしれません。」とも書いています。)

ただ、私は、単なる贖罪の話、父親のいわゆる狩人としての罪を娘が贖うといった単純な話にはならなかったんじゃないかな、と思っていて、それを何か超えた、なんともいえない、なんでしょうね、それがなんだか私にもわからないのだけれども。

 

gentle finger window うん、うん。でも、わかります。それと、キモを食べるって、なんか、心を奪われる、っていう感じで。やっぱり恋愛のストーリーなのかなって、思う時もあって。

 

ネムリ堂 鹿のキモって、要するに、鹿笛で呼びよせられたわけだから。鹿笛って「恋」の声じゃないですか。その恋の気持ちそのまま殺された鹿のキモを食べたっていうか。

 

gentle finger window 心を奪われたじゃないけど、なんか…。安房さんはそこまで意識されて書かれていたんですかね。

 

ネムリ堂 意識されていたかはわからないけど、でも、実際はそうですよね。まあ、「ハート」なわけですよね。ハートっていうか、ハートは心臓だから、肝臓と違うけれど、要するに「肝心」という言葉にあるように、キモと心臓と両方を表す通り、すごく体の中心だった場所ということで、ハートみたいな、「たましい」と置き換えられるようなものが「キモ」なのかなと思って。

 

gentle finger window そこを食べたみゆきを探していたのですものね。

 

ネムリ堂 くらやみの谷でたったひとりで泣いているひとがいて、そのひとのところに私は行こうと思う、って、みゆきが言うじゃないですか。その「くらやみの谷」っていうのが、どう、これを解釈していいのかなっていうのがわからなくて、なんていうのでしょう、話に深みを与えている言葉だなあって思って。

 

gentle finger window そこをどういう意味で書かれているのか、すごく深いような…

 

ネムリ堂 聖書の言葉に、そういう言葉が無いのかな?って検索してみたんですね。そしたら。「くらやみの谷」とは書いてないのですけれど、日本では「死の陰の谷」って訳されている言葉がありまして、それってもとは「闇の谷」っていう意味らしいんですよ。

旧約聖書詩篇、23編4節に、「たとい 我 死の陰の谷を歩むとも/わざわいをおそれじ/汝 我とともにいませばなり」という一節があるらしくて。おそらく安房さんは聖書の言葉に精通されていたと思うから、そういうところから発想されているのかな、と、思いながら読んでみたりもして。

 

gentle finger window そうかもしれないですね。その言葉だけ、ふっと浮き上がってくるんですよね。子供向けじゃないっていったら、あれなんですけれども、ここだけすごく、深くなっている気がして。ここだけが違うレベルの言葉な気がしていたのですけれども、もしかしたら、聖書の言葉から来ているのかもしれないですね。

 

ネムリ堂 かもしれないし、そこを、こういう風に、安房さんの作品の中にとりこんで、表現しているのかなって。キリスト教に私は詳しいわけではないので、話していいのかわからないのですけれども、キリストは、人間の罪を背負って、その死はその身をもって人間の罪を贖った、そういう宗教だと思うのですね。で、みゆきが、自分の身を与えてそのまま天に昇って行くというのが、キリストの昇天とも重ね合わさってくるのかな、っていうのがあったりして。

 

gentle finger window 安房さんがそれを書き込みたかったというよりは、安房さんの中に沈殿しているっていうか、蓄積されている、グリムも『遠野物語』もそうだし、聖書も、安房さんの中に蓄えられたから生み出されたものだから、読んでいける、感じていけるのでしょうね。

 

ネムリ堂 うん、あえて、書いたわけじゃないのでしょうね。

 

gentle finger window ネムリ堂さんが前におっしゃっていた、古事記の「よもつへぐい」を、あえて、安房さんはそれを書き込みたいと思ったわけじゃないのかもしれないけど、伺って、そうなのかも、と、私、すごい納得したんですよ。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。でもね、よもつへぐいについては、安房さん、結構意識的に描かれているみたいで。

 

gentle finger window そうなんですね。

 

ネムリ堂 1981年の、『せんばい』という雑誌(たばこの専売公社に安房さんのお父さまはおつとめだったので)で、お父様の部下にあたるかたと対談された記事が載っているんですね、それの中で、

古事記に、よみの国へ行ってそこの食物を食べたら、もうこの世に戻ってこれないというお話があったと思いますが、異次元の世界に行って、そこの食物を食べるということは、大きな意味のあることだと思いまして、私はよくそういう書き方をします。」という風に書いているんですよ。だから、よもつへぐいという言葉は使ってないけれども、このことについては意識的に作品に書かれているということがここでは、ご自分の言葉でおっしゃっているというのを発見しました。

 

gentle finger window 「天の鹿」について書かれたのですか?

 

ネムリ堂 そうですね。「天の鹿」について、書いている一文なんですね。

 

gentle finger window まさに、よもつへぐいですものね。鹿の市で食べるものはそうですよね。雑炊にしろ、金の梨にしろ。

 

ネムリ堂 雑炊と金の梨を食べて、天の鹿となっちゃうということで、三枚の金貨の最後の金貨で買うまっ白な桔梗の花は、花嫁さんのための白い花であるのと同時に白い死に装束でもあったりして、という、そういう色んなイメージが重ねられている感じがして。

 

gentle finger window ヨーロッパの古い民俗、古事記まで、活かされているっていうのが、すごいですね。童話、物語だけど。

 

ネムリ堂 物語の中にいろんなものが融かしこまれている。そうなっていますよね。

結構、安房さん、よもつへぐいのお話をいっぱい書いておられるんですよね。「緑の蝶」(1973)も、「ぼく」が緑色にあわだつ飲みものをさしだされるんですけれど、それを飲んじゃったらおそらく、よもつへぐいになっちゃうんじゃないかな、て。

 

gentle finger window 異界の飲みものですもんね。そうとう怖いですけど。あれも。

 

ネムリ堂 怖いですよね。あれを飲んじゃったら、どんな話になるのかなって。

 

gentle finger window たぶん、連れていかれてたんですかね。

 

ネムリ堂 連れていかれちゃいますよね。「火影の夢」(1975)も、よもつへぐいなんでしょうね。魚介のスープに、とりこまれていくじゃないですか。それで結局異界に、連れてかれて、最後、火影の夢の中の人になってしまうという、そういう終りで。

 

gentle finger window 「木の葉の魚」(1977)も、じゃあ、そうなんですかね? 

 

ネムリ堂 「木の葉の魚」。そっか。「木の葉の魚」は考えたことはなかったですけど…

 

gentle finger window 魚を食べて、食べて…

 

ネムリ堂 食べて、食べて、結局、海の底に沈められちゃいますものね。

 

gentle finger window 最後、のぼっていった先がどうなっているのかわからないのですけど。

 

ネムリ堂 うーん、のぼった先がね、魚として食べられてしまうのか、それとも、救われるのか、わからないままの終わり方でしたよね。

 

gentle finger window 不思議なお話です。…そうか、よもつへぐい的なお話が多いんですね。神隠しと同様に。

 

ネムリ堂 うん、「小鳥とばら」(1979)なんかも、結局、食べたら恐らく、ばらの木になっちゃうっていうので。ただ、よもつへぐいなんだけど、そこで少年の助けで戻ってくるんですよね。なんかね、80年代以降の作品ていうのが、異界の食べものを食べても、戻ってくる作品が多くなってくるんですよ。

 

gentle finger window 「ハンカチの上の花畑」(1973)もそうですね。菊酒を飲んで…

 

ネムリ堂 飲んで、飲んで、飲むんだけど、あれは、戻って来られるという。「月夜のテーブルかけ」(1981)なんかも、ゆきのしたホテルの会員証を持ってたりして。だから、行き来自由になってくるんですよね。

 

gentle finger window なんででしょうね。子どもに向けて、なんでしょうかね。子どもをかなしませないように。

 

ネムリ堂 子どもを読者として、ちゃんと意識して書くようになりました、というようなことを、作品集『遠い野ばらの村』(1981刊行)以降くらいから、考えている、って書かれていたから…

 

gentle finger window 怖がらせてばっかりでなく、ハッピーエンド的な要素も、みたいな…

 

ネムリ堂 安房さんの中でそういうものでないものを書きたい、という欲求がたかまっていったのかなあって。「風のローラースケート」(1984)ですとか、「コンタロウのひみつのでんわ」(1983)ですとか、「ねこじゃらしの野原」(1984)ですとか、そこらへんもみんな、食べるんだけど、行き来自由みたいな。そういう感じがします。

 

gentle finger window 「みどりのはしご」(1979)とかもね。

 

ネムリ堂 「みどりのはしご」! そうですね、食べるんだけど、戻ってきますよね。いつでも行けそうな感じですよね。

 

gentle finger window 「花びらづくし」(1982)とかもそうですね。

 

ネムリ堂 「花びらづくし」も、戻ってきますもんね。怖い思いをするけれど。

 

gentle finger window あの「市」もね…

 

ネムリ堂 「市」の話としては、「天の鹿」の鹿の市と、「花びらづくし」の桜の市がすごく、印象的ですよね。

 

gentle finger window イメージとしてすごく綺麗なんですけど、怖いみたいな。

 

ネムリ堂 あと、「鳥にさらわれた娘」(1982)も、「市」ではないんだけど、シギのお店がみかん色のあかりでぽうっと浮かんでいて、そこに魅力的な品物が並んでいるっていうのが、なんか安房さんの書く「市」の系譜というか。

 

gentle finger window 安房さんの書く「市」って、どこでどう得ているイメージなんですかね。今、市が立つところって、ものすごく観光的な?? 今、普通に市って立っているものなのかしら。

 

ネムリ堂 「市」について、アロマアクセサリーさんにお話してもらってもよろしいでしょうか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 途中、いくつか、話したいことがあったので、順番にお話してもよろしいでしょうか。

遠野物語』のお話なんですが、「ききょうの娘」(1982)を読んで、『物語の食卓』(※ネムリ堂とのコラボ冊子。安房作品に登場の食を再現)のお料理を作る時に、そのお話っていうのが『遠野物語』の椀貸し伝説っていうのですかね、あれとかかわりがあるなあと思って。「ききょうの娘」も、「山から来た娘さん」で、山に帰っていくので、神隠しとはちょっと違うかもしれませんが、椀貸し伝説のお椀を貸してくれる元の場所は隠れ里だったりするので、柳田国男は最初は山の民族に非常に惹かれていまして、『山の人生』の中で、神隠しに遭いやすい性質っていうのは人にはあるんだ、っていうことを書いているんですね。

実際に自分が、山の中に、紛れてしまって、気がついたらなんとか帰ってこれたけれども、自分はもしかしたら、神隠しに遭いやすいたちなのかな、と、思ったということを書いていまして、安房さんももしかしたら、自分のことを、そのように思っていて、「天の鹿」の、みゆきに自分を重ねるような、なんか、ふらっと、ふわっと、現実とは違うところに怖がらずに行ってしまうようなところが自分にはある、と思ってらしたのかなあと、それでその、お友達(生沢あゆむさん)が、安房さんをみゆきに似てるっておっしゃったのかなあ、と、調べていくなかで思いました。

遠野物語』やグリムを借りている、ということ、グリムですけれども、やっぱりグリムは西洋のもので、キリスト教が元にあり、人間が中心だと思うんですよ。ただ、日本の場合はやはり、八百万の神なんで、人間も、その中のひとつ、というのですかね、西洋の話では蛙が王さまに戻ったりとか、「美女と野獣」の野獣が人間に戻って結ばれるけれども、安房さんの話では、安房さんが意識していたかどうかはわからないのですけれども、人も八百万の神もみな、同じような立場だったら、同じようにふわっと行ってしまっても、自然な、安房さんにとってのメルヘンの世界といった感じとして考えたのかな、と。

 

ネムリ堂 日本と西欧の違いですかね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida あと、堀辰雄が、「風立ちぬ」で、「死の陰の谷」って確か、最後の頃の書いていたかと。

(後記・アロマアクセサリー&香りと文学m.aidaさんより、補足あり。「風立ちぬ」の最終章は「死のかげの谷」。内容は、主人公が教会の「弥撒(ミサ)」に出たり、リルケの「レクイエム」を読んだりしながら死者(恋人)への思いをめぐらせている、とのこと)

 

ネムリ堂  使っていたのですね!! 安房さん、堀辰雄、お好きでしたものね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。安房さん、もしかしたら、そのへん、言葉として、安房さんの中にあったのかな、と思いました。

 

gentle finger window なるほど。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida たぶん、親しんでいた中で、自分のイメージとして、あったのかなと、思いました。

 

gentle finger window 安房さんの大好きな軽井沢の作家ですものね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 高校生の時から、「堀辰雄論」書かれてますよね。すごい立派なものを。

「市」のお話は、日本で「マーケット」「マルシェ」、海外のそういうのとはちょっと違う意味合いが「市」にはあったと思うんですけれども、これは調べてみると、本当の昔は、人の出会いの場であったのですよね。

海柘榴市が本当に最初で、そこは、男女の出会いの場でもあるし、もちろん物を商う場でもあったですし。更に市はその土地神を祀る場所でもあった、神聖な場所であったんですね。すごくいろいろな意味合いがあって、このすべての意味合いがこの「天の鹿」にはあるなと思ったんですね。

鹿の市は、死者の市、まあ、死はハレとケでいえば、「ケ」であるのかもしれませんが、でもそこから天にいくのであれば、現実とは違う特別な場所という意味で、そういう場所でもあるし、そこであの、みゆきと牡鹿が無事結ばれていくような「門出」の場?一種の。結婚するというのは、門出でもありますし、新しい世界へ行くということでもありますよね。

その場合、新しい世界が「天」の世界で。で、人間の現実の世界ではないのですが、でも天にいけるということは、牡鹿にとってはおめでたいことですよね。

 

ネムリ堂 聖なる結婚みたいなね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そういう門出の場であるし、もちろん物を売る物流の場でもあるし。そういった意味で市と言うのを舞台にしたっていう意味は、もちろん安房さんがそこまで考えていたかはわからないのですが、聖と俗とか、生きているものと死んでいるものが混じり合うことのできる、特別な場所という設定をしたのかな、と思いました。

 

ネムリ堂 出会いの場所というかね。いろんなものが出会う場所…

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。やっぱりもしかしたら、日本でも、昔、神社の市とかでは、こっそり神様が来ていたかもしれないですよね。

やっぱりいろんな要素を自然に安房さんは、読書を通して、自分の中に蓄えていたんですね、ほんとに、ご自分の中のファンタジーやメルヘンの摂理として、ぽっとこう自然に、でてきて、それが、不思議な味わいになって、何かおこるものになっていったのかな、と。

安房さんは「メルヘンの摂理」という言葉を使ってらっしゃるので、不思議なこととか魔法とかをいちいち科学的に解説しなくてもそれは、まあそういうものでというようなことをおっしゃっていたような。それは物語の中ではとても大事なことだと思うんですよね。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。なんか、「市」について、すごく深い感じが。安房さんの作品の深さがはっきりわかるような感じで。ありがとうございます。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida こちらこそありがとうございました。

 

ネムリ堂 「市」。鹿の市、すごく魅力的なんですけれど、私だったら何を買うかな、そんなことも、俗っぽく考えちゃったりしたんですが、皆さん、いかがでしょうか。鹿の市で買いたいものとか。私だったら、たぶんみゆきみたいに達観できなくて、血の色の赤いルビーとか、若葉の色のひすいの帯どめとか、そういうのに目移りしちゃうんじゃないか、と。そういうところもどきどきしながら、「天の鹿」って読んでて、なんとも言えぬ、こう心をかきたてられるものっていうか、そういうのも出てきますよね。

 

gentle finger window そうですよね。私はやっぱ、紫水晶の首飾りですかね…

 

ネムリ堂 ね、買っちゃいますよね。

 

gentle finger window 私にとって「市」っていうのが、実は私、祖母が三重県四日市というところにいて、小さい時から祖母に連れられて、朝の市に行っていたのですけれど、四のつく日に市が立つんですね。

で、安房さんの書かれる鹿の市とか、花びらづくしの市とかと違って庶民的な、普通に食べものとか洋服とかを売り買いする市なんですよ。だから、なんていうのか、安房さんにとっての市と私にとっての市が違うんだな、というか。そこも、こう「市」を読むと感じていたことなんです。

 

ネムリ堂 すごく雑多な市だったのが、安房さんの手にかかるとすごく神秘的な市に変身してしまうという…

 

gentle finger window 美しいイメージの市にね。安房さんはどこの市を題材にしたんだろう、物語を作られたんだろうっていつもそれを思っていて、どこへ行ったらこんなに綺麗な市にであえるんだろう、みたいな。

 

ネムリ堂 なんか、さまよいこんでみたい気もしますよね。怖いけど。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 桜の花びらの枕とか、すごくいいですよね。

 

gentle finger window ね。「花びらづくし」の市も本当に綺麗ですよね。

 

ネムリ堂 綺麗ですよね。あと、食べ物が美味しそうですよね。

 

gentle finger window そうそうそう、食べ物が美味しそう。

 

ネムリ堂 私だったら、食べ物も買っちゃうなあ。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida お洒落して出かけていくんですよね。

 

ネムリ堂 お洒落してね。山の者でも、認められないと行けない市で、まだ何年目だからまだ行けない、みたいな、心待ちにしている市っていうのがすごい。

 

gentle finger window 招待されないと行けないんですものね。なんか、「花びらづくし」って、ももいろっていうか、ピンクってイメージで、鹿の市は青いっていうイメージで。私の中でなんですけど。なんだろう。

 

ネムリ堂 ああ。はなれ山が青い光でひかっているっていうシーンがあるから、そこからですかね。それから、市が、ほたる色の光に満ちた空間で、て、いうふうに書かれているから。

 

gentle finger window なんか、夜っていうイメージがあるのかな。

 

ネムリ堂 なんか、こう、夜空に反物の花びらが散っていってしまうとか、そういうイメージもすごいなあって。

 

gentle finger window 本当に、安房さんの市は綺麗だなあって、私の市と、実際に行って全然違うなって。

 

ネムリ堂 でもその市も、実は一皮むけると、なにかあやしい市だったかもしれない(笑)

 

gentle finger window いつも帰りにみたらしだんごを買ってもらえるのが、たのしみでついていっていたのですけれど。

 

ネムリ堂 ああ、そうなんですか。へえ。でもそういうなにか、買ってもらえるわくわく感ていうのが、鹿の市に通じていくのじゃないですか。

 

gentle finger window いまはもう、無いんですよ。昔はその市、四の日に立っていたのですけど、今は綺麗な建物の、本当にスーパーマーケットみたいになってしまって、四じゃなくても、買い物できるようになってしまっていて。昔、安房さんが子どもの頃過ごされた頃にはもっと市が、身近なものだったのかもしれないし、美しいものがあったのかなあとか。

 

ネムリ堂 昔はそういう、朝市とか、夜の市とかね、もっと身近だったかもしれないですね。

 

gentle finger window 今、「市」っていうと、ほんと、観光地にあるようなね。

 

ネムリ堂 観光と同じものになっているというかね、生活とはちょっとかけ離れてしまったというか。

 

gentle finger window もし、ライラック通りの会でもなんでも、今、市が近くにあるかた、いらしたら、お話を聞いてみたいです。

 

ネムリ堂 聞いてみたいですね。私も、母がよく、房総のほうに行くのですけれど、そっちのほうでよく朝市がやっていて、それで、魚、お刺身、魚まるごと買ってきたりとか。

 

gentle finger window 今でも普通にあるんですか。

 

ネムリ堂 普通にありましたね。勝浦のほうかな。勝浦の方まで、朝市があるからちょっと行ってくる、て、魚をいっぱい買ってきたりとか。

 

gentle finger window 東京でも街中で、ヨーロッパのお洒落なマルシェみたいな、ありますけどね、青山とかね。あれとは全然違う感じですかね。安房さんの市とは。

 

ネムリ堂 ああ。なんか、骨董市のわくわく感と似てません? 骨董市に色んな雑多なものがあるんだけど、いわくがありそうなものが売ってたりして、みたいな。

 

gentle finger window 確かに。骨董市でしたらありますもんね、今でも時々。

 

ネムリ堂 私も骨董市、好きなんですけど。(笑)

そうですね。あと、安房さんの作品の中で兎の呪文っていうのが出て来るんですけど。足もとから兎の呪文が、わやわやとわきあがってきましたっていう一文があって、この兎の薄気味悪さっていうのが凄いな、と思っていて。「天の鹿」の中にあるんですけどもね。この得体のしれない兎を、一作だけで使っちゃって、他の作品には登場させないっていうのが、すごい潔いなあ、と、と思って。

 

gentle finger window なんか安房さんの中の兎、「初雪のふる日」(1977)もそうですし、「よもぎが原の風」(1982)もそうですし、なにか、兎が不思議だったり、怖いところに連れていかれるイメージが安房さんのお話にはあるんですけれど。

 

ネムリ堂 言われてみれば、そうですね。兎ってかわいいだけじゃなくて、そういう怖いものとして安房さん書いていますよね。

 

gentle finger window どっかに連れていかれるっていうイメージが。そういう意味でこの、呪文ってなんとなく似たような不気味な感じ、薄気味わるい感じ。

 

ネムリ堂 あ、そっか。私、そっちの兎と結びつけないで考えていました。

 

gentle finger window 兎、私の中で可愛かったのが、安房さんの作品では怖いなっていうのがずっとありました。

 

ネムリ堂 怖いお話が多いですよね。なんか、言われてみると。

 

gentle finger window どっかに連れて行かれるのね、一見可愛いのだけど、どっかに連れて行かれちゃう、ついていくと。

 

ネムリ堂 誘惑者なんですかね。

 

gentle finger window そういう感じがあるんですね。

 

ネムリ堂 あと、安房さんの作品の中で、食べ物がすばらしく美味しそうなんですけれども、アロマアクセサリーさん、食べ物がたりをしてくださるって…どうでしょう。「天の鹿」における食べ物って。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida まず、雑炊の話なんですけれども、安房さん、お料理の本もよく読んでらっしゃるって、エッセイで書いてますよね。その中に、『吉兆味ばなし』が入っていたのですけれども、おじやや冷ごはんや雑炊のつくり方が書いてあるんですが。これちょっとわき道に外れてしまうんですが、挿絵になんと、陶器のゆきひら鍋が、描いてありまして。安房さん、これから、「ゆきひらの話」(1981)を、考えたのかなあと思ったりなんかして。

 

ネムリ堂 そこから、考えられたんですかね。私もこの間、「天の鹿」の掲載雑誌の調べものをしていて、安房さんの作品の載った『母の友』の表紙がゆきひら鍋だったんですよ。だから、私もあれー?と思って、安房さん、そこから??と、私も思ったんだけど…。もしかして、それだけ、ゆきひら鍋は、身近でありながら、忘れられてゆくようなそういうものだったのかしら。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida たぶん、日常的におかゆを作るような。でも、今だったら、「ゆきひら」というと、金属のゆきひら鍋を思い浮かべますよね。

 

ネムリ堂 今だったら、そうなっちゃいますけどね。昔は土鍋でしたよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そんな感じでいろいろ、安房さんの読んでいた本を読んでいくと、あ、ここから想像したのかなっていうのがいろいろあるんですが、「天の鹿」に関しましては、この雑炊の具材が松たけとか…

 

ネムリ堂 松たけですよね。凄い贅沢な雑炊ですよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 確かに安房さんて、上田市にいたりとか、軽井沢によく行ってらしたので、長野って松茸山がありますよね。だから、軽井沢にいらっしゃっていたのは夏だけだったみたいですけど、もしかしたら地元の方に送ってもらうとか…

 

ネムリ堂 ああ、いいですね。松たけの入った雑炊、食べてみたい。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そんな感じで実は安房さんの他の本を読んでいくと、信州の食材が大変よく出て来るんですね。私も、『物語の食卓』で食を再現するにあたって、『信州のふるさとの食材』(武田徹・監修 長野県商工会女性部連合会・編 ほおずき書籍 2005年刊行)を参考にしたのですが、あ、これも、これも、っていうくらい載ってまして、都会にいたら目にしたことはないであろうものも、もちろん、本も参考にしたとは思うのですけれど、もしかしたら、地元のスーパーで目にしたりとか、したのかな、と思いながらいたんですが、この「天の鹿」に関しては、この雑炊が、秋の恵み満載ですよね。松たけに栗に…栗を雑炊に入れるんだなあって。

 

ネムリ堂 ね、栗が入っているんだなあって。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 実際作ってみたら、それなりに美味しかったんですけれど、やっぱりこれ、ご馳走ですよね。この雑炊は。だからやっぱりこれは、お祝いの席のお料理?かな、と思ったんですね。二人で食べあって…。松たけ、お祝いの意味を込めて豪勢にしたのかなって思いました。普通ではなかなか作らない雑炊。

 

ネムリ堂 なかなか、松たけ、入れませんよね。栗もね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 手に入らないですし、栗は、ちゃんとお料理にするには結構てまひまかかりますので、茹でたりですとか、皮を剝いたりですとか。これも山のご馳走ですよね。あと、梨がでてきますよね。すごい立派な。これは、なぜ梨なのかな?っていうのを思ったんですけれども、ネムリ堂さん、これはなぜ梨は梨なんだと思いますか。

 

ネムリ堂 私、なんにも考えてなかったですけど。(笑) たぶん、金色でこう、大きな梨っていうのが「月」のイメージと重なっているのかなあって思ったんですけどね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida なるほど。やっぱり、こがねいろ、というか、おめでたい??

 

ネムリ堂 「のぼりたての月のようなくだもの」って書かれていますけど、なんで梨なのかまでは考えなかったんですけど、やっぱり季節が秋ということで、そこから梨がでてきたのかな。

(後記・エデンの木の実であるとされる知恵の実、「りんご」と似て非なるくだものという意味合いもあるのかも??)

あと、それをね、こうまるごと、皮ごと食べちゃうのですよね。それがこう、すばらしくとびきりみずみずしい梨っていうのが、なんかもう、これも食べてみたくて仕方のなかったくだものなんですけど。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida やっぱり、まるごとくだものをいただくっていうのは、贅沢なことではありますよね。

 

ネムリ堂 そうですね。それから、そんな大きな梨っていうのが、そもそも当時とれなかったんじゃないか、っていうぐらい、みごとな梨だったんじゃないかなと思って。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね、特別な場所で、特別な気持ちでいただくくだものっていうことだったのですかね。

 

ネムリ堂 あと、山ぶどうのお酒も特別なものですよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。あれもなかなか不思議な場面ですよね。時間を超越してしまうということですよね。ぶどうが一瞬でお酒になって。

 

ネムリ堂 そのお酒を飲むことが…っていうことを、『物語の食卓』でアロマアクセサリーさん、書かれていたじゃないですか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そこもやっぱり、現実から異世界っていうか、時空の歪みみたいな、特別感があるというか、やっぱりいろいろなところに特別感がちりばめられているな、と。

 

ネムリ堂 なんか、梨を食べると、それまで聞こえなかったことが聞こえるようになるって、そういう風に書かれていて、それで、たぶん、メタモルフォーゼしていく感じがね、なんというか安房さんの筆の見事さと言うか、そこにすごい惹かれました。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですよね。食べるという身近な動作で。それにしかも梨っていうのも、この梨は特別な梨ですけれども、くだものとしては身近なものではありますよね。そういったことで、特別感をだすというのは、安房さん、すばらしいな、って唸らされる場面だって。ネムリ堂さん、他には食べ物では?

 

ネムリ堂 食べ物。そうですね。やっぱり「天の鹿」だと、金の梨と、きのこの雑炊と、山ぶどうのお酒、っていうこの三つが、なんとも美味しそうに書かれていて、そこにもう…。…ただ、私がもし、金貨を使えるんだったら(笑)たぶん、これは買わなかったんだろうと思うと…自分が俗っぽいなと思っちゃうんですけど。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida いや、目移りしちゃいますよね。

 

ネムリ堂 なんかその、骨董市に行ったときのドキドキわくわく感というか、その感じと鹿の市が私の中では一緒になってくるんですけれども。なんかキラキラしたものを買っちゃうのじゃないかな。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 私の親が福井の山の方で、そこは結構有名な朝市があるんですね。山の奥なので、それこそ、山菜ですとか、安房さんのそういう和風の食べものに出て来るようなものが、普通に季節ごとに売っていまして、その様子を見ていると、実際山に行けば、こういうものが採れて、安房さんのお話に出て来るようなお料理が作れるなって思いながら、お話を読んでいます。

 

ネムリ堂 へえ。そういう市も実際にね、経験されているっていうのが、なにかすごく、いいなあって。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida またたびですとか。もちろん一般の人も買ったりする場所もあるんですよ。観光向けのと、地元の人が買う市もあって、そこに行くとまたちょっと違うものが売っていたり。

 

ネムリ堂 そうなんですね。なにか、特別なものが買えちゃったり。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうですね。日持ちがしないから持ち帰れないものだとか、町の人だと、これ、どうやって食べるの?というようなものだとか。栗をカチンカチンにしたものだとか、昔の兵糧食みたいなものですよね。

 

ネムリ堂 ああ、なにか、チョコレートみたいな味がって。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida そうです、そうです。昔の武将が携行食として持っていたもので。実際は固いので、ほんとにお料理するのは大変なんですが、そういったものがまだ、残っている。普通のお店に。

 

ネムリ堂 そうですか…。

あと、この牡鹿なんですけれど、牡鹿がなんともいえず雄々しいなっていうのがあって。牡鹿の雄々しさ、なんかすごい、安房さんの作品の中でこれだけ、素敵な男性ってなかなか出てこないんじゃないかと思うんですけどいかがでしょうか。「三日月村の黒猫」(1986)の黒猫もなかなか素敵だと思うんですけど。なんか「鹿は大きな目をふっとうるませたのです」っていうところなんか、私、もうどきっとしちゃって。変な話ですけど。

 

gentle finger window なんか人間の男の人は結構、弱いっていうか、ちょっと…

 

ネムリ堂 ちょっと線が細いんですよね。なんか薄情だったり、「熊の火」(1974)の小森さんみたいな。

 

gentle finger window 逆に、動物の方が…

 

ネムリ堂 そうですね。なんともいえず、雄々しくて。

なんか天の鹿になるための条件と言うのが、キモを食べた娘に会うことと、その娘が優しくしてくれることと、お酒を半分ずつ一緒に飲んで道づれになってくれることと、って書かれているんですね、それで、アロマアクセサリ―さんがそのことについて、『物語の食卓』に書かれていたかと思うんですけれど。お酒について。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。あれはやっぱり、三々九度かなって思いましたね、お酒を飲むシーンていうのは。それによって願いが叶って、二人そろって、天の世界に行ける、すごい神聖な儀式の様なもの?

 

ネムリ堂 そういうものが、隠された描写としてある感じがしますよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida まさしくそうだと思いました。その場面があったから、最後にちゃんとつながっていくっていうか、説得力がすごく、これでこのふたりが見事願いが叶って結ばれて、みゆきのほうも、「この人」って決めているって言ってましたものね。

 

ネムリ堂 そうですね。昔から、あなたのことを知っていたという気がする、このひとが自分の探していたひとだったんだ、と言うようなことを書いていますよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida それでついていったわけですよね。そういうちょっとしたこともすべて、ちゃんと物語の中で活きているというか、すばらしいなって。破綻しないで、ちゃんと最後まで。この牡鹿も、二番目の娘さんのあやさんのときは、「生きた鹿のすることはもうわすれてしまった」とかちょっと哀愁を帯びているんですよね。でも、最終的には自分の願いまで頑張ってますよね。

 

ネムリ堂 時系列で見ると、最初の一年で三人、清十さん連れて行って、一番目のたえと、二番目のあやを続けて連れて行くじゃないですか。でも、三番目のみゆきを連れていくまで、一年かけているんですよね。それだけ、キモを食べた娘に会えなかった落胆が大きかったんだろうし、みゆきが実際年頃になるのも、待たれてたのかな、っていうのもあるし。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida それはあると思いますね。

 

ネムリ堂 それでは、だいたいそろそろお時間になると思うのですが、他に何かお話ありますか。あ、そうだ。鹿のお話について、言うのを忘れてました。

安房さん、鹿と人間の婚姻の話を他に、二つ書いておられるんですよね。「あるジャム屋の話」(1985)と、「野ばらの帽子」(1971)なんですけれど。あと、小夜の物語の、「風になって」(1991)というお話の中でも、わらび山での白い鹿の結婚式のエピソードがあったりして。安房さんにとって、鹿は神聖な動物として描かれているのがあるなあっていうのがあります。なんか、ロマンチックな結婚、婚姻のイメージと結びついているのかなって。

他になんか、ありますでしょうか。

 

ymst ちょっと雑学なんですけれど。鹿笛のことなんですけれど、私の友人が鹿撃ちなんですよね。

 

ネムリ堂 すごいですね。北海道…ならではの…

 

ymst 今朝散歩に出たら、その友人のばったり会ったので、あの、「鹿笛って使う?」って聞いたんですよね。そしたら、「使う、使う」って。で、「鹿笛にもうまいへたってあるの?」って聞いたんですよ、清十さんは鹿笛の名人ということだったので。そしたら「ある」って。なにがうまいかっていったら例えば楽器みたいにメロディがあるとかね、鹿の声にそっくりとかじゃなくて、鹿笛を鳴らしたら鳴き返しを待って、会話するんですって。

 

ネムリ堂 じゃあ、キャッチボールみたいに…

 

ymst それで、だんだん距離が縮まってくるんですって。清十さんが持ってたのは、牝鹿の鳴き声にそっくりの鹿笛ですよね、それで、遠くにいる牡鹿が来る。その求愛に応えるのに来る。その友人が言うには、牡鹿バージョンと牝鹿バージョンの笛があるのですって。

 

ネムリ堂 そうなんですね。そっか。牡鹿のバージョンと、牝鹿のバージョン、笛が違うってことですか? 

 

ymst 声が違うんですね。

 

ネムリ堂 声が。笛は同じだけど、旋律が違う?

 

ymst 笛が違うんです。ビイーみたいな音がなるのだけど、音が違うのか、笛が違うのですって。で、友人が使っているのは、牡鹿なんですって。牡鹿を呼び寄せるために。それはどうしてかっていうと、牡鹿の鳴き声の笛を吹くことで、牝鹿に「俺はここにいるぞ」って「牝鹿寄ってこい」って、いう風に言うのですって。それを聞いた牡鹿が、闘いを挑みに来るのですって。

 

ネムリ堂 あ、そういう鹿の鳴き方もあるんですね。

 

ymst そうなんです。だから、牝を呼び寄せるといために鹿笛を吹くっていう企みで、牡鹿を期待しているっていう

 

ネムリ堂 そうなんですね。なんか、すごい貴重なお話。

 

gentle finger window 鹿笛聞かれたことってありますか。どんな音がするんだろう。

 

ymst YouTubeで聞けます。友人にYouTubeを、教えてもらって聞いたのだけど、まさに、最初のね、犬を使わないで、秋の日暮れにね、出かけて岩の陰にかくれて、笛を吹きました。みたいな感じで木の影に隠れて、自分は動かないで、笛吹いてみます、ビイーって吹いて、しばらくじっとするんですね。鹿が来て、あ、これぐらいの距離にいる、ていうことが分かって、そうっとこっちからの距離も縮めて、鳴らしてみたら、今度はこれくらいの距離にいる。で、そのうち、足音がしてくるとか、もう、姿は本当に見えないんだけれど、保護色も素晴らしくて、本当にもう、神秘的と言うか、あ、ここまで来てる、っていうのが、わかるんですよ。あと、なんだか鹿の気配がするから、ここらへんで吹いてみよう、とか、いうんですよね。

 

ネムリ堂 え、なんだか鹿の気配がする、ってそれがわかるのがすごい。

 

ymst 気配がなんかあるのかなあと思って。だからこの鹿笛がね、名人ていうのはそうやって、恐ろしく落ち着いていました、とか、やっぱりどきどきしながらも、自分を保って動かない、で、鹿の声を聞く、っていう人がやっぱりうまい。

 

ネムリ堂 そうなんですね。なかなか聞けないお話が聞けちゃったみたい。

 

ymst で、1ページ目を読むと、山の深いところで、息をひそめて、というのが浮かんできて、余計こう、ぞくぞくと。

 

gentle finger window ほんとですね。鹿笛、YouTubeで検索してみよう。

 

ymst ぜひぜひ。思っておられるだろうよりも、不思議な音です。こんな声?っていう。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。じゃ、今日はこの辺で、おしまいにしたいと思います。スピーカーの皆さん、今日はありがとうございました。

次回、第三回目は、「ハンカチの上の花畑」をとりあげたいと思っています。

「ハンカチの上の花畑」は、

あかね書房「ハンカチの上の花畑」

偕成社安房直子コレクション4」

講談社文庫「ハンカチの上の花畑」(kindle

に収録されています。よろしかったら、また、ぜひ、ご参加ください。

 

 

次回は、4月26日(金)夜8時半~、Ⅹ(@nemuridoh)スペースにて。