安房直子的世界

童話作家、安房直子さんをめぐるエッセイを書いていきます。

童話作家安房直子さんについておしゃべり(1)「きつねの窓」

童話作家 安房直子さんについておしゃべり (1)「きつねの窓」

 2024・2・16開催

 

(参加者 ・ネムリ堂

・gentle finger window

・アロマアクセサリー&香りと文学m.aida

・アロマスタイル)

 

ネムリ堂 こんばんは。ネムリ堂のスペースへのご参加をありがとうございます。

このスペースは録音しており、終了後、文字に起こして、ゆくゆくは、記録用の冊子にまとめる予定です。スピーカーとして、発言されるかたは、その旨、ご了承ください。

このスペースは、2023年12月に、安房直子を語り継ぐ会~ライラック通りの会主催で行った安房直子作品ランキングの結果をもとに、ランキングの一位から、ひと作品ずつとりあげて、おしゃべりしようというものです。

はじめに、かんたんに、童話作家安房直子さんについて、そのプロフィールをご紹介します。

安房直子さんは、1943年(昭和18年)生まれ、1993年(平成5年)に肺炎のため50歳で、ご逝去されました。日本女子大に学び、ムーミンの翻訳や北欧神話のご紹介で知られる山室静さんに師事、山室門下の生徒たちがたちあげた同人誌『海賊』を、活動の出発とされました。

「さんしょっ子」で、日本児童文学者協会新人賞を受賞、その後、

小学館文学賞(短編集『風と木の歌』)、 

野間児童文芸賞(短編集『遠い野ばらの村』)、

新美南吉児童文学賞(連作集『風のローラースケート』)、

ひろすけ童話賞(「花豆の煮えるまで」)

亡くなった後に刊行された連作集『花豆の煮えるまで~小夜の物語』で、赤い鳥文学賞特別賞を受賞されました。

おもに、1970年代、1980年代の、昭和の時代に活躍された童話作家さんです。

その安房直子さん作品をめぐり、2023年12月に、あなたの好きな安房直子作品ランキングを募集し、ライラック通りの会会員43名、会員外40名、合計83名からのご回答をいただきました。

回答にあがった作品は、じつに116作品にものぼりました。

栄えある第1位は、誰もが納得の名作「きつねの窓」です。

スペースでは、この116作品を、一作ずつ順番に取り上げて行きたいと思います。ちょっと何年かかるかな、一年に12作品しか取り上げられないのですけれども、もう年単位で考えていただきたいと思っています。

今回は、スペース第一回目、はじめての開催です。

その記念すべき第一回目は、不動のランキング1位、「きつねの窓」をとりあげます。

 

「きつねの窓」は、1971年に『目白兒童文学』に発表された作品です。2024年現在、読めるテキストとしましては、

ポプラ社 絵本『きつねの窓』(織茂恭子さん・絵)

金の星社 絵本『きつねの窓』(いもとようこさん・絵)

・ポプラポケット文庫『きつねの窓』

偕成社文庫『風と木の歌』

偕成社安房直子コレクション1』

講談社文庫『南の島の魔法の話』(kindle版)

で、読むことができます。

今回のランキングですが、あえて、「きつねの窓」をはずしました、というかたも、ずいぶん多くいらっしゃいました。それでも、なお、堂々の1位となりました。やはり、教科書にいまなお掲載されている作品なだけに、ほかの作品にくらべ、知名度が高いのだと思います。

現在教科書に掲載されている安房直子作品は、「きつねの窓」のほかには、「初雪のふる日」、「つきよに」、の、この二作です。

私は、1971年生まれですが、小学校6年生の時でしょうか、大好きで敬愛してやまない安房直子さんの作品が、なんと、教科書に載っている!!それを授業で扱う、と知って、もう、狂喜乱舞したおぼえがあります。で、この作品大好きなんだ、とクラスで話していたら、こんな話、つまんねえ!!と、男子に言われ、ものすごく腹をたてたことも併せて覚えています。

教科書で読んだかた、おられますでしょうか。gentle fingerさん、どうですか?

 

gentle finger window 私、教科書で読んだことはないんです。全国学校図書館議会選定の「必読図書」で、読書感想文用に『ハンカチの上の花畑』を読んだのがはじめてだったので。

 

ネムリ堂 ああ、そうなんですね。

 

gentle finger window そうなんですよ。教科書には載ってたことがないですね。

 

ネムリ堂 そうなんですね。gentle fingerさんと私は、ちょうど一年違いで、年が近いのですけれど、教科書で読まれているのかなあと思ったら違っていたのですね。

 

gentle finger window 私、光村図書だったのですけれど、ずっと。

 

ネムリ堂 ああ! そうなんですね。「きつねの窓」は、教育出版と、学校図書と、日本書籍なんですよ。なので、その3つじゃないと、違っちゃうんですかね。

私の息子も、今、ちょうど6年生で、今年、きつねの窓を国語でやったといってまして。どんな授業だったの?としつこく聞いたのですが、登場人物の気持ちになってみる、心の中を想像する、といった内容だったようで。あと、指の窓で、自分は何を見たいかの作文を書く、という風で。

 

gentle finger window へえ。面白いですね。読んでみたいですね。子どもたちの作文。

 

ネムリ堂 なんかね、うちの息子は、何を見たいの?という作文を見せてもらったんですけど、いなくなっちゃった猫を見たい、って書いてましたね。

 

gentle finger window なるほど。

 

ネムリ堂 やっぱり、失くしてしまったものを見たい、会いたい、そういう気持ちで書いたみたいでした。

 

gentle finger window なるほどね。なんか、ちょっと前のライラック通りの会の文庫の会でも出ましたね。指窓でみなさんが何を見たいか聞いてみたいですね。子どもから大人まで。

 

ネムリ堂 聞いてみたいですよね。

そうですね、安房直子作品は、わかりやすいメッセージ性にみちた作品ではありませんから、授業でとりあげるのは、先生によっては、困っちゃう先生もいるかもしれないな、などと思ったりします。

この作品のキーワードは、「青、窓、きつね、ひとりぽっち、郷愁、銃」といった風に私はスケッチしてみたんですけれども。

そうそう、青く塗る、ということが、あこがれの形をした幻をみせてくれるという点で、「夢の果て」という作品が安房さんにはあるのですけれども、その作品と共通してると思うのですが、どう思われますか。こちら1974年発表の作品なんですね。で、「きつねの窓」は1971年発表なので、3年あとの作品なんですけれど。こう、塗ったことが、あこがれの形をした幻をみせてくれる、という。あと、gentle fingerさんが、指先に色を塗る、指先に色をのせる、ということで、文章を書かれていたじゃないですか。

 

gentle finger window はい、去年なんですけど、「きつねの窓」では、指窓をつくってというそこに注目されることが多いと思うのですけど、私は安房さんの作品を読んでいて、マニュキアなど、指に色を塗ることで違う世界が見られる、例えば、「きつね山の赤い花」だと、きつねのお母さんがゆみ子のゆびに赤いマニュキアを塗ってくれると遠くにあるはずのきつね山の椿が咲いているのが見えるとか、違う世界に連れていってくれるように思えました。少し前の時期になりますが、ファンタジーじゃなくて、安房直子さんにしてはとても珍しいリアリズムの作品「ねがい」(1975年発表)、これは、『ジュノン』というファッション雑誌に掲載された作品で、やっぱり主人公の女の子、子どもなんですけど、赤いマニュキアをおばさんに貰って塗ってみて、会いたくても会ったことのなかったお父さんに会いにいく勇気をもらうというか。

 

ネムリ堂 呼び鈴をマニュキアを塗った人差し指で、ピンポンと押すための勇気をもらえるというかね。

 

gentle finger window そこもやっぱり、今生きる世界と違うところに行こう、飛び込む勇気をもらえるというか、なんでしょうね、指を花の色で染める、指にマニュキアを塗るということで、勇気、力をもらえる。安房さんにとって、なにか違う世界に連れて行ってもらえるような、そういう特別な意味があるのかな、と。「きつねの窓」は、指先に色を塗って、更に指窓を作ることで、また全然違う異世界が覗ける、見られるようになる。指窓で、今いる自分の世界(=ステージ)とは違うところへ行ける…。安房さんにとって、指は特殊な力を得られる、特別なものという思いがあったのではないでしょうか。

 

ネムリ堂 そうですね。指先に色をのせるということで、こう、共通性が出て来るのが面白いですね。私も、「きつね山の赤い花」が1984年の発表なんですけれども、「きつねの窓」が1971年で、およそ10年のスパンがあるんです。そのスパンで、10年の時を経て、最初「きつねの窓」というのが、きつねが人間に化けて人間と交流を持つじゃないですか。それが10年経ったことで、きつねの姿のまま「きつね山の赤い花」っていうのはおおらかに交流する物語に変化していっているな、というのが興味深いなと。アロマアクセサリーさん、いかがでしょうか。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 素敵なスペースをありがとうございます。

 

ネムリ堂 こちらこそご参加ありがとうございます。「北風のわすれたハンカチ」をアロマアクセサリーさん、お好きだと思うのですけれど、この青いハンカチって、「きつねの窓」の青と、「青」が共通してきますよね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida はい。「ハンカチの上の花畑」にも青いハートの泉が。なんか青の色はちょっとした魔法というんですか、それを使う時にでてくる色かな、というのは感じました。gentle finger windowさんがさっきおっしゃっていたように、異世界ですとか、大人の世界ですとか、とくにマニュキアに関しましては、今は皆さん子どもの時からマニュキアを知ってますけれど、たぶん安房さんが若かった頃は、やっぱりちょっと特別な感じがあったんじゃないかな、と思うんですね。

 

ネムリ堂 お化粧の歴史として考えると当時どうだったのかすごい興味深いですね。70年代って、でも、結構サイケデリックな感じがしません?

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida ただ、お子さんは、そんなにしてなかったんじゃないかな?と。

 

ネムリ堂 そうか、子どもはしてないですね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 当時は特別なことだったと思うんですね、儀式的な…。

 

gentle finger window あと、安房直子さんの性格からいって、赤いマニュキアを爪に塗るっていうのが、ものすごく大人な、もしかすると大人になってからも、赤いマニュキアを塗るっていうのはなんか特別な時にしていたことなのかもしれませんね。

 

ネムリ堂 そうですね。そうかもしれない。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida エッセイか何かで、お洋服のことも、皆さん、大学に入って好きなの(既製服)を着ているんだけれど、自分(安房さん)はまあ、嬉しいのだけれども、お母さまに作ってもらったお洋服で…というようなくだりがあったと思うので、そうしたところを鑑みますと、やっぱりちょっと特別な…??

 

ネムリ堂 ご自分ではマニュキアとかされてなかったかもしれませんね。作品では書いているけど。

 

gentle finger window そうかもしれないですね。なんかエッセイを読む限り、なんとなく遠い気がしますね。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida お写真を拝見した感じでも、すごくお化粧をされている、という感じではなかったな、と思うんですね。その特別感が、魔法…、日常からの飛躍、のような感じが私はしました。お化粧は、子どもにとって、おしゃれをする楽しみわくわく感と共に、自分が大人という特別な存在になったようなドキドキする気持ちになれる、魔法のようなものなのではないでしょうか。アニメ『ひみつのアッコちゃん』は、お化粧に使うコンパクトで変身します。

 

ネムリ堂 安房さんのエピソードとして、安房さんのお姉さまから教えていただいたことがあるのですけれども、安房さんは指輪を集めていらしたそうなんですよ。それで、指輪をよく指にはめて、それを創作の息抜きの合間に眺めてらしたようだった、と。

 

(※ここで、録音アクシデントにより、後半が途切れてしまっています。この後は、皆さんにご協力いただいて復元できるところまで、復元したものになります。)

 

ネムリ堂 安房作品は、非常にいきいきと色彩を描いた作品が多いのですが、なかでも「青」は、安房さんのお気に入りの色彩だったようです。

「惹かれる色」(1993)というエッセイで、青や紺に強烈に惹かれる自分について語っておられます。「童話と私」(1990)というエッセイでも、色というものを、言葉の力だけでありありと伝えてみたいと思っていた、と書いています。新しい作品の構想を練る時、浮かんでくるのは色のイメージだ、とも書いています。

青がテーマの他の作品は、「空色のゆりいす」(1964)、「青い花」(1966)、「夢の果て」(1974)、「青い糸」(1975)があります。

タイトルに青が入った作品として、「青い貝」(1976)、「ふしぎな青いボタン(1984)などがあります。

また、いちめんの青に、ひとかけらの白、という色の取り合わせも、幾度も描いています。「きつねの窓」(1971)の、青いききょう畑の白いこぎつね。「鳥」(1971)の、一面の青海原に、白いかもめ、まっ白な雪野原に、青い花びらのような北風の少女(1967)、青いくちばしの白い小鳥の「青い糸」(1975)などです。

きつねの登場する作品は安房さんにはいくつもあって、「きつねの窓」(1971)の他に、「きつねのゆうしょくかい」(1969)、「コンタロウのひみつのでんわ」(1982)、「てんぐのくれためんこ」(1983)、「きつね山の赤い花」(1984)、「冬吉と熊のものがたり」(1984)、「べにばらホテルのお客」(1987)、未収録作品でも、「こぎつねコンタロウ」(1982)、「きつねの灰皿」(1982)、「小さな緑のかさ」(1985)があります。

でも、こうしてみると、「きつねの窓」を書いた後、10年間、安房さんはきつねの物語を書かなかったのだ、という気づきが今新たにありました。それだけ、「きつねの窓」は、安房さんにとっても特別な作品だったのではないか、と思います。きつねの登場する作品について、アロマスタイルさん、お話いただけますか。

 

アロマスタイル 今回のテーマが「きつねの窓」に決まったので「きつね」が登場する他の作品を読んでみようと思い、ネムリ堂さんの『安房直子の動物手帖』を参考に数作品、読んでみました。

 

ネムリ堂 ありがとうございます。

 

アロマスタイル その中で「コンタロウのひみつのでんわ」が、さみしさの共有という点で、「きつねの窓」と似ている印象がありました。「きつねの窓」の「ぼく」と、「コンタロウのひみつのでんわ」のおじいさんの年齢の違いで、安房直子さんの用意しているラストが違うのかな、と感じました。「きつねの窓」の「ぼく」は年齢が書かれていませんが、現実問題、思い出にばかりひたっていられない。過去を振り返ったり、思い出すのは時々くらいがちょうどいいじゃないか、というラスト。「コンタロウのひみつのでんわ」の「おじいさん」には、離れていても、直接会えなくても、声がきけなくても、心が通じあっていれば、心あたたまる時間がもてるんだねというラストだな~と、感じました。2つの作品を読み比べて、はじめて感じた気づきでした。

コンタロウのひみつのでんわ」は今回のランキングも上位ではありませんでしたが、かわいらしくほっこりする優しい物語なので、ぜひ読んでいただきたいなあと思いました。私はどちらも、大好きな物語です。

 

ネムリ堂 「コンタロウのひみつのでんわ」がランキングに入らなかったのは、絶版であることもあるのかもしれませんね。残念ですが。優しい良い作品ですよね。「ひとりぽっち」、という言葉を安房さんはよく使いますよね。「コンタロウのひみつのでんわ」のコンタロウ、おじいさんや、「きつねの窓」の「ぼく」。「北風のわすれたハンカチ」のつきのわぐま。「雪窓」のおやじさん。「ころころだにのちびねずみ」、「まほうをかけられた舌」の洋吉。「三日月村の黒猫」のさちお。「ひめねずみとガラスのストーブ」の風の子フー。「遠い野ばらの村」のおばあさん。「海の館のひらめ」のしまお。「星のおはじき」の「わたし」。「青い糸」の千代、周一。「鳥」の「あたし」…と、たくさんあるのですけれど。

そんなひとりぽっち同士のこぎつねとぼくのさみしさの共振が両者の出会いを産み、ぼくは、やさしく、そしてはかないギフトをもらいうけて、帰還する、そういう物語であるのだと思います。そんなところに、どうしようもなく、惹かれてしまいます。

 

gentle finger window ひとりぼっち、ではないのですか。「ひとりぽっち」なんですね。

 

ネムリ堂 そうなんです。「ひとりぽっち」なんですよ。安房さん独特の表現なのかも。あと、安房さん独特の表現として、「くつくつ」笑う、というのがあって。私は、「くつくつ」、たくさん安房作品に登場すると思い込んでいたのですが、調べてみたら、「きつねの窓」の「おかしさがくつくつとこみあげて」のほかは、単行本未収録作品「山にふくかぜあきのかぜ」という仕立て屋さんのお話一作だけだったんですよね。

そうそう、「コンタロウのひみつのでんわ」は、もとの雑誌掲載時は、こぎつねではなくて、青年のきつねだったのですよ。

 

gentle finger window こぎつねという設定にしたのはなぜなんでしょうかね。

 

ネムリ堂 やっぱり、児童書として刊行するにあたり、読者が共感しやすいように、こぎつねという設定にしたのではないか、と。もとのお話では、青年のきつねが、おじいさんとぶどう酒を作る、というお話なんですね。

また、「きつね」ですけれども、安房さんのエッセイ「きつねと私」(1978『児童文芸』陽春臨時増刊号収録)では、きつねという動物に、ほかの動物とは違う、一種神秘的な感じ、かなしいものを感じる、と書いています。

 

gentle finger window 一般的に、きつねというと、ずる賢いというイメージがありますが、安房さんの物語の中のきつねは、どちらかというと優しく、だれかを助けてくれるような良いイメージがありますね。

 

ネムリ堂 「きつねと私」のエッセイの中では、天気雨、子ぎつねこんこんの歌、賢治の雪渡、子どもの頃の影絵遊びや、お母さまのたんすにしまってあった銀ぎつねのえりまきのエピソードを書いています。その美しい毛並みにみとれながら、殺されたきつねを思い、いたましい様な思いにかられた、と。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida 母子のきつねというと、安倍晴明の母親が一説によると「きつね」であるとされていますね。「葛の葉」という名称は江戸時代に歌舞伎で使われるようになりました。文学的教養のある人であれば知っているお話ですよね。恩返し話、異類婚姻、母子別れ話など、安房さんの作品のモチーフと共通する部分があります。

 

ネムリ堂 それから、安房さんは同じエッセイで「私の作品のきつね達(熊、鹿、うさぎ)は、常に追われる動物であり、追われ狩られる動物と、動物を狩ることで生きてゆく人間の悲しいかかわりあいを描く事が多い」、と書いています。

狩る事、狩られる事をテーマにしている作品としての「きつねの窓」には、善悪という価値判断はないのですね、ただただ、そのかかわりあいの「かなしさ」「さみしさ」を安房さんは描いていてるのですよね。

狩り狩られることがテーマの作品としては、「天の鹿」(1978)があります。猟師、銃が登場する作品は、「しろいしろいえりまきのはなし」(1966)、「野ばらの帽子」(1971)、「鶴の家」(1972)、「あざみ野」(1975)、そして、「小鳥とばら」(1979)、「月へ行くはしご」(1990)があります。

「きつねの窓」では、白いきつね、と安房さんは描いていますが、日本に一般的に生息するのは赤いきつねです。日本本土にホンドギツネ、北海道にキタキツネ。ちなみに、シルバーフォックス銀ぎつねは、毛皮としては最高級のランクとなり、ロシア、西ヨーロッパ、中国の貴族に珍重されていたようです。

物語の世界において、白い蛇、白い鳥、が神聖視されたのと同じ文脈で、「きつねの」窓のきつねは、「白」いきつねであるのかもしれません。

色彩の話ですと、ききょうの花って、厳密には、青でなく、青紫で、のちに、「ききょうの娘」(1982)を書いた安房さんは、ききょうを紫、と表現していますし、ききょうの花を潰しても、青い染料をとることはできないので「きつねの窓」のききょうの染料は、空想上の染料なんですよね。

指を青く染めるには、ツユクサのほうが適している気がしますが、安房さんは、青い花の群生している野原を描きたかったのかもしれません。

ききょうは、群生する花なのかな?と疑問に思って、ききょう、群生地で調べてみましたら、京都には、いくつかのききょうの群生スポットがあるようです。なかでも、亀岡市のききょうの里には、五万本のききょうが咲いていて、開園時期は、6月20日すぎ~7月20日すぎくらいのようでした。

 

gentle finger window 京都なんですね。安房さんの物語の中で印象的なモノ…自然、植物、動物などは、安房さんが子どもの頃に出会ってきた地で出会ったものが多い気がしますが…。京都は、安房さんの生育地ではないですね。

 

ネムリ堂 そうですね。京都の他にも、気候の関係で似たような地があったのかもしれませんが。ほかにも安房さんは、青い花の群生を、作品で描いていますね。

「夢の果て」(1974)のアイリス畑、未収録作品「霧立峠の千枝」(1973)の、マツムシソウの野原、「サフランの物語」(1987)のサフラン畑、「ききょうの娘」(1882)のききょうの野原、「長い灰色のスカート」(1972)のつゆくさなどですね。

「窓」というモチーフも、安房さんは、沢山作品にしています。

「雪窓」(1972)、「春の窓」(1986)、「天窓のある家」(1977)、未収録作品では、「オレンジ色の窓」(1988)。

「夕日の国」(1971)や「青い糸」(1975)に登場する飾り窓、ショーウィンドウなども、物語が走りだすきっかけとしての窓があります。

小さなフレームの中の小さな風景、という意味では、「鳥」(1971)の少女の耳の中の風景、「てまり」(1972)のたもとの中に見える風景、という手法も、窓のうちに入るかもしれません。

「きつねの窓」の窓は、失われたもの、殺されてしまった母親のきつね、もう二度と会えない少女、焼けてしまった家、死んだ妹、など、ある意味、死の世界とつながっているのではないでしょうか。もし、この青い指の窓を主人公が持ち続けていたとしたら、どんな物語となったかな?なんて思ったりします。

安房作品の他の作品にあるように、たとえば「火影の夢」の、銀の首飾りに魅入られてしまったこっとう屋の奥さんのように、あるいは、「青い糸」の、あやとりのとりことなってしまった周一のように、何時間も、窓のとりことなって暮らすようになり、いつしか、窓の中へととりこまれてしまう…そんな物語になっていた可能性もあるのではないでしょうか。でも、安房さんは、そういう物語にしなかった。きつねは指で作る窓を「ぼく」に与え、それを「ぼく」は喪失してしまいます。

 

アロマアクセサリー&香りと文学m.aida きつねは、「すてきなゆび」を「ぼく」に与えて、亡くなってしまった存在に会えるようにして殺生で大切な存在を奪われたものの気持ちを感じさせようとしたのではないでしょうか。「ぼく」は、物語の中ではあまり深刻に物事を捉える人物として描かれていません。大切な存在を失った直後は悲しんだり怒ったり恨んだり悔んだりしたかもしれませんが、時と共に風化していったのかもしれません。

 

gentle finger window 「きつねの窓」の指窓の話は、柳田国男からイメージを得たのでしたね。

 

ネムリ堂 安藤美紀夫さんとの対談「メルヘン童話の世界――作者と語る」(1978『教科通信』教育出版掲載←後に、「『きつねの窓』『鳥』をめぐって」と改題)では、きつねの窓の物語の発想の元となったのが、柳田国男の、昔の子ども遊びについての伝承から「指で窓を作ると、かみしもを着たきつねがみえる。そういう遊びがある」というところから書いた、と言っていますね。安房さんの「きつねの窓」は、親指と人差し指でつくるひし形の窓ですが、民俗学的なきつねの窓というのは、もっと複雑な指の組み方で、角川ソフィア文庫の『しぐさの民俗学』という文庫本の表紙の人物が、その指の組み方をしています。そのきつねの窓は、その窓から「魔」を覗くと、魔を破れる、とか、そこから息をふうっと吹くと、吹かれた相手が死んでしまう、とか、色々な伝承があるようです。

 

gentle finger window 日本には、元々、指で窓を作り、指窓を通じて異世界とつながる、見ることができるという伝承があるのですね。

 

ネムリ堂 安藤美紀夫さんとの対談では、また、「きつねの窓」について、安藤美紀夫さんから、「太平洋戦争とか、なにか破壊するものに対する思いはあったんですか」という問いかけに、狩られる側の動物のこと、猟師と動物の話はずいぶん書いている、でも戦争とかそういう風には考えなかった。だが、戦前の家の縁側があって中に障子があって…という家は、やはり戦争で焼けたのでしょうから、だから戦争なのかもしれないけど、直接そうは考えないで書いた、とお話されています。

 

gentle finger window 先日のライラック通りの会の文庫の会でも、きつねの窓は反戦の物語でもある、という指摘を、朗読家の秋元紀子さんがされていましたね。きつねが鉄砲を「ぼく」からもらうところ、ぼくが作った指窓の中に、焼けてもうない家、亡くなった妹というところに、反戦という意味合いを見出す人もいるのですね。私は、反戦の物語という話を、秋元さんからはじめて聴きましたが、自分で最初に読んだ時はそこまで考えませんでした。

 

ネムリ堂 私は、国語の教科書の指導書で、「焼けた家」とは、太平洋戦争とか、東京大空襲ではないか、という指摘をしたのを読んだことがあるのです。そうして、私もはじめて、そういう見方をするようになりました。私も、安房さんご自身が意識的ではなくても、発表当時、1971年頃は、まだまだ、敗戦の記憶が色濃く、しみついていた時期だったのではないか、と推測します。しかし、戦争の記憶の薄れた現代の子どもたちには、共有しづらくなっている感覚ではないか、と思ったりします。

 

gentle finger window いろいろな取り方のある、深いお話ですね。

 

ネムリ堂 今、ちょっと直感的に思ったのですが、「銃」というものが、戦争、暴力、殺戮、というものを集約させたものだとすると、きつねがあくまで無邪気に銃をねだることで、「ぼく」が手離したのが、そういう暴力、戦争、殺戮、というモノなのかもしれない…。こぎつねに浄められた「ぼく」というか。

 

gentle finger window 「きつねの窓」、もう一度、色々と考えながら読み直したいです。

 

 

次回は、3月8日(金)夜8時半~、X(@nemuridoh)スペースにて。

ランキング2位「天の鹿」をとりあげます。